名古屋市北区名城 宗像社

 名城3の天王神社から北に5分程に鎮座する『宗像(むなかた)社』に向かう。


上の地図の赤のマーカへが『宗像社』
左の1891年頃の地図を見る、鎮座地は当時の練兵場の東外れにあたり、天王神社同様に当時から神社があったとは思えない。

上は2022/2/12時点の鎮座地の北区名城2周辺の現状。
1961年から1972年に建てられた市営城北荘、20棟を超える団地も老朽化が進み、順次解体・撤去・建替が行われ、既に先行、着手した綺麗な7階建ての住宅が出来上がっている。
後方は小牧市からこの春この地に移転した名古屋造形大学の新キャンパス、周辺の光景は目まぐるしく変わろうとしている。

『宗像社』はその開発工事の真っ只中に鎮座していました。
東は防護フェンスが続き、西は新棟。
写真中央の建物は城北管理事務所で神社は嘗ての団地内の生活道路沿いに鎮座しています。

既に廃社とも聞くが定かではない。
神社正面。
社地は奥に長く、周囲はフェンスで囲ってある。
境内は流造の本殿と常夜灯、桜?の老木が本殿を覆う様に聳えている。

側面からの眺め。
道路側に扉があり施錠されてはいないが開かなかった。
扉右の賽銭箱も生きている、廃社?を感じさせるものは見当たらなかった。

立ち枯れた雑草が生い茂る境内からなんとなく人の気配は感じられず、廃社の雰囲気は漂っている。
上にも書いたようにそれを伝えるものは見当たらない。
屋根には外削ぎの千木、鰹木5本。
俗にいう男神を祀るということになる、どうなんだろう。
『宗像社』と云えば、福岡県宗像市にある宗像大社が総本社。
御神徳は航海の安全や交通安全など司る神様、多紀理比売命、多岐都比売命、市寸島比売命の宗像三女神を祀る神社。
いつ頃鎮座したか詳細は分からない。

現在は一時的に周囲が開けていますが、住宅に取り囲まれる様に鎮座する姿を見ると明治以降に人が集中して住むようになってからと考えるのが自然かもしれない。

本殿は小さいけれど脇障子や木鼻、虹梁などに彫を施したしっかり作られたもの。
よく分からないが、廃社だとすると魂抜きも終え、解体、産業廃棄物の道を辿るのだろうか。
解体・再生の道はないのかねぇ。
大規模な解体が進むタイミングで今も神社が残っている姿は素直に受け入れにくい。
扉は閉じお札の存在か掴めないが、新しい団地に生まれ変わっても残っている事を期待し、今も生きている賽銭箱にお賽銭を投入し次に向かう。

宗像社周辺は新たな再生に向け工事が進み視界が広がっています。
ポケットの中から語り掛けるお姉さんの声は目の前に見えるあの森に向かえと導いています。

宗像社
創建 / 不明
祭神 / 多紀理比売命、多岐都比売命、市寸島比売命
所在地 / 名古屋市北区名城2丁目4  
天王神社から徒歩ルート / ​北へ徒歩5分程
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