真言宗 大師寺 / 熊鷹稲荷大明神 / 福光大龍神
名古屋市西区城西5-22-13
名古屋城のすぐ北を流れる堀川に架かる「筋違橋」から北に5分程歩いた住宅地に「 尾州高野山 大師寺」は鎮座します。
赤い鳥居が目印になるのかも
赤い鳥居が目印になるのかも
境内入口に「嵐の中で生きている、されど嵐に気付かず生きている」
住職の教え書かれた掲示板が目に付きます。
住職の教え書かれた掲示板が目に付きます。
道路を更に進むと本堂が見えてきます。
右に寺号標が建っているけれど、フェンスの「高野山真言宗 大師寺」の看板の方が目立っています。
こちらにも「心中の悪魔を認める事ができる人は、自分を制す」と書かれています。
「自らを分析し、改めるべきところは改めよ」という事でしょうか。
耳が痛い言葉です。
道路から境内を眺めると、正面に方形屋根の瓦葺本堂と左に稲荷鳥居が目に付く。
右に寺号標が建っているけれど、フェンスの「高野山真言宗 大師寺」の看板の方が目立っています。
こちらにも「心中の悪魔を認める事ができる人は、自分を制す」と書かれています。
「自らを分析し、改めるべきところは改めよ」という事でしょうか。
耳が痛い言葉です。
道路から境内を眺めると、正面に方形屋根の瓦葺本堂と左に稲荷鳥居が目に付く。
手水鉢は境内右
芝生の境内と置かれたテーブルが個人宅のような趣で親近感ある雰囲気があります。
芝生の境内と置かれたテーブルが個人宅のような趣で親近感ある雰囲気があります。
境内左に稲荷鳥居が連なります。
ふくよかな風貌の狛狐の先に熊鷹稲荷大明神。
詳細が分からなかったので後日住職に伺ったところ、いつ頃のものかは分からないとの事。
ただ、伏見稲荷から勧請したものとお話。
詳細が分からなかったので後日住職に伺ったところ、いつ頃のものかは分からないとの事。
ただ、伏見稲荷から勧請したものとお話。
ん?
稲荷の右に宝船に乘った七福神。
稲荷の右に宝船に乘った七福神。
境内右に水子地蔵、釈迦如来、大師像が安置されています。
笠を被った小さな地蔵が行儀よく並んでいます。
笠を被った小さな地蔵が行儀よく並んでいます。
本堂。
方形の木造瓦葺
方形の木造瓦葺
屋根の頂の露盤はシンプルなものですが、本堂のシンプルな外観に相応しいものです。
本堂前に重軽地蔵尊、赤い前掛けと笠を被ったお洒落な地蔵さん。
願いを込めて地蔵を持ち上げ「一度目より二度目に持ち上げた時が軽く感じれば願いは叶う」そうだ。
本尊は阿弥陀如来、宗派は真言宗 、創建は不明。
住職によれば明治頃に御園座近隣に高野山の隠居寺として鎮座していたそうで、空襲で焼失後の1949年(昭和24)にお替地でこちら建てられたとの事。
この近隣にはそうした時期に移ってきた寺院は多いとか。
その後の昭和44年~60年の間は無住職の時期があったそうです。
願いを込めて地蔵を持ち上げ「一度目より二度目に持ち上げた時が軽く感じれば願いは叶う」そうだ。
本尊は阿弥陀如来、宗派は真言宗 、創建は不明。
住職によれば明治頃に御園座近隣に高野山の隠居寺として鎮座していたそうで、空襲で焼失後の1949年(昭和24)にお替地でこちら建てられたとの事。
この近隣にはそうした時期に移ってきた寺院は多いとか。
その後の昭和44年~60年の間は無住職の時期があったそうです。
境内の眺め。
風もない穏やかな午後、庭でお茶でも的な趣です。
風もない穏やかな午後、庭でお茶でも的な趣です。
境内右の波切不動明王。
弘法大師31歳(804年)に入唐する際に暴風雨に遭い、一心に念じたところ「波切不動」が現れ、荒れ狂う荒波を断ち切り船を導いたと云われます。
住職によれば四国三十六不動尊霊場の二十番札所の光林寺の本尊と同じという事です。
弘法大師31歳(804年)に入唐する際に暴風雨に遭い、一心に念じたところ「波切不動」が現れ、荒れ狂う荒波を断ち切り船を導いたと云われます。
住職によれば四国三十六不動尊霊場の二十番札所の光林寺の本尊と同じという事です。
波切不動の左に印塔とその左に福光大龍神の社。
現住職によれば移転の際には稲荷含めて祀られていたもので詳細は分からないとのこと。
現住職によれば移転の際には稲荷含めて祀られていたもので詳細は分からないとのこと。
境内西の道路際の空き地に弘法大師像。
大師寺の敷地で2-3年ほど前に居住者不在となり、大師寺に譲与されたそうで、住人の供養も含め建立したものだそうです。
首を少し傾げた穏やかな表情の地蔵が弘法大師の脇に安置されています。
首を少し傾げた穏やかな表情の地蔵が弘法大師の脇に安置されています。
大師寺から一筋西の城西5の道筋で見かけた地蔵堂。
阿波国二三大師 一番、二番札所と刻まれた石標が建ち、側面には城北講と刻まれていて、調べてみるも辿り着けなかった。
左手の手水鉢は清水を湛えています。
左手の手水鉢は清水を湛えています。
堂内には一体の石地蔵「屋吉地蔵」が安置されています。
こちらについても住職に伺うが、この地域で古くから祀られていたもので、戦災で焼け残り、新たに堂を設けて親しまれているものではないか、屋吉とは人の名ではないかとの事。
真言宗 尾州高野山 大師寺
創建 / 1949年(昭和24)
本尊 / 阿弥陀如来
境内社 / 熊鷹稲荷大明神、福光大龍神
住所 / 名古屋市西区城西5-22-13
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄鶴舞線「浄心」から東に徒歩10分程
屋吉地蔵
住所 / 名古屋市西区城西5-19-2
こちらについても住職に伺うが、この地域で古くから祀られていたもので、戦災で焼け残り、新たに堂を設けて親しまれているものではないか、屋吉とは人の名ではないかとの事。
真言宗 尾州高野山 大師寺
創建 / 1949年(昭和24)
本尊 / 阿弥陀如来
境内社 / 熊鷹稲荷大明神、福光大龍神
住所 / 名古屋市西区城西5-22-13
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄鶴舞線「浄心」から東に徒歩10分程
屋吉地蔵
住所 / 名古屋市西区城西5-19-2
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