徳興山『建中寺』 名古屋市東区
名古屋市東区筒井、通称出来町通りと呼ばれる県道215号線の山口町交差点から南へ東区役所南交差点を左に向かうと左側に見事な山門が見えてくる、徳興山建中寺です
道路の右側の建中寺公園も建中寺の境内で公園の南には瓦葺の重厚な山門が建っています右側には小さな鳥居と社、左に寺号標、門の先から見える公園の先に三門が見えます
尾張名所図会を目を通すとこのあたりの絵が出てきた右山門が上の写真にあたり門をくぐると境内の左右には複数の堂宇が描かれています
1651年尾張徳川家第二代藩主徳川光友の父である徳川義直の菩提を弔うため建立された
この門の前で馬を降り参拝した様ですが、今はその先の本堂前の境内に若干の駐車場があり手軽に参拝する事が出来ます
1651年尾張徳川家第二代藩主徳川光友の父である徳川義直の菩提を弔うため建立された
この門の前で馬を降り参拝した様ですが、今はその先の本堂前の境内に若干の駐車場があり手軽に参拝する事が出来ます
山門右の社中のお札から津島社の様です
山門から見た建中寺公園と参道の先に三門訪れたのが4月1日、折しも公園の桜も咲き始め彩りを与えてくれる時期でした
公園の桜は参道両脇に植えられ見頃までにはあと僅か待ちきれず桜を見に訪れる親子連れも多い
公園北側の道路の先が三門、二層の造りのどっしりとした門です
公園北側の道路の先が三門、二層の造りのどっしりとした門です
方火門三門の右にあり、現在はこの門の先は建中寺幼稚園の園庭となっています
扉に施された金の葵紋に威厳を感じます門の左に尾張德川文化を巡る案内板が掲げられています
(地元でありながらコンプリートには程遠い)
(地元でありながらコンプリートには程遠い)
上段三門左に名古屋市教育委員会の解説板から一部抜粋「徳興山と号し、浄土宗。慶安4年(1651)尾張二代藩主光友が、藩祖義直の菩提のため創建。
成誉廓呑上人を開基とし、以後尾張德川家歴代の廟所なった。」
下段 陳元贇墓所の石標
明の帰化人で詩書をはじめ製陶や拳法など多芸多才の持ち主、晩年は徳川義直に招かれて詩書を講ずるかたわら、瀬戸産の土を用いて陶作に妙技をふるった
陳元贇はこの地で没した、その墓所が建中寺にある
成誉廓呑上人を開基とし、以後尾張德川家歴代の廟所なった。」
下段 陳元贇墓所の石標
明の帰化人で詩書をはじめ製陶や拳法など多芸多才の持ち主、晩年は徳川義直に招かれて詩書を講ずるかたわら、瀬戸産の土を用いて陶作に妙技をふるった
陳元贇はこの地で没した、その墓所が建中寺にある
尾張名所図会の三門から本堂にかけての記録
三門(名古屋市指定文化財)二階部分は釈迦牟尼仏を中心に十六羅漢像が祀られるが一般公開はしていない
1651年(慶安4)の創建当時の建築物で、総檜造りで三間重層門と呼ばれる建築様式
幸運にも戦災に遭う事もなく今も当時の姿を留めます
1651年(慶安4)の創建当時の建築物で、総檜造りで三間重層門と呼ばれる建築様式
幸運にも戦災に遭う事もなく今も当時の姿を留めます
三門の先に漸く本堂が見えて来ました門の扉にも葵の紋が輝く
三門から境内へ左に手水舎、お地蔵様が見守る手水鉢
本堂1785年(天明5)の大曽根の大火で延焼し門を除き焼失してしまう
現在の建物は1787年(天明7)に再建されたもの(名古屋市指定文化財)
入母屋造りの瓦葺きの建物は市内の木造建築物としては最大と言われています
現在の建物は1787年(天明7)に再建されたもの(名古屋市指定文化財)
入母屋造りの瓦葺きの建物は市内の木造建築物としては最大と言われています
本尊阿弥陀如来開山廓呑上人が結城弘経寺から招来したとされ、止利仏師作と言われる
大火の時は持ち出して無事であった
見事な彫が施され煌びやかな堂内です
大火の時は持ち出して無事であった
見事な彫が施され煌びやかな堂内です
本堂から三門を振り返る
鐘楼三門東側の幼稚園敷地の一画に建つ、1787年(天明7)に再建されたもので
瓦葺きの入母屋造りで袴腰つきの鐘楼です
