「大和國一之宮大神神社」

 『大神教本院』から大鳥居沿いに大和國一之宮大神神社へ。


参道を横切る桜井線の踏切を越えてニノ鳥居に向かいます。

やがて左に大量の樽が見えてきます、「大神神社酒殿」ここまで来るとニノ鳥居も目前。
まだまだ飲んだことのない銘柄の多い事。

大神神社ニノ鳥居。
左の社号標は人と比べるとその大きさがイメージできよう、大和国一之宮の風格が伝わってきます。

ニノ鳥居をくぐり境内を進みます、コロナ禍とはいえ参拝者が途切れることはありません。

参道に架かる新橋の左に人が集まっています。

「祓戸神社」
まずは祓戸四柱の神に参拝し、穢れを清める。
祭神 / 瀬織津姫神、速秋津姫神、伊吹戸主神、速佐須良姫神

夫婦岩を過ぎ、目の前の石段の先に拝殿が見えてきます。

石段を上ると左に手水舎
三輪の7本杉のひとつ「しるしの杉」と呼ばれる御神木(株のみ)、手水鉢に清水を注ぐのはとぐろを巻いた蛇。
大きな樹には白蛇はつきものだ、この境内には何匹の白蛇がいることやら。

大神神社境内案内図、御神体である三輪山。
そこに多くの摂末社が点在し、ササッと訪れ参拝するには広すぎる。

拝殿
現在の姿は1664年(寛文4)徳川家綱により再建されたものと云われ、この拝殿の先にあるべき本殿はない。
三輪山そのものをご神体とする大神神社には本殿がなく、拝殿を通して三輪山そのものを拝む原初の神まつりの姿を留めています。

訪れたのが6月末、拝殿前には大きな茅の輪。
杉、松、榊と神霊の宿る霊木が飾られたこの輪をくぐる事で無病息災を祈願するもの。

拝殿からその奥にある三ツ鳥居を通し、大物主大神が鎮まる三輪山を拝する。
三輪山は大黒様の人を幸せにする幸魂と、知性の奇魂が宿る、御神体の三輪山そのものを崇める。
我国最古の神社とされ、この拝殿の先に本殿はなく、拝殿奥の三つ鳥居を通して三輪山を拝む原初の神祀りの姿を今も伝える。

大和國一ノ宮
三輪明神 大神神社
御祭神 大物主大神
配神 大己貴神、少彦名神

この地は大和の文化発祥の地とされ、山の辺の道や最古の市とされる海柘榴市(つばいち)等、政治・経済・文化の中心として栄え、大神神社は皇城鎮守神の明神大社22社の一つとして奉幣を受け、中古より大和國一ノ宮として崇敬されている。

勅使殿から拝殿からの眺め、左の御神木は「巳の神杉」と呼ばれる樹齢500年と云われる杉の巨木。
大物主大神の化身とされる白蛇が棲むとされる。

現在の社殿は1992年から始まった平成の大造営により、1997年に儀式殿、参集殿、祈祷殿を築造、1999年に三ツ鳥居(重要文化財)と拝殿が保存修理の手が入れられたもの。

勅使殿から右に進むと左に末社「神宝神社」の鳥居。

参道の傍らに解説板。

神宝の名が示す様に古くよりお宝・財物を守護する神として崇敬されている。

祭神は家都御子神、熊野夫須実神、御子速玉神を祀る。

「天皇社」
三宝神社の右の小高い山の頂に鎮座します。

鳥居左に解説板。

石段を少し登ると視界は広がり「天皇社」が現れます。


祭神は三輪山の麓に都をおかれ、小さな国々を平定し大和朝廷の基礎を確立された第十代の崇神(すじん)天皇。

拝殿から左方向に進むと「宝物収蔵庫」と「祈祷殿」、「狭井神社」へと続きます。

1997年に建てられた「祈祷殿」、日々の祈祷や結婚式を奉仕する施設。

久すり道(くすり道)
狭井神社へ続く緩やかな登り坂が続く参道。

三輪山登拝は社務所に申し込み、決められたルールを順守することが求められます。
参道脇には薬業関係者により奉納された薬木や薬草が植えられています。

「狭井神社」鳥居。

鳥居脇の鎮女池に浮かぶ「市杵島姫神社」
桜井市茅原に鎮座する末社の富士・厳島社から勧請された神社で、祭神は素盞嗚大神の子で、水の守護神とされる市杵島姫命を祀ります。
安芸の宮島のご祭神として、七福神の中で福徳財宝、芸能を司る神様として親しまれています。
5月下旬から6月上旬にかけて境内のささゆり園のささゆりが見頃を迎えます。
この辺りの水辺でも見られ、神社に彩りを与えてくれる。

