『八王子神社』

宝生寺​の北を流れる赤津川(矢田川)を渡り、右岸の堤防道路を上流に向け進んで行きます。
 堤から見る赤津川、河原は意外に広いけれど水面は意外に高いところを流れています。
長年の土砂の堆積で川底は結構上がっているようです。
 堤を進むと水無瀬川という小さな支流が現れます。
堤はそこから水無瀬川沿いに続いていきます。
次の目的地美濃池町の「八王子神社」は正面に見える橋を左に入ってすぐです。
 左を見れば右手に社号標と鳥居が目に入ると思います。
参拝駐車場としてはありませんでした、車は堤防沿いに置いて徒歩で向かいました。
 社頭全景。
周囲は住宅が立ち並び、鳥居の幅に合わせ参道が奥に伸びています。
その奥は境内が広がり、拝殿が見えています。
 美濃池町八王子神社境内。
左に参集殿が建ち、正面に大きな木々に包まれて社殿が佇んでいます。
 参道左の由緒が建てられ、この神社の歴史を伝えています。
「八王子神社」
天照大御神と須佐之男命が行った誓約の際、十拳剣から生まれた三姉妹の女神、多紀理毘売命・多岐都比売命・市寸島比売命と五百箇の御統の珠から生まれた五柱の男神、正膳吾勝々速日天忍耳命・天穂日命・天津日子根命・ 活津日子根命・熊野久須毘命を祀ります。
 拝殿左の手水鉢と石灯篭(明治19)、右にご神木。
シャープな外観の拝殿は瀬戸市の案内には銅板葺で大正6年に建替と記載があったけれど、それ以降に建て替えられているように見えるほど綺麗。
 八王子神社全景。
小ぶりな狛犬の先に石垣が高く積まれ、周囲を塀で囲まれた中に流れ造りの本殿が見える。
 八王子神社の狛犬、細部に彩色が施された小さいけれどお洒落な面々。
 本殿域
外周からは見えなかったけれど、本殿両脇に板宮造りの小さな社が二つ祀られています。詳細は分かりません。流造の本殿には五男・三女が祀られます。
 境内の右に複数の石碑が並んでいます。
右のとんがり石は、霊神碑、中央の大きいものは御嶽山大権現、その左が金毘羅大権現、その左が痔塚神社。
痔塚神社?、名東区香坂の個人の庭に同じ社名の神社があるけれど同じということだろうか。
長久手の合戦に所縁があるのだろうか、単にあちらの神様なのだろうか?気になる。
一番右の碑はアップを撮ったつもりが残っておらず、忘れてしまいました。
 本殿北側は公園になっており、この一画に土地改良碑が建ち、土地改良の苦労が刻まれている。
 八王子神社の創建は1394~1427年(応永年間)の創建とされ。
今村城主松平広長の重臣稲垣広茂が1573~1592年(天正年間)にこの地に土着し、この社を氏神として崇敬した事が始まりとされる。
これまで幾度か改築再建が繰り返され、明治後期には熱田神宮の末社を譲り受け社殿としたとある。
1913年(大正2)に社拝殿、神殿周囲の塀や神門が新改築されますが、伊勢湾台風で被害を受け、1963年(昭和38)に社拝殿が再建。
その後も参集殿や鳥居等、氏子の方々の支援により現在の姿を維持している。
 境内から社頭の眺め。
環境も変わり、周囲は静かな住宅地が広がります。
 周囲は随分変貌したけれど、氏子に囲まれて鎮座する姿は正に美濃池町の氏神だ。

美濃池町『八王子神社』
建立 / 1394~1427年(応永年間)
祭神 / 多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命、正膳吾勝々速日天忍耳命、天穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命
例祭  /  10月15日直前の日曜日
住所 / 愛知県瀬戸市美濃池町127
アクセス / 八幡社⇒本地城⇒本地大塚古墳⇒宝生寺⇒『秋葉三尺坊大権現・御嶽社・笠松と権道路』⇒​大黒社⇒八王子神社​​​(大黒社から車で5分程)

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