『間黒神社』


『間黒神社』

国道19号を春日井方向へ北進、『瀬古口』交差点右折
1本目を左折、直進すぐに鎮守の森が目に入ってくるので分かりやすい

 この辺り、昔は田んぼが多かったが今ではその面影は微塵もない
 
 間黒神社鳥居から境内を望む
 
周囲は住宅地
境内は氏子の方により綺麗に手入れされ
大切に守られている事が良くわかる
 
間黒神社の鳥居と並ぶように境内合祀の神明社の鳥居が立ち並ぶ
祭神 / 天照大御神
この地は北の庄内川、南に矢田川に挟まれ
古くから水害に見舞われ氾濫後の排水のため
写真の様に用水が設けられている。(神明橋と古川)
この様な地形故、水害の被害を避ける目的から、土台を高く盛り
その上に構造物を作る『水屋造り』が生まれたのも容易に頷ける
幸心では東春酒造付近、大永寺では大永寺付近にも残存している
間黒神社社殿もこの技法が取り入れられている。
 
 境内を少し入ると石橋の神明橋が目に入る、新明橋からは拝殿、社殿を見る
手水舎は伊勢湾台風で被災、後に再建されたもの
拝殿の鬼瓦と各所に施された彫の数々
社を挟み白山社、秋葉社、津島社、金毘羅社、御嶽社がある

 
間黒神社
祭神 / 須佐之男命
創建 / 1636年社殿建立されるも1963年の伊勢湾台風で被災再建された
間黒神社由緒
photo2017/5/12
1945年4月7日、時は第二次世界大戦
この地からほど近い東区大幸町にあった三菱発動機第四工場を標的とした
大規模空襲に見舞われた
 
襲来した米軍 B-29は160機と云われる
この空襲による被害は千種区、東区、北区、中川区、猪高村にまたがる
5191世帯と多くの犠牲者を出した
 
その際に撃墜されたB-29の尾部が間黒神社に落下
それにより神明橋は被災、現在は新しく架け替えられています 
photo2017/12/24
 
墜落時の傷跡の残る旧神明橋の欄干部分は神明橋改修時に
社殿の裏手(水屋造りの構造が良くわかる)に戦争遺構として現在も残されています
残された欄干の一部から緩やかな曲線の橋であったと思われます
 

戦争により多くの人命、歴史遺産が失われています
意識から風化させないためにもこの場所で語り継いで頂きたいものです
 
住所 名古屋市守山区幸心1-901
 アクセス JR中央本線『新守山』駅下車、西へ徒歩10分程

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