熱田神宮清雪門

 2020/10/30、熱田神宮に参拝

前回チャリで訪れた際には補修中だった「清雪門」の工事が終わり全貌を見せている。
そんな話を聞き補修後の姿を見る目的で参拝に訪れた。

今日はお仕事前に少し早起きして車で訪れた。
いつもの様に正門(南門)一の鳥居の右にある脇参道から「清雪門」へ向かいます。


その昔熱田神宮には「清雪門」の様な門が4つあったと云われ「神宮四門」と呼ばれていました、清雪門はそのうちの一つ。
「清雪門」以外の三つの門は海上門(正門)、春敲門(東門)、鎮皇門(西門)と呼ばれ、何れも国宝に指定を受けますが、先の大戦による空襲で完膚なきまで叩かれ、社殿を含め三門(上図赤丸)は焼失。
失った三門は後に鳥居へ姿を変えますが、瓦礫と化した境内に唯一被害を免れたのが北門の「清雪門」。
この門は何か持っているのかもしれない。

赤い流造の南新宮社から参道を北に進む。
前回訪れた際はシートに覆われていたけれど、修復の手が加えられシートが取り除かれた「清雪門」が姿を現す。門の左手に椛があるけれど、門に彩りを添えるには程遠い。

「清雪門」は本宮の北門ともいわれ、不開門(開かずのもん)とも云われています。
その経緯については草薙剣盗難事件が発端とされます。
天智天皇7年(668年)神剣を盗み新羅(大陸系)に持ち出そうとした僧が、この門から逃げ去ったといわれる、しかし新羅への逃走途中で風雨に遭い道行は舞い戻ってきたという。
以来、神剣が再び遷ることのないように、この門は不吉の門として門を閉ざしたといわれます。

「清雪門」解説
「本宮の北門と伝えられ、俗に不開門(あかずのもん)といって堅く閉ざされている。
天智天皇7年(668年)故あって皇居に留まられた神剣が朱鳥元年(686年)再び当神宮に納められた折、二度と御動座なきよう門を閉ざしたという故事による。」

毎年5月に執り行われる神事「酔笑人神事」の舞台ともなり、御神体の草薙神剣が熱田神宮に還った故事を今に伝える神事です。

朱鳥元年(686年)に再び神剣が熱田神宮に還座した際、皆がこぞって喜んだ様を今に伝えるもので、灯の消された境内の影向間社、神楽殿前、別宮前、清雪門前の四ヶ所で、悦びを込めて高笑いをする珍しい神事だという。
喜び笑う様から「オホホ祭り」とも呼ばれるそうです。

塀は瓦を挟み油を含ませた土により作られた信長塀と酷似、というか時間軸ではこちらが先。
信長塀が「清雪門」の塀に似ているというべき。
素朴で趣のある門の佇まいに貢献している。

門が閉ざされ、神職すら入る事を禁じられた「清雪門」、この先も二度と開け放たれる事はないだろう。

2020/10/30

熱田神宮清雪門


住所 / ​名古屋市熱田区神宮2
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