知多四国八十八箇所霊場六十一・六十二・六十三・六十四・六十五番札所巡り
2021/11/20
知多四国八十八箇所霊場を巡りに常滑方向に出かけてきました。今回は六十一・六十二・六十三・六十四・六十五番札所を巡る約10㌔のルート。
この二年程はまともに歩かなかったこともあり多少不安な距離。
当日は快晴、この日を逃すと気温は下がり天気も崩れる予報だった。
常滑駅から歩き始め、県道252号線を南下し大落川に架かるいちば橋の手前で上流に向かいます。
歩きなので苦にはなりませんが、大型の四駆などで踏み入れてはいけない場所です。
情緒のある大落川沿いの道筋を数分歩き、小さな橋が見えればその左が「知多新四国八十八箇所霊場六十四番札所宝全寺」、常滑街道沿いに玉垣と石柱門が建っています。
お寺に玉垣というのは何となく神仏習合の名残を感じます。
知多新四国八十八箇所霊場六十四番札所 世昌山 宝全寺
創建は1573年(天正元年)と云われる曹洞宗のお寺。
伽藍は正面に寄棟瓦葺の本堂、境内右側にいぼ取り、がん封じに御利益があると云う地蔵尊を安置する小堂、左に三十三観音堂と十王堂、秋葉三尺坊大権現堂、むくり屋根の向拝を持つ弘法堂、その奥に天狗瓦の乗った金毘羅堂、左に三宝荒神様を祀る小さな祠と、さほど広くない境内に盛りだくさんの堂が並んでいます。
現在こちらの住職は体調を崩されているようで本堂は施錠され、手書きの解説だけが至る所に張り出されています、かみさんの話では納経印も自分で押してきたそうだ。
車の場合、石柱門の右に駐車場が用意されています。
とはいっても周辺の路地は狭く、譲る気持ちが無ければ車で訪れるのは避けた方がいいかもしれない。
知多新四国八十八箇所霊場六十四番札所
世昌山 宝全寺
創建 / 創建は1573年(天正元年)
宗派 / 曹洞宗
所在地 / 常滑市本町2-248
次は宝全寺から右に、常滑街道を少し南下して知多四国八十八箇所霊場六十二番札所 洞雲寺に向かいました。
宝全寺から少し歩くと橋の袂に「陶と灯の記念碑」とからくり時計が現れます。
このあたりからほぼ20分程歩き、道路左側に樹々の生い茂る小高い丘が洞雲寺です。
入口は丘の手前を左に進むと石柱門と奥に本堂が見えます。
こちらのお寺、猫の姿をした「ねこ大師」で知られる様になりそれを拝みに訪れる方も多いようです。
弘法堂は本堂の正面にある丘の頂です。
頂きには右に弘法堂、左に稲荷大明神、忠魂碑などがあります。
西山浄土宗の洞雲寺は1555年(弘治元年)善海法師の創建で本尊は阿弥陀如来座像。
この像は織田と今川の兵火から逃れるために池や田畑に埋められたものらしく、後に池を改浚の際に見つけられたものでこれを本尊として創建されたのが洞雲寺だという。
この木造の阿弥陀如来座像は常滑市の指定有形文化財に指定されているそうです。
訪れる参拝客が多い印象を受けました、駐車場も完備しアクセスしやすく、ねこ大師の効果もあるのかもしれない。
知多四国八十八箇所霊場六十二番札所
御嶽山 洞雲寺
宗派 / 西山浄土宗
創建 / 1555年(弘治元年)
開基 / 善海法師
本尊 / 阿弥陀如来座像
所在地 / 常滑市井戸田町2-37
次の目的地は知多新四国八十八箇所霊場六十一番札所 天台宗 御嶽山 高讃寺を目指しましたが、洞雲寺から20分程歩いたところで七社神社に出会い。ここで少しコースアウト。
常滑市西阿野半月263に鎮座する「七社神社」
細い路地は真っすぐに小高い丘に続き、社頭からは石段が伸びる。
社頭には「村社式外七社神社」の社号標と由緒書きがあり、内容は以下。
「七社神社
