『大龍寺』五百羅漢を祀る寺
今回は名古屋千種区覚王山の『大龍寺』を紹介します
覚王山周辺の丘陵地は多数の神社仏閣が鎮座する場所です
県道30号線「姫ヶ池通り1」の交差点の南側、日泰寺駐車場の1本目の路地を左折します
目の前の小高い丘陵地の頂きを目指しひたすら登る事になります
道すがら「大林禅寺」の山門を横目に眺め歩く、やがてT字路となります
そこは左に曲がってください
その奥には大棟に鯱をあしらった山城を思わせる造りの『大龍寺』が正面に見えます
大龍寺の寺標
右は幼稚園の施設、園庭では子供達が楽しそうに遊んでいます
境内左の鐘楼
こちらの鐘楼と近くの「相応寺」の鐘楼はいつ見ても立派な物です
正面には日泰寺の五重塔、東山給水塔などが望めます
梵鐘を近くで見る事が出来ませんが、竜頭や梵鐘側面には細かな飾りが施されています
正面の本堂と両側の別棟は渡廊で結ばれ「コの字」型の一体となった造り
この左右の別棟に五百羅漢像が祀られています、残念ですが非公開です
羅漢
「供養と尊敬を受けるに値する人を指し、剃髪し,袈裟を着た僧形に表わされる修行者
(釈迦の弟子)」
十六羅漢や十八羅漢等はその数を表しています
本堂の扁額
大龍寺 / 黄檗宗、京都宇治の万福寺の末寺
本尊 / 阿弥陀如来
創建 / 1725年(享保10) 名古屋新出来町に創建
1912年(明治45)現在地に移転
日差しを受けて桃?のピンクが鮮やかです、その奥に釈迦如来が見えています
堂内右側に祀られる羅漢像
正面の黄金色に輝く釈迦如来、立派な姿です
左側の羅漢像、間近で見たいものです
大棟の鯱と軒丸瓦、羅漢の羅が施されています
破風飾り、葵の紋も目に入ります
本堂の丸い明り取りは印象に残ります
本堂の裏側
寺標もありますが、門は閉ざされています
元々は名古屋城築城に伴い、その犠牲者を供養するために造られたとも云われます
高台に建つ山城の様で、どことなく大陸の香りが漂う『大龍寺』です
五百羅漢見たいものです
住所 / 愛知県名古屋市千種区城山町2-71-1
アクセス / 地下鉄東山線覚王山駅下車、徒歩10分
覚王山周辺の丘陵地は多数の神社仏閣が鎮座する場所です
県道30号線「姫ヶ池通り1」の交差点の南側、日泰寺駐車場の1本目の路地を左折します
目の前の小高い丘陵地の頂きを目指しひたすら登る事になります
道すがら「大林禅寺」の山門を横目に眺め歩く、やがてT字路となります
そこは左に曲がってください
姫ヶ池通りには五百羅漢道の道標も置かれています
写真は1920年(大正9)と刻まれています
目の前には幼稚園の個性的な送迎バス写真は1920年(大正9)と刻まれています
その奥には大棟に鯱をあしらった山城を思わせる造りの『大龍寺』が正面に見えます
大龍寺の寺標
右は幼稚園の施設、園庭では子供達が楽しそうに遊んでいます
境内左の鐘楼
こちらの鐘楼と近くの「相応寺」の鐘楼はいつ見ても立派な物です
正面には日泰寺の五重塔、東山給水塔などが望めます
梵鐘を近くで見る事が出来ませんが、竜頭や梵鐘側面には細かな飾りが施されています
正面の本堂と両側の別棟は渡廊で結ばれ「コの字」型の一体となった造り
この左右の別棟に五百羅漢像が祀られています、残念ですが非公開です
羅漢
「供養と尊敬を受けるに値する人を指し、剃髪し,袈裟を着た僧形に表わされる修行者
(釈迦の弟子)」
十六羅漢や十八羅漢等はその数を表しています
本堂の扁額
大龍寺 / 黄檗宗、京都宇治の万福寺の末寺
本尊 / 阿弥陀如来
創建 / 1725年(享保10) 名古屋新出来町に創建
1912年(明治45)現在地に移転
日差しを受けて桃?のピンクが鮮やかです、その奥に釈迦如来が見えています
堂内右側に祀られる羅漢像
正面の黄金色に輝く釈迦如来、立派な姿です
左側の羅漢像、間近で見たいものです
大棟の鯱と軒丸瓦、羅漢の羅が施されています
破風飾り、葵の紋も目に入ります
本堂の丸い明り取りは印象に残ります
本堂の裏側
寺標もありますが、門は閉ざされています
元々は名古屋城築城に伴い、その犠牲者を供養するために造られたとも云われます
高台に建つ山城の様で、どことなく大陸の香りが漂う『大龍寺』です
五百羅漢見たいものです
住所 / 愛知県名古屋市千種区城山町2-71-1
アクセス / 地下鉄東山線覚王山駅下車、徒歩10分
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