愛知県春日井市柏井町 「八幡社」

 春日井市柏井町「八幡社」

過去に掲載した松新町の「八幡社」から車で北に5分程、国道19号線の南に当たり、勝川市立小学校の東に鎮座する神社。

社頭は県道508号線の西の一方通行の道路に接しており、社地の西の通りに無料の参拝者駐車場があります。

西側の通りから境内駐車場に車を停めさせてもらい、上の社頭に戻って境内を進むことにします。

社頭より境内を眺める、下街道の北筋にあたり、以前は水田が広がっていたこの地域、今や田畑は消え住宅が広がり、その中に緑豊かな杜が残る、その姿はあたかも島の様です。
社頭は南向きで、右側に「八幡社」の社号標、石の神明鳥居の先から参道は杜に消えていきます。

鳥居の先に狛犬が一対。

年号の確認はしていないけれど、苔むして緑色にそまった姿は貫禄が漂う。

参道を守護する狛犬。

参道は先で二手に別れ、左が駐車場、手水舎は右方向に進みます。

右方向に進んだ左に社殿域が広がります。

境内の由緒碑
神社名 八幡社
鎮座地 春日井市柏井町2-31-1
祭神 / 品陀和気命(応神天皇) 、大帯日子游斯和気命(景行天皇)、建速須佐之男命、天照大神
境内末社 / 天神社、秋葉社、津島社
由緒
当神社は、古くは下條村に鎮座せる柏井の庄、下条村、上条村、松河戸村、中切村の総鎮守であった。
縁起書に寛文11年(1671)この地に遷座せりと記されてる。
翌12年領主竹腰山城守(尾張藩城代家老)より年貢、使役の境内地除地を認められ、元禄12年(1699)の棟札に、各村からの寄付により社殿再建とある。
明治40年供進使指定社となる。
大正3年、字前田(現徳農地区)八幡社と字北(同地区)神明社を合祀。
この神明社は享保12年(1727)八田与吉この地を開墾し、八田与吉新田と呼ぶ土地となる。
この人野辺にあった当社を移し再建したとされる。

手水舎

ここから東に脇参道が続き、社地東の県道508号線に繋がっています。

手水舎前に瓦葺の切妻、妻入りの建物、手前に蕃塀があり妻飾りや木鼻など意匠が施されている。
よく分からない。

社殿全景
右の鳥居は境内社の天神社、秋葉社、津島社。
そこから左が拝殿でそこから渡廊、社務所に繋がっている。
杜に包まれた本殿は見通す事が出来ませんでした。

石の明神鳥居の先に玉垣で囲われ、石垣が高く積まれた本殿域には社が二つ。

神域右には可愛い表情の撫で牛とその先に小ぶりな狛犬が二社を守護している。

本殿
右が天神社、左の外削ぎの千木と5本の鰹木が施された社は津島社と秋葉社の相殿。

拝殿全景
瓦葺の切妻妻入り拝殿、木の色合いは落ち着いた趣の社殿に良くあっている。

拝殿の妻飾りも派手さはないけれど手が掛けられています。
拝殿内から本殿方向の眺め、コンクリート造りにはない温もりが漂う、奥の幣殿までは随分と奥行きがあるようです。

社務所全景。
当日は宮司をお見掛けすることは出来ずお話は聞けなかった。

社務所左の奥に春日野部屋稽古場があり宿舎になっています。
折しもこれを書いている時は大相撲名古屋場所が開かれています。
今頃は幟も建ち、ここで稽古する力士や周辺でも力士の姿が見かけられることでしょう。

県道508号線沿いの脇参道、県道沿いに玉垣が続き、その木々に包まれた東の高みに忠魂碑が建つ。


県道508号線から見る忠魂碑、バス停の直ぐ後方にあり、移り変わるこの地の姿を見届けているようでもある。

柏井町「八幡社」、古くは下条村、上条村、松河戸村、中切村一帯の総鎮守だったというだけに立派な社殿と社地を持つ神社だった。
2021/5/22

柏井町「八幡社」
創建 / 不明
祭神 /   品陀和気命(応神天皇)
境内社 / 天神社、秋葉社、津島社
所在地 / ​春日井市柏井町2-31-1
公共交通機関アクセス / JR勝川駅下車、北へ徒歩で15分程
八幡社HP  /   http://kashiwai-hachimansha.com/sanpai.html
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