祭神 天照大神(天照皇大神宮)、伊邪那美命(熊野權現)、譽田和氣気命(岩清水八幡宮)、廣国押建金日命(藏王權現)、天児屋根命(春日大神)、菊理姫命(白山神社)、菅原道真公(天満宮)
例祭 4月15日、祈年祭 2月25日、新嘗祭 11月25日 月次祭 毎月1日
境内社:天王山津島神社、猿田彦神社、塩窯神社、厳島神社、金刀比羅社、白山社、山神社他 由緒:往
当社は往古七所明神と唱せしが1824年(文政7)七社明神に昇格、明治維新の際七社神社に決定、1872年(明治5)村社に列挌、1889年(明治40)神饌幣帛供進神社に指定された」
とある。
石段の先には境内が広がり一段高く石垣が積まれた神域が作られ、社殿と境内社が祀られていた。
七社神社
創建 / 不明
祭神 / 天照大神、伊邪那美命、譽田和氣気命、廣国押建金日命、天児屋根命、菊理姫命、菅原道真公
境内社 / 秋葉社、天神社、知立社、山神社、白山社、金刀比羅社、厳島社、塩窯社、猿田彦社、天王山津島社
所在地 / 常滑市西阿野半月263
今日は御供で来ているのでゆっくりする余裕もなく、参拝を済ませ失礼したが改めて参拝に訪れよう。
ここから5分も東に歩けば六十一番札所御嶽山 高讃寺です。
所在地 / 常滑市西阿野半月263
今日は御供で来ているのでゆっくりする余裕もなく、参拝を済ませ失礼したが改めて参拝に訪れよう。
ここから5分も東に歩けば六十一番札所御嶽山 高讃寺です。
七社神社から東に進み国道247号線を越えれば六十一番札所 天台宗 御嶽山 高讃寺の駐車場です。
石柱門から長い参道を進むと中ほどに仁王門、そこから更に先に本堂、弘法堂などの伽藍が広がる。
高讃寺の創建は古く、684年(白鳳12)天武天皇の勅願寺として行基により創建されと伝わり、最盛期には七堂伽藍、300坊を越え知多三山の一つに数えられという。
戦国時代には織田信秀と今川義元の兵火で伽藍の大半を焼失、その後も文禄年間や明治時代にも兵火や失火による焼失を経て、現在の姿となります。
参道途中の仁王門の仁王像は度重なる兵火を避けため池に沈められ、後に引き上げられたものだと云いいます。
余談 こちらの住職の口からも「今年は紅葉が宜しくない」と云われていた。
知多四国八十八箇所霊場六十一番札所
天台宗 御嶽山 高讃寺
創建 / 684年(白鳳12)
開山 / 天武天皇
開基 / 行基
本尊 / 聖観世音菩薩
所在地 / 常滑市西阿野字阿野峪71-1
ここから国道247号線沿いに約40分程北上します。
道は地味にアップダウンし、今回歩いた中で一番長い移動時間。
奥条7丁目交差点で左に向かい、目的地の知多四国六十三番札所 真言宗 大善院は右手の丘陵地です。
丘陵地の南垂れの斜面に鎮座する大善院。
境内で聳える大きな樹はイブキの樹、大善院のシンボルツリー。
入口に大善院、補陀洛山の石柱門が建つ、伽藍は石段正面の本堂、右に大師堂、庫裏、本堂左に赤い幟が山の頂に向かって立ち並ぶ補陀洛山中宮の伽藍。
大善院の歴史も古く684年(白鳳12)御嶽山三百坊が滅亡の時に本尊の十一面観音と不動明王、毘沙門天の三尊を大善院に移し奉安したそうです。
往時には六坊あったと云われ、大善院は本坊として常滑城の鬼門を守護して来た。
左の補陀洛山中宮の牛頭天王は常滑城城主水野家の氏神として崇敬されていたという。
本堂は方型の瓦葺……こちらのお寺も檀家減少の逆風を受けているのだろう、痛々しい姿を曝け出している。一般参拝客がもたらす収入は、朽ち果てる速さに追いつくことが出来ないのだろう。
こうした寺社は幾つも目にしてきたけれど、情報発信や積極的なアクションが遅れると荒廃の道を辿る。
