『古傳馬神社』 名古屋市南区豊1丁目
名鉄豊田本町駅から東に歩いた豊1丁目
西に名鉄常滑線、東に東海道本線に挟まれるように『古傳馬神社』は鎮座します
東西に走る道路に面した住宅街の一画に小さな杜が現れます
『古傳馬神社』正面全景
石鳥居を構え、左に社務所、右が手水舎、正面に拝殿と御神木が聳えています
石鳥居を構え、左に社務所、右が手水舎、正面に拝殿と御神木が聳えています
鳥居前に掲げられた祭神、例祭の案内板
境内右側には社格昇格記念碑、整地記念碑、御大典記念、御遷座記念等の石碑が並ぶ
石碑の前に瓦葺の手水舎と途切れる事なく静水が満たされた手水鉢
拝殿正面全景
屋根は緩やかな曲線を描いて左右に広がっていきます
屋根は緩やかな曲線を描いて左右に広がっていきます
木造吹き抜け拝殿から本殿全景
石垣が積まれ一段高い位置に本殿域、本殿前には一対の狛犬が隠れています
石垣が積まれ一段高い位置に本殿域、本殿前には一対の狛犬が隠れています
本殿前の狛犬達と見慣れぬ形の石灯籠
鳥居横の案内板には境内社に秋葉大神、津島天王神社とあります、本殿に三社が祀られているようです
創建については詳細が分かりません
この地が1686年(貞享3)伝馬新田として開拓されたのが始まりで、後の1696年(元禄9)に新たに伝馬新田が開拓され新伝馬新田と名付けられます
なので、もとの伝馬新田が古伝馬新田と呼ばれるようになったと思われ、創建はその頃ではないかと思われます
現在も熱田区に伝馬町の名が残りますが、町名の由来は伝馬から来ています
伝馬とは、街道の宿場ごとに定められた場所に馬を置き、駅伝の様に馬を乗継いで人や物資、幕府の公用や情報伝達の迅速化を図った伝馬制度を指し、この地では熱田宿と今道が伝馬役を担っていました
鳥居横の案内板には境内社に秋葉大神、津島天王神社とあります、本殿に三社が祀られているようです
創建については詳細が分かりません
この地が1686年(貞享3)伝馬新田として開拓されたのが始まりで、後の1696年(元禄9)に新たに伝馬新田が開拓され新伝馬新田と名付けられます
なので、もとの伝馬新田が古伝馬新田と呼ばれるようになったと思われ、創建はその頃ではないかと思われます
現在も熱田区に伝馬町の名が残りますが、町名の由来は伝馬から来ています
伝馬とは、街道の宿場ごとに定められた場所に馬を置き、駅伝の様に馬を乗継いで人や物資、幕府の公用や情報伝達の迅速化を図った伝馬制度を指し、この地では熱田宿と今道が伝馬役を担っていました
拝殿に対し、本殿はシャープな屋根
『古傳馬神社』本殿
創建 / 不明
祭神 / 日本武尊、天照大神、建稲種命
境内社
秋葉大神 / 軻遇突智神
津島天王神社 / 建速須佐之男命
創建 / 不明
祭神 / 日本武尊、天照大神、建稲種命
境内社
秋葉大神 / 軻遇突智神
津島天王神社 / 建速須佐之男命
拝殿から本殿全景
御神木の「幸運握り楠」とよばれる根元が5本に分かれ
御神木の「幸運握り楠」とよばれる根元が5本に分かれ
大きく枝分かれした楠木は拝殿を覆う様に聳えています
拝殿から鳥居方向の全景
右の建物が社務所となります、石鳥居には1933年(昭和8)と刻まれていました
住宅に取り囲まれたひと区画に鎮座する『古傳馬神社』
新田開発から現在まで、この地の移り変わりを見続け、今もこの地の氏神として崇められています
住所 / 名古屋市南区豊1丁目35
アクセス / 名鉄常滑線「豊田本町」駅から徒歩約6分
右の建物が社務所となります、石鳥居には1933年(昭和8)と刻まれていました
住宅に取り囲まれたひと区画に鎮座する『古傳馬神社』
新田開発から現在まで、この地の移り変わりを見続け、今もこの地の氏神として崇められています
住所 / 名古屋市南区豊1丁目35
アクセス / 名鉄常滑線「豊田本町」駅から徒歩約6分
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