『善光寺』『蛭子社』

前回掲載した『大神社』から大門に向け参道を進む。
朱色で彩られた二層の粉河寺「大門」が間近に迫り、両脇の金剛力士の姿もはっきり見えてきます。 大門の左右に二つの寺社『善光寺』と『蛭子神社』が鎮座しています。

大門の左に鎮座する瓦葺寄棟造の『善光寺』とその右に小さな堂があります。

拝所の上部に絵が描かれ、解説板もあるようなので道草してみました。

『善光寺』解説板と思いきや、残念ながら大門の解説。

周りを見回しても善光寺に関する解説はないようです。

額の揮毫は色褪せ読み取りにくいけれど「善光寺」で間違いないようです。

虹梁、斗栱などに彩色されていたようですが、褪色が著しく何が描かれていたか分からない。

唯一正面に羽衣をまとった天女?が描かれているようです。

善光寺について粉河寺の塔頭寺院なのか含め調べてみましたが詳細は分かりませんでした。

現状を見る限り塀などはなく、自然な形で粉河寺の一部として溶け込んでいます。

「そこに貼るか」と思うような場所に貼られた千社札と退色した天女の絵が印象に残っています。

『善光寺』右隣りの小さな堂が『地蔵堂』

堂内安置の素朴な顔立ちの石地蔵。

年代は不明、石材に劣化が見られないので意外と新しいものなのかも知れません。

石地蔵の隣に写真の大きな石が安置されています。

上部に何か文字が刻まれているようにも見えなくもないが・・・・・気のせいか

『善光寺』

創建 / 不明

本尊 / 不明

住所 / ​和歌山県紀の川市粉河​

 

善光寺から参道を隔て向かいに鎮座するのは『蛭子社』

参道に面し石明神鳥居があり、拝殿は入母屋で千鳥破風が施されている。

右手の社号標は蛭子神社、扁額は蛭子社とあり、和歌山県神社庁で検索してみたけれどどちらもヒットしませんでした。

ここでは「蛭子社」としておきます。

]こちらの由緒など詳細は分かりません。

『紀伊続風土記』の一文に「旧那賀郡粉河荘粉河村に鎮座し、江戸時代後期の社号を「衣比須社」称す」とだけ記されています。

紀伊続風土記が1839年(天保10)に纏められたとされ、神社の形態は分かりませんが当時には既に鎮座していたようです。

社名から祭神は事代主命を祀るようです。 普段はこうして静かな佇まいを見せていますが、1/10の粉河十日戎は餅撒きもあり、地域のみならず周辺からも多くの参拝客が訪れるようです。

拝所から眺める本殿は形態がよく見て取れませんでした。

よく見えたのは天井の千社札、どうやって貼るもんだか見てみたいものです。

「蛭子社」

創建 / 1839年(天保10)以前

祭神 / 事代主命

住所 / 和歌山県紀の川市粉河

公共機関アクセス / ​JR和歌山線「粉河」下車北へ徒歩15分程​

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