飛騨國二之宮 『久津八幡宮』 岐阜県下呂市萩原町
飛騨川沿いに続く国道41号線を「飛騨萩原」から飛騨川左岸を10分程高山方向に向かう。
国道と並行して伸びるJR高山本線の脇に鎮座するのが飛騨國二之宮『久津八幡宮』
国道から高山本線を踏切を越えると右手に参拝者駐車場、その先に境内が広がります。
駐車場から続くこの参道、拝殿の向きからすると脇参道なのかもしれない。
左が社務所のようです。
鳥居をくぐり拝殿と右に手水舎。
境内の手水舎、手水鉢
境内伽藍
上 拝殿
下 中央から幣殿と本殿、左の鳥居は美魂神社で鳥居の左右に杉の巨木が聳えています
こちらが正参道ですね、鳥居前に社号標と狛犬、正面に拝殿。
社頭を高山線の線路が横切っています。
あらら遮断機が下りてしまった。
社頭を守護する狛犬
吽形は子持ち、阿形は玉を持っています。
境内右隅に社号標が二つ、左が県社の社号標、右が郷社の社号標。
拝殿(重要文化財)
入母屋杮葺きの屋根は軒先に向かって美しい曲線を描き、縦横の比は安定感のある優雅な佇まい。
1581年(天正9)とされ、益田の国領主、三木自綱の命で普請奉行に小林正左衛門、舩坂弥次右衛門、内記喜助を任命し、桜洞住民で飛騨の匠の流れを汲む桂川孫兵衛を棟梁として建立されたもの。
この拝殿正面の軒下には「水呼ぶ鯉」と呼ばれる鯉の二つの作り物が左右に施され、火難除けの守護を務めています。その左右には矢も描かれています。
現在の鯉は1854年(嘉永7)の大修理の際に取り付けられたもの。
鯉と↑が書かれた看板がなければ気付くことはないでしょう。
上
水を呼ぶ鯉の昔話の解説、どうやら鯉は必要以上に仕事し過ぎたようです。
下
鯉の左右に付けられた矢はそれを鎮めるために後から付けられたようです。
幣殿
1827年(文政10)に再建され、その後、明治、大正、昭和と大改修を受けたもの。
幣殿前の狛犬、こちらも子持ち玉もち。
上
久津八幡宮由緒
祭神は應神天皇、天照皇大神、春日大神を主神とし仁徳天皇をはじめ八柱の大神を配祀する。
仁徳天皇六五年(377)勅命により難波子武振熊命が飛騨国の両面宿儺を征討の途次應神天皇の霊を奉祀したのを創祀とし、平治の乱(1159)役募兵のため飛騨に入国した源義平が鶴岡八幡宮の神霊を勧請奉斎したのを當宮の鎮座とする。
その役応永一九年(1412)飛騨国領主白井太郎俊國が現在の本殿を再建、天正九年(1581)飛騨国領主三木自綱が現在の拝殿を建立した。
以後飛騨国藩主金森氏や幕府の代官、郡代により修理造営が行われてきている。
古くから飛騨二の宮南飛騨総鎮守と称され、飛騨国中はもとより越中、美濃からも厚く崇敬されている。
天然記念物
夫婦杉雄杉と雌杉、周囲12.5㍍樹齢1500年
配祀祭神
倉稲魂神、火産霊神、大山祇神、須佐之男命、事代主神、磐長姫神、久久能智神、菅原道真
下
久津八幡宮所蔵の宝物
幣殿右に本殿への参拝順路の案内板。
幣殿から本殿方向へは右に参道が整備されています。
本殿
1412年(応永12)、飛騨の国領主、白井太郎俊国が祈請により、家臣の山下作右衛門友貞を普請奉行にして、美濃の武沢茂右衛門利久を棟梁として再建された、杮葺き屋根の流造。
南側の蟇股には「鳴いた鶯」の伝説が伝わる彫が施されています。
鳴鶯の蟇股
むかし、むかし一人の男が夏の暑いなか歩いて久津八幡様で休憩をしている内にうとうとと眠りについてしまった。
しばらくすると小鳥のさえずりが聞こえてきました、せっかく寝付いたのにやかましいと云いつつ森に向かって小石を投げるとぴたり鳥のさえずりが静まったが、ホーホケキョ〃〃と鳴くウグイスの声だけはいっそうはっきりと聞こえてきました。
男は鳴き声の方へ歩いて行くと不思議な事に本殿の軒下の木彫りのウグイスから聞こえていました。
男は小石をその木彫りのウグイスに投げつけるとパッタリとやみ、ただ木の葉を渡る風の音だけがサラサラ聞こえていたと。
男は慌てふためいて境内を飛び出し村人にこの出来事を話したと、このときからや、軒下の二羽の鳥の彫り物を鳴いたウグイスと呼ぶようになった。
この彫物が鶯なのかはともかく、人が思いを込め作ったものには何か不思議なものが宿るのかもしれない。
本殿から拝殿の眺め。
上
美魂神社境内に左右に聳え立つ夫婦杉の偉容。
老木で割れもありながら今も青々としている。
下
美魂神社
この一帯の戦没者をお祀りする。
夫婦杉から見た本殿。
流麗な流造の姿が良く見る事が出来ます。
上
境内に一際目を引く巨大な夫婦杉、それ自体がこの神社の歴史で、不思議な鯉や鶯の昔話もそれを物語っている様です。
