『龍雲寺』長野県小布施町
小布施町森の駐車場から県道343号線を西に、龍雲寺を目指します
北斎所縁の地小布施、歩道のマンホールデザインも男浪がデザインになっています
北斎所縁の地小布施、歩道のマンホールデザインも男浪がデザインになっています
立派な寺号表札に金色の三つ葉葵の寺紋が輝いています、六川山龍雲寺に到着
境内に入り左に手水舎だったのだろうか、蓋で閉ざされている事から井戸?
右は由緒書きだったのか、文字が書かれていたり、教えを貼っていた形跡は見られなかった
山門右側に六地蔵と左に熊野権現の祠が長い堂に収められています
瓦葺の主棟に鯱が飾られた八脚門の立派な山門を構えています
手が入れられないのか所々に傷みも見られます
手が入れられないのか所々に傷みも見られます
山門に収められた仁王像
年代も作者も不明ですが、大きく口を開けた荒々しい表情をしています
年代も作者も不明ですが、大きく口を開けた荒々しい表情をしています
山門をくぐった石畳の参道は突き当りで左に続きます
突き当りから見た山門全景
参道が曲がっているのは正面の小学校建設に起因するのか、はたまた出城として敢えてそうしたのか定かではありません
参道が曲がっているのは正面の小学校建設に起因するのか、はたまた出城として敢えてそうしたのか定かではありません
突き当りから見た山門全景
参道が曲がっているのは正面の小学校建設に起因するのか、はたまた出城として敢えてそうしたのか定かではありません
参道が曲がっているのは正面の小学校建設に起因するのか、はたまた出城として敢えてそうしたのか定かではありません
本堂へ進みます、左に鐘楼が見えて来ます
入母屋の重厚な屋根を持つ本堂
参道の彼岸花が境内に秋の彩を加えています
参道の彼岸花が境内に秋の彩を加えています
本堂左の入母屋瓦葺の鐘楼
梵鐘の下に保存された瓦が置かれています
鐘楼補修の際のものなのか、本堂補修時のものか定かではありません
龍雲寺は多様化する参拝客の呼び込みには消極的なようです
妙に観光地化された寺社より個人的に良い印象を持ちますが、由緒が見当たらないのはつらいな
鐘楼補修の際のものなのか、本堂補修時のものか定かではありません
龍雲寺は多様化する参拝客の呼び込みには消極的なようです
妙に観光地化された寺社より個人的に良い印象を持ちますが、由緒が見当たらないのはつらいな
本堂の右側が寺務所になるようです、御朱印を調べて見ましたが頂けないようです
本堂左は千体仏が安置される念仏堂と思われます
本堂左は千体仏が安置される念仏堂と思われます
龍雲寺本堂扁額と本堂より寺務所方向の眺め
堂の扉は生憎閉ざされており外からお参りさせて頂きました
本尊の木造阿弥陀如来像は1662年(寛文2)、島津家にから寄進されたもので
桂材の寄木造りの仏像は作者不明ですが、制作時期や寄進者が明確な事から、1995年(平成7)に小布施町の町宝に指定されています
創建はそれから更に遡る事になるのでしょうか
堂の扉は生憎閉ざされており外からお参りさせて頂きました
本尊の木造阿弥陀如来像は1662年(寛文2)、島津家にから寄進されたもので
桂材の寄木造りの仏像は作者不明ですが、制作時期や寄進者が明確な事から、1995年(平成7)に小布施町の町宝に指定されています
創建はそれから更に遡る事になるのでしょうか
龍雲寺本堂扁額と本堂より寺務所方向の眺め
堂の扉は生憎閉ざされており外からお参りさせて頂きました
本尊の木造阿弥陀如来像は1662年(寛文2)、島津家にから寄進されたもので
桂材の寄木造りの仏像は作者不明ですが、制作時期や寄進者が明確な事から、1995年(平成7)に小布施町の町宝に指定されています
創建はそれから更に遡る事になるのでしょうか
堂の扉は生憎閉ざされており外からお参りさせて頂きました
本尊の木造阿弥陀如来像は1662年(寛文2)、島津家にから寄進されたもので
桂材の寄木造りの仏像は作者不明ですが、制作時期や寄進者が明確な事から、1995年(平成7)に小布施町の町宝に指定されています
創建はそれから更に遡る事になるのでしょうか
境内に掲げられた解説板
小布施教育委員会等いろいろ調べてみるも木造阿弥陀如来坐像と千体仏の実像に巡り合う事は出来ませんでした、もう少し調べて見る必要がありそうです
2018/09/21
小布施教育委員会等いろいろ調べてみるも木造阿弥陀如来坐像と千体仏の実像に巡り合う事は出来ませんでした、もう少し調べて見る必要がありそうです
2018/09/21
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