袴腰付鐘楼の様式は鎌倉時代に流行ったもので、他にも相応寺や大龍寺などで見かける事が出来ます
四方が吹き抜けの鐘楼に比べると存在感があります
内部に吊るされた梵鐘は戦時中の供出を免れ現在も残っています(名古屋市指定文化財)
瓦葺きの入母屋造りで袴腰つきの鐘楼です
袴腰付鐘楼の様式は鎌倉時代に流行ったもので、他にも相応寺や大龍寺などで見かける事が出来ます
四方が吹き抜けの鐘楼に比べると存在感があります
内部に吊るされた梵鐘は戦時中の供出を免れ現在も残っています(名古屋市指定文化財)
本堂右の経堂漆喰で塗られた二層の堂は棟札によると1828年(文政11)まで遡る
内部の八画輪藏内には鉄眼禅師開版の黄檗版大蔵経五千八百巻が納められ、実際に輪藏を回転させることができる(要入館料)
現在の堂は2004年(平成14)に修理を受け、境内で白く輝いています
八画輪藏は善光寺や高野山に参拝に行かれた方は見覚えがあるかと思います
内部の八画輪藏内には鉄眼禅師開版の黄檗版大蔵経五千八百巻が納められ、実際に輪藏を回転させることができる(要入館料)
現在の堂は2004年(平成14)に修理を受け、境内で白く輝いています
八画輪藏は善光寺や高野山に参拝に行かれた方は見覚えがあるかと思います
書院本堂の右側に建ち、唐破風が印象的
1964年(昭和39)に再建されたもの
1964年(昭和39)に再建されたもの
不動堂(明王堂)手水舎の左に建つ堂で「東海三十六不動尊霊場 南無大聖不動明王」と書かれた赤い幟が並んでいます
現在の建物は1969年(昭和44)に再建された様です、佇まいはなかなかのものです
現在の建物は1969年(昭和44)に再建された様です、佇まいはなかなかのものです
本尊は不動明王江戸時代から尾張徳川家の戦勝を祈願する秘仏として受け継がれている
堂内正面に前立て本尊の不動明王が祀られています
堂内正面に前立て本尊の不動明王が祀られています
地蔵堂不動堂(明王堂)の左に建つ小さなお堂で、内部には2体の地蔵様が祀られています
尾張名所図会が描かれた当時、既に建立されていて右隅に小さく描かれていました
尾張名所図会が描かれた当時、既に建立されていて右隅に小さく描かれていました
開基堂不動堂(明王堂)の左に建つ寄棟瓦葺のお堂
棟札によると、火災消失以降の1786年(天明6)に再建されたもので
内部には歴代住職の位牌と開山上人中興上人の木像が安置されているという
開基堂から左へ、本堂脇の参道に向かいます
棟札によると、火災消失以降の1786年(天明6)に再建されたもので
内部には歴代住職の位牌と開山上人中興上人の木像が安置されているという
開基堂から左へ、本堂脇の参道に向かいます
開基堂から左に進む桜の美しさも見事ですが、後方に祀られた巨大な馬頭観音に足が止まる
ここから先は桜並木と複数の碑が並びます
ここから先は桜並木と複数の碑が並びます
参道の突き当りを左へ石畳の先に木陰の下に佇む小さな山門
陰影の中で葵の紋だけが浮かび上がっている
陰影の中で葵の紋だけが浮かび上がっている
至る所に葵の紋が施され、尾張德川家菩提寺の風格を感じます当時の伽藍もそれに見合う大きな規模のもの
現在は境内を車道が横切り、公園や幼稚園も併設され随分と様変わりしました
徳興山建中寺
建立 / 1651年(慶安4)
宗派 / 浄土宗
本尊 / 阿弥陀如来
住所 / 名古屋市東区筒井1丁目1番57号
アクセス / 基幹バス2「山口町」下車南へ徒歩10分程
2019/04/01撮影
下は2017年の御朱印
現在は境内を車道が横切り、公園や幼稚園も併設され随分と様変わりしました
徳興山建中寺
建立 / 1651年(慶安4)
宗派 / 浄土宗
本尊 / 阿弥陀如来
住所 / 名古屋市東区筒井1丁目1番57号
アクセス / 基幹バス2「山口町」下車南へ徒歩10分程
2019/04/01撮影
下は2017年の御朱印
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