天長山 『久国寺』


名古屋市北区大杉3丁目2-27
以前掲載した​延命閣地蔵院​から北西方向10分程。
国道41号線から東に入った住宅街に天長山久国寺は鎮座します。
 久国寺山門
立派な門構えの瓦葺の山門、右に寺号標「天長山 久国寺」、左に「山門禁葷酒」と刻まれた戒壇石が立っています。
 山門の山号額は「天長山」。
実際の山に由来するものではなく、名の由来は名古屋城本丸の「天長峰」の名を借り、改めた物と伝わります。
宗派は曹洞宗。
 山門から眺める本堂は瓦葺の入母屋造り。
石畳の参道は正面が本堂へ、左が西門、右が寺務所に続きます。
 山門をくぐった左の小さな社。
 覆い屋の下の社は小さいものですが、細かな彫飾りが入り、扉には飾り金具が奢られています。
詳細は不明。
その右に方型のお堂。
火燈窓が施された白壁が印象深い建物てす。
この堂の露盤の上には翼を大きく広げた鳳凰飾り。
 堂の右側に建つ護国観音像。
戦没者の慰霊を目的に建立され白い観音像は、コンクリート塑像作家の浅野祥雲の作。
五色園や桃太郎神社で見かけるシュールなイメージの像に対し、天女の様な顔立ちの作風は別の表情を見せています。
 観音像の左にある石碑
上、自然石の快台塚
下、馬頭観世音菩薩の石碑、久国寺の西に南北に延びる上街道、そこを通る牛や馬の供養や無病息災を祈願して建てられたものでしょうか。
昔は牛や馬は農業や畜産、物流に関わる重要役割を担っていただけに、それらに携わる人々が多くいたことを物語っているのかも知れません。
この他に聖観世音菩薩碑などがこの一画に建っています。
 本堂左、というか西門から境内に入った左に三体の石像、中央は水子観音像。
 山門右の伽藍を見て行きます。
最初に目につくのは重厚な四脚の鐘楼、そこに吊るされた梵鐘の形に強烈な印象を受ける。
 梵鐘の側面から無数の角らしきものが突き出ている。
鐘楼の手前の大きな庚申塔にも目が行きます。

 随分と大きな庚申塔。
下には「みざる、いわざる、きかざる」の三猿が彫られています。
特徴のある岡本太郎作の梵鐘。
そう聞くと思わず頷ける、「爆発してる」
久国寺住職が岡本太郎に梵鐘の作成を依頼、1965年に作られたもの。
この後に大阪万国博(1970年)のシンボルとなった太陽の塔が作られます。
この梵鐘は森羅万象を表現したものらしく、特徴のある角?は人の手を表しているそうです。
梵鐘全体にはいかにも岡本太郎と云わんばかりのレリーフが施されています。
 寺務所前あたりの庭石の陰に龍が潜んでいました。
 久国寺本堂全景。
歴史は古く、1596年~1615年(慶長年間)に、長国守養が松平家菩提寺の法蔵寺より家康の守護仏を貰い受け楠山久国寺として創建されたもの。1662年(寛文3)に現在地に移設、名古屋城の鬼門除けとした。
戦災で焼失し、現在の伽藍はその後再建されたものですが、現在の周囲の環境から見ると街中にあって大きな境内を持つお寺です。

 久国寺は大名古屋十二支と呼ばれる、名古屋市にある十二支に因む守護仏を廻る札所の一つとなっていて、子年の今年の守り本尊は久国寺の「聖観世音菩薩」。
その他にも尾張第三十三観音29番、東海百観音29番、名古屋百観音94番の札所となっています。
色々な札所があるものです。
 建物は戦後再建されたものですが、本堂に吊るされた風鐸や瓦屋根の落ち着いた佇まいは風格のあるものです。
 久国寺
山号 / 天長山 
宗派 / 曹洞宗
創建 / 1596年~1615年(慶長年間)
本尊 / 聖観世音菩薩
住所 / ​名古屋市北区大杉3丁目2-27
公共交通機関アクセス /  名鉄瀬戸線「尼ケ坂」駅下車、北西に徒歩10分程

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