常滑と云えば名の知られた企業が名を連ねている、利益の僅かでもそうした方向に還元されれば復旧も早いと思うのですが。
知多四国六十三番札所
真言宗 補陀洛山 大善院
創建 / 不明
開山 / 興覚法印
開基 / 養春上人
本尊 / 十一面観世音菩薩
所在地 / 常滑市奥条5-20
最後の目的地知多四国六十六番札所 曹洞宗 神護山 相持院へは大善院の丘陵地を上り、「とこなめ陶の森資料館」を右手に見ながら尾根沿いを歩けば15分程で到着です。
所在地 / 常滑市奥条5-20
最後の目的地知多四国六十六番札所 曹洞宗 神護山 相持院へは大善院の丘陵地を上り、「とこなめ陶の森資料館」を右手に見ながら尾根沿いを歩けば15分程で到着です。
大善院から北に続いた平坦な尾根が下り始めると、その先に見える丘が相持院の杜。
南側に知多四国六十五番札所の石標があり、そこから石段が上に続きます。
途中の山門は樹々に包まれ全体を望めなかったが唐破風と枓栱や木鼻等の彫は見応えがありました。
参道は常滑「やきもの散歩道」のBコースに含まれることから頻繁に人と出逢います。
石段を上り詰めると境内で正面に本堂、右手に納経所、庫裏、鐘楼堂、本堂左に稲荷社の伽藍。
神仏習合の香り漂うお寺です。
草創は不明、1560年(永禄3)、現在地から西500m程に鎮座する神明社の近くに曹洞宗・天沢院の末寺として鎮座していたそうだ。
廃仏毀釈の中で一時は世昌山 宝全寺に統合、1903年(明治36)西光寺として復興を遂げ、1921年(大正10)に相持院と寺号を改め、伽藍を整備したという。
樹々に包まれた境内の右に建つ鐘楼堂の梵鐘は「延命長寿の梵鐘」と呼ばれ知多半島最大のものだという。
知多四国六十五番札所
曹洞宗 神護山 相持院
開創 / 不明
開山 / 興覚法印
開基 / 養春上人
本尊 / 延命地蔵大菩薩
所在地 / 常滑市千代丘4-66
参拝を済ませ境内左手から更に北へ、やきもの散歩道の案内板があるように常滑の街中も近づいてきた。
そろそろ遅い昼食を摂りに西方向の常滑駅方向へ。
所在地 / 常滑市千代丘4-66
参拝を済ませ境内左手から更に北へ、やきもの散歩道の案内板があるように常滑の街中も近づいてきた。
そろそろ遅い昼食を摂りに西方向の常滑駅方向へ。
写真上は相持院から15分程西に歩いた住宅地の中で見かけた小さな祠。
祠の中には青面金剛らしき石像が安置されていたが詳細は分からなかった。
この辺りは過去に映画のロケ地として取り上げられ、昭和を感じさせる懐かしい情景が保存されています。
この祠からでんでん坂方向の古窯庵で蕎麦を食べに向かいました。
でんでん坂を上がり切った突き当りにある「古窯庵」
古民家をリノベした落ち着いた佇まいの外観、店内も梁剥き出しの天井のないジャズの流れる落ち着いたもので、座敷とテーブル席が用意されている。
ここで粗挽き細うちせいろ(880円)と天ぷら盛り合わせを昼食とした。
新そばの粗挽き細うちせいろは細うちとあるが、さほど驚くような細さではないものの、蕎麦の風味が口の中で広がり、妙にこだわって敷居も価格も高い蕎麦屋よりは良心的かもしれない。
出汁が自分には少し辛かったかな、蕎麦湯と合わせて丁度いい加減、美味しく頂けました。
古窯庵 常滑
所在地 / 常滑市栄町4-87
これで今日の知多四国巡りは終了、電車に乗って家路に向かおう。
歩行数は約19,000歩、歩行距離は13.4km、歩行時間は3.12時間。
高讃寺から大善院の約3㌔の道のりは見るものも少なく一番足に来た、鈍ってるネ。
今回のルートはこちら。
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