摂社「磐座神社」
背後に鬱蒼とした杉の樹が迫る神秘的な空間、鳥居の先に社殿はなく、玉垣で囲われた中の岩(磐座)をご神座として祀る。
祭神は「神農さん」とも呼ばれる薬の神様、少彦名神を祀る。

「狭井神社」
正式には狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわのあらみたま)神社と呼ばれ、大神神社の荒魂を主神に大物主神、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)、勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)、事代主神を祀ります。
創建は垂仁天皇の時代の創建されたと伝わるそうです。


入母屋檜皮葺の拝殿と春日造りの本殿の伽藍。
こちらに参拝する目的の一つに、拝殿左奥にある井戸(薬井戸)から湧き出る霊泉でしょう。

病気平癒、身体健康の神様として信仰が篤い神社、そこに湧き出る霊泉は様々な御利益があり、それを授かりに訪れる。
井戸の周囲は狭いけれど、コップも用意されています、立ち寄って御利益を授かってはどうでしょう。
ここからだと本殿の姿も窺うことができます。

「狭井神社」を後に久延彦神社方向の展望台に向かいます。


展望台は恋人の聖地と称するようですが、ネーミングはともかく、ここから見下ろす三輪の街並みと、そこにそそり立つ大鳥居の光景は恋人でなくとも立ち寄ってみても損はない。


久延彦神社の外れにある遥拝所、傍らにフクロウの絵馬が掛けられています、その数はすさまじい。

「久延彦神社」拝殿


末社『久延彦神社』
知恵の大神
祭神は久延毘古命をお祀りする、「世の中の事を全て知る知恵が優れた神様」
なので知恵や学問向上、合格・就職成就の徳を授かりに訪れ、そしてフクロウの絵馬に願をかける。
久延毘古命も大変だ、黄金色の稲穂が実る田んぼの中でのんびりしたいのではないだろか。

摂社「若宮社」
久延彦神社正参道から山の辺の道を右に進み、右手に株だけになってしまった「おだまき杉」が現れるとそこが「若宮社」、直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)とも呼ばれ国の重要文化財に指定されています。

線の太い姿の鳥居前の狛犬。
写真で大きさは伝わらないと思いますが、台座の上の彼らは見上げる様な高さにある。
境内右手に小さな池があり、訪れた時には睡蓮の白い花が咲き誇っていました。
その先には小さな社。

末社「琴平神社」
祭神は大物主神を祀ります。

末社「御誕生所社」
社務所の右に鎮座し、「磐座神社」同様に鳥居の先に本殿はなく磐座が祀られています。
鴨津美良姫命を祀ります。

「御饌石」
お正月の御神日祭り際、正面にある岩に久延彦神社に神饌を供えたり、ここから大神神社を遥拝する場所として使われる。

拝殿正面。
外観は拝殿と云うより本堂の方がマッチする。
明治の神仏分離以前までは大神神社の神宮寺「大御輪寺」であった。
現在は大神神社の摂社として「若宮さん」として崇敬されています。

祭神は大物主大神の子孫で大直禰子命で、 少彦名命と活玉依姫命の二柱を配祀しています。
神宮寺当時の本尊の十一面観音像(国宝)は現在聖林寺に安置されているそうです。

「若宮社」から正面に進めば目と鼻の先がニノ鳥居。
素の道すがらで見かけたお堂、寺号標がある訳でもなく「馬場木村のお地蔵さん」とあるだけ。
ボケ封じ、脳天地蔵かぁ、中に入りたいとこですが、ここで道草をする訳にはいかない。
かみさんを追いかけねば。

大神神社の参拝は以上で終わり、行きたかった神社もありますが、帰りの時間を考えるとこれ以上は回れません、ニノ鳥居に戻ります。

「大和國一之宮大神神社」御朱印

「大和國一之宮大神神社」
住所 / ​​奈良県桜井市三輪1422
公共交通機関アクセス(名古屋より) / 近鉄名古屋駅⇒名張駅⇒近鉄大阪線⇒桜井駅⇒JR桜井線「三輪」駅下車
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