豊田市松平町 「松平東照宮」
2021/11/18
名古屋からでもひとっ走り、豊田市松平町の松平東照宮へ参拝。この辺り一帯は松平郷と呼ばれ、今からおよそ六百年前、この地に発祥した松平氏は三河を平定し天下太平の礎としました。徳川三百年の礎となった松平氏発祥の地がこの地。
松平東照宮へは国道脇の駐車場か、山に続く道路を奥に進むと東照宮脇の駐車場までスムーズにアクセスできます。国道脇の駐車場から10分も歩けば東照宮に辿り着ける距離です。
この時期は山々の紅葉を見がてら歩くのもいいかもしれない。(写真は松平郷 入口広場 駐車場)
駐車場から続く歩道沿いに建つ「笠掛けのかえでと見納めの井戸」この時期は山々の紅葉を見がてら歩くのもいいかもしれない。(写真は松平郷 入口広場 駐車場)
その昔、親氏が高月院を訪れる際にこのかえでに笠を掛け休息をした場所と云い、その時にあやめを摘んでいた水姫は井戸の水にあやめを添えて親氏に差し出した出逢いの場とされる。
(現在の井戸は水害により土砂で埋まり復元されたもの)
松平東照宮はこの井戸の正面に社頭を構えている。
松平東照宮の社頭と西側は堀が築かれ、色付いた落ち葉が水面に浮かび、周囲の紅葉が映り込み秋らしい趣のある光景を魅せている。
これらは関ケ原の合戦の後、松平太郎左衛門家九代尚栄によって築かれたそうだ。
松平東照宮社頭。
石の明神鳥居、境内に入り左に手水舎、社務所、社殿、松平郷館、更に右に産八幡の宮が主な伽藍。
額は「東照宮」
落葉が盛んなイチョウ、境内や手水舎を黄に染めている。
手水舎左に由緒書き。
「八幡神社、松平東照宮
祭神 誉田別命(八幡様)、徳川家康、松平親氏、他六柱。
例祭 4月17日より前の土曜(試薬祭、お水取り)、日曜(例祭・御輿渡御)
由緒 当社の歴史は古く、松平家氏神として若宮八幡を奉祀。
1619年(元和5)久能山東照宮から家康の分霊を勧請合祀、以降「松平の権現様」、「松平東照宮」と称す。立身出世の神、政治の守神、安産の神、厄除けの神として崇敬されている」
こちらの鉢は面白い。
この形は盥を模しているようで、盥に清水は満たされていない。
その下に視線を向ければ空の盥を苦悶の表情で支える力士がいる。
これで水が張られたら支えられるの?
松平郷開拓領主は、後宇多天皇(在位1274〜1287年)に仕えた公家の在原信盛と言い、この地に入郷したのは弘安年間(1278〜1287年)とされ、現在の松平東照宮境内に屋敷を構えたとされます。
信盛の子信重は、開拓を進め道を作り交通の便を図り、後に諸国を流浪しこの地に辿り着いた徳阿弥は信重の末娘水女の婿として家を継ぎ親氏(ちかうじ)と称し、徳川家の始祖松平太郎左衛門親氏の始まり。
ここ松平町は正にここから付いている町名。
松平郷最奥部の松平氏の菩提寺高月院には松平氏の墓所があり、松平親氏、二代泰親、四代親忠夫夫人の宝篋印塔が祀られています。
松平東照宮拝殿全景。
入母屋造、平入の瓦葺の拝殿は東照宮の名から受ける華やかなイメージとは随分違う。
煌びやかな社殿より落ち着いた佇まいの外観は松平郷の杜に溶け込みこの方がいいのかもしれない。
松平東照宮の前進は八幡宮と称し、松平家の館の一角に祀られていた屋敷神。
この松平郷には松平太郎左衛門家が大正初期までこの地に居住していたという。
入母屋造、平入の瓦葺の拝殿は東照宮の名から受ける華やかなイメージとは随分違う。