下
社頭の高山線と国道、そのすぐ右には飛騨川が迫っています。
近年の異常な降雨による河川氾濫は、今年は飛騨川水系にも大きな被害を与えました。
恐ろしい側面を持つ川は反面で実りをもたらしてくれます、生活と川は密接な関係です、それがこの距離感なのかも知れませんが、ここはあの2本の矢が水を鎮めてくれている。
202/9/28
飛騨國二之宮 『久津八幡宮』
創建 / 377年(仁徳天皇65)
祭神 / 應神天皇、天照皇大神、春日大神
配祀祭神 / 倉稲魂神、火産霊神、大山祇神、須佐之男命、事代主神、磐長姫神、久久能智神、菅原道真
水を呼ぶ鯉の昔話の解説、どうやら鯉は必要以上に仕事し過ぎたようです。
下
鯉の左右に付けられた矢はそれを鎮めるために後から付けられたようです。
幣殿
1827年(文政10)に再建され、その後、明治、大正、昭和と大改修を受けたもの。
幣殿前の狛犬、こちらも子持ち玉もち。
上
久津八幡宮由緒
祭神は應神天皇、天照皇大神、春日大神を主神とし仁徳天皇をはじめ八柱の大神を配祀する。
仁徳天皇六五年(377)勅命により難波子武振熊命が飛騨国の両面宿儺を征討の途次應神天皇の霊を奉祀したのを創祀とし、平治の乱(1159)役募兵のため飛騨に入国した源義平が鶴岡八幡宮の神霊を勧請奉斎したのを當宮の鎮座とする。
その役応永一九年(1412)飛騨国領主白井太郎俊國が現在の本殿を再建、天正九年(1581)飛騨国領主三木自綱が現在の拝殿を建立した。
以後飛騨国藩主金森氏や幕府の代官、郡代により修理造営が行われてきている。
古くから飛騨二の宮南飛騨総鎮守と称され、飛騨国中はもとより越中、美濃からも厚く崇敬されている。
天然記念物
夫婦杉雄杉と雌杉、周囲12.5㍍樹齢1500年
配祀祭神
倉稲魂神、火産霊神、大山祇神、須佐之男命、事代主神、磐長姫神、久久能智神、菅原道真
下
久津八幡宮所蔵の宝物
幣殿右に本殿への参拝順路の案内板。
幣殿から本殿方向へは右に参道が整備されています。
本殿
1412年(応永12)、飛騨の国領主、白井太郎俊国が祈請により、家臣の山下作右衛門友貞を普請奉行にして、美濃の武沢茂右衛門利久を棟梁として再建された、杮葺き屋根の流造。
南側の蟇股には「鳴いた鶯」の伝説が伝わる彫が施されています。
鳴鶯の蟇股
むかし、むかし一人の男が夏の暑いなか歩いて久津八幡様で休憩をしている内にうとうとと眠りについてしまった。
しばらくすると小鳥のさえずりが聞こえてきました、せっかく寝付いたのにやかましいと云いつつ森に向かって小石を投げるとぴたり鳥のさえずりが静まったが、ホーホケキョ〃〃と鳴くウグイスの声だけはいっそうはっきりと聞こえてきました。
男は鳴き声の方へ歩いて行くと不思議な事に本殿の軒下の木彫りのウグイスから聞こえていました。
男は小石をその木彫りのウグイスに投げつけるとパッタリとやみ、ただ木の葉を渡る風の音だけがサラサラ聞こえていたと。
男は慌てふためいて境内を飛び出し村人にこの出来事を話したと、このときからや、軒下の二羽の鳥の彫り物を鳴いたウグイスと呼ぶようになった。
この彫物が鶯なのかはともかく、人が思いを込め作ったものには何か不思議なものが宿るのかもしれない。
本殿から拝殿の眺め。
上
美魂神社境内に左右に聳え立つ夫婦杉の偉容。
老木で割れもありながら今も青々としている。
下
美魂神社
この一帯の戦没者をお祀りする。
夫婦杉から見た本殿。
流麗な流造の姿が良く見る事が出来ます。
上
境内に一際目を引く巨大な夫婦杉、それ自体がこの神社の歴史で、不思議な鯉や鶯の昔話もそれを物語っている様です。
下
社頭の高山線と国道、そのすぐ右には飛騨川が迫っています。
近年の異常な降雨による河川氾濫は、今年は飛騨川水系にも大きな被害を与えました。
恐ろしい側面を持つ川は反面で実りをもたらしてくれます、生活と川は密接な関係です、それがこの距離感なのかも知れませんが、ここはあの2本の矢が水を鎮めてくれている。
202/9/28
飛騨國二之宮 『久津八幡宮』
創建 / 377年(仁徳天皇65)
祭神 / 應神天皇、天照皇大神、春日大神
配祀祭神 / 倉稲魂神、火産霊神、大山祇神、須佐之男命、事代主神、磐長姫神、久久能智神、菅原道真
住所 / 岐阜県下呂市萩原町上呂2345-1
公共交通機関アクセス / JR高山線「飛騨萩原」駅から高山方向へ25分程
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