煌びやかな社殿より落ち着いた佇まいの外観は松平郷の杜に溶け込みこの方がいいのかもしれない。
松平東照宮の前進は八幡宮と称し、松平家の館の一角に祀られていた屋敷神。
この松平郷には松平太郎左衛門家が大正初期までこの地に居住していたという。
1619年(元和5)家康を合祀後は松平東照宮とも呼ばれ、1916年(大正5)に松平郷内の三社を合併、昭和初期に松平家の館跡へ境内を拡張、現在の社殿を新築、旧社殿(産八幡の宮)は奥宮とし、1965年(昭和40)に松平親氏を合祀、それまでの八幡神社から松平神社に改められ、1983年(昭和58)昔からの呼称である「八幡神社・松平東照宮」に改称されたそうだ。
狛犬、マスク着用は宣言解除も変わらない。禍は過ぎ去ったような風潮だけれど見習わなくてはね。
拝殿と幣殿の扁額は「松平東照宮」。
拝殿の外部には至る所に葵の紋が彫り込まれている。
松平東照宮の売りは近年描かれた拝殿格天井絵、拝殿前からも見ることが出来るが、拝観料200円で拝殿内を拝観出来るのでそちらがお勧め、写真撮影もOKだ。
拝殿の外部には至る所に葵の紋が彫り込まれている。
松平東照宮の売りは近年描かれた拝殿格天井絵、拝殿前からも見ることが出来るが、拝観料200円で拝殿内を拝観出来るのでそちらがお勧め、写真撮影もOKだ。
108枚の天井絵は、白梅や紅梅など見慣れたものからアロエや朴葉など松平郷で見られる草花が色鮮やかに描かれ、仰いで鑑賞するのもいいが、仰向けに鑑賞するのが一番か。
2015年、豊田市出身の漆芸家安藤則義氏の手によるもの、これから時を重ね後世に繋いでいくのだろう。
上幣殿から本殿方向。
下
拝殿内から社頭の眺め。
拝殿右からの眺め、鮮やかな紅葉とはいかないようだ。
周囲の樹々もあり社殿全景の撮りどころは見つからない。
本殿は流造で脇障子が付き、細部には彫も施されているが、光物は控えめで黄金色に輝く葵の紋に東照宮らしさが漂う。
社殿全景。
平入拝殿と切妻妻入の幣殿が連なり右に本殿。
拝殿から右方向に参道が続き正面に社殿が二つ視界に入ってくる。
これが奥宮、参道を右に進むとその脇の小さな堂(二の井戸、三の井戸)の先の神門に向かう。
産八幡の宮と産湯井戸に続く神門。
神門前の「産湯井戸の由来」
1542年(天文11)岡崎城で生まれた家康、この井戸の水が産湯として竹筒に詰められ早馬で届けられたそうだ。
一の井戸、二の井戸とあったようにここには七つの井戸があったそうで、産湯井戸はその中でも最も古い物だという。
門の左に「徳川家康産湯井戸」の札、門の扉には当然・・・・・
境内正面の産八幡の宮、入母屋瓦葺の平入で棟瓦には当然・・・・・
右手の斜面に市杵嶋社(弁天様)が祀られている。
その手前の玉垣で囲われた一画が産湯の井戸。
石の切妻屋根で覆われ、井戸に下る入口は扉で塞がれている。
汲み上げるイメージの井戸ではなく、石段を下りて湧き出る水を汲み取るようです。
玉垣の紋にも当然・・・・・
この水は水位で農作の吉凶を占い、御神水は健康長寿、出世開運、厄除け、安産に御利益があるそうで遠方からも訪れるそうで、この水は社務所で頂けるようです。
奥宮は新しく拡張された東照宮に対し、苔むして松平郷の時の積み重ねを感じる趣が漂う。
2021/11/18
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