高座結御子神社
名古屋市熱田区高蔵町
市営地下鉄名城線の西高蔵駅から徒歩で東へ15分程歩きます
遠回りして高蔵公園から熱田神宮摂社『高座結御子神社』を訪れました
市営地下鉄名城線の西高蔵駅から徒歩で東へ15分程歩きます
遠回りして高蔵公園から熱田神宮摂社『高座結御子神社』を訪れました
現在の高倉町の由来は高座結御子(タカクラムスビミコ)が高蔵下命を祀り、人々から「高蔵の社」と呼ばれていた事から付けられたとも云われます
神社北側は高蔵遺跡と隣接し、現在は高倉公園となっています
当日は陽射しも暖かく、公園にはピンクの桜も咲き、春の訪れを感じさせます
この一帯の高蔵遺跡は1907年の大津線拡張工事の際に発見された弥生時代の遺跡
熱田台地の南端にあたるこの地域は古くから人が住み、その痕跡を裏付ける出土品が発掘されています
神社北側は高蔵遺跡と隣接し、現在は高倉公園となっています
当日は陽射しも暖かく、公園にはピンクの桜も咲き、春の訪れを感じさせます
この一帯の高蔵遺跡は1907年の大津線拡張工事の際に発見された弥生時代の遺跡
熱田台地の南端にあたるこの地域は古くから人が住み、その痕跡を裏付ける出土品が発掘されています
高倉公園の杜沿いに南下すると橋を渡ります、橋の下に道路が走る
右手の石垣の先は神社の敷地へとつながるのですが、この高低差を感じる不思議な空間は
何やら古墳の様にも見えて来ます、高座結御子神社一帯は「高倉古墳群」と呼ばれ、神社を取り囲む様に複数の円墳があったそうです
その名残がこの光景なのかも知れません
右手の石垣の先は神社の敷地へとつながるのですが、この高低差を感じる不思議な空間は
何やら古墳の様にも見えて来ます、高座結御子神社一帯は「高倉古墳群」と呼ばれ、神社を取り囲む様に複数の円墳があったそうです
その名残がこの光景なのかも知れません
橋を渡って右に折れ、更に右に折れると正面に高座御子神社の案内板と社号標
鳥居の先には拝殿が覗えます
訪れた当日がウオーキングのチェックポイントとなっていたようで、境内は多くの参拝客で賑わっていました
訪れた当日がウオーキングのチェックポイントとなっていたようで、境内は多くの参拝客で賑わっていました
境内右の手水舎
見事な枝振りの楠木?でしょうか
見事な枝振りの楠木?でしょうか
境内左の社務所
御朱印待ちの長い列、今日は大忙しの様です
御朱印待ちの長い列、今日は大忙しの様です
『御神井』
社務所左にあり、拝所の中には古びた井戸とその先に『御井社』の社が祀られています
社務所左にあり、拝所の中には古びた井戸とその先に『御井社』の社が祀られています
『高座結御子神社』
左右対称の社殿全景
尾張氏の祖・高倉下命(タカクラジノミコト)を祀り、子育ての守り神として崇められます
創建は熱田神宮とほぼ同年とされる歴史のある神社です
織田信長や蜂須賀家政ら幾度かの補修を受け伽藍を留めてきたが、第二次大戦の戦災で焼失、1963年(昭和38)に原型の尾張造を再現し再建されたものだという
左右対称の社殿全景
尾張氏の祖・高倉下命(タカクラジノミコト)を祀り、子育ての守り神として崇められます
創建は熱田神宮とほぼ同年とされる歴史のある神社です
織田信長や蜂須賀家政ら幾度かの補修を受け伽藍を留めてきたが、第二次大戦の戦災で焼失、1963年(昭和38)に原型の尾張造を再現し再建されたものだという
本殿の全景
拝殿、祭文殿、本殿が真っ直ぐに一体となり、拝殿左右に回廊が設けられた尾張造り
熱田神宮も1893年(明治26)まではこの尾張造りの社殿でしたが、三種の神器の一つ草薙神剣を祀る事から伊勢神宮同様の神明造りに改められています
津島神社や氷上姉子神社なども同様の造り
豊かな杜は社殿を包み込み、境内に木陰を落とします
ウオーキングで訪れた参拝客に涼を提供してくれています
拝殿、祭文殿、本殿が真っ直ぐに一体となり、拝殿左右に回廊が設けられた尾張造り
熱田神宮も1893年(明治26)まではこの尾張造りの社殿でしたが、三種の神器の一つ草薙神剣を祀る事から伊勢神宮同様の神明造りに改められています
津島神社や氷上姉子神社なども同様の造り
豊かな杜は社殿を包み込み、境内に木陰を落とします
ウオーキングで訪れた参拝客に涼を提供してくれています
五七桐竹紋の神紋も熱田神宮と同じです
拝所から本殿方向の眺め
この地の産土神様で「高座さま」と呼ばれ親しまれています
創建は熱田神宮とほぼ同年とあるけれどはっきりしない
熱田神宮の創祀は113年とあり、氷上姉子神社の創祀195年、古墳群の弥生時代には既に創祀されていてる事になります途方もない年月を経て延喜式に「名神大社」として記される古社である事は間違いない
拝所から本殿方向の眺め
この地の産土神様で「高座さま」と呼ばれ親しまれています
創建は熱田神宮とほぼ同年とあるけれどはっきりしない
熱田神宮の創祀は113年とあり、氷上姉子神社の創祀195年、古墳群の弥生時代には既に創祀されていてる事になります途方もない年月を経て延喜式に「名神大社」として記される古社である事は間違いない
尾張名所図会に記された当時の高座結御子神社
『高座稲荷社』
祭神 / 宇迦之御魂神
秀吉の母が秀吉の立身出世を祈願し秀吉と共に参拝したと伝わり、商売繁盛と立身出世のお稲荷様と崇められています
奉納幟にも「太閤出世稲荷」と記されています
祭神 / 宇迦之御魂神
秀吉の母が秀吉の立身出世を祈願し秀吉と共に参拝したと伝わり、商売繁盛と立身出世のお稲荷様と崇められています
奉納幟にも「太閤出世稲荷」と記されています
『新宮社』
高座稲荷鳥居の脇に祀られる小さな社で祭神は素戔嗚尊
高座稲荷鳥居の脇に祀られる小さな社で祭神は素戔嗚尊
冒頭の『御神井』
古来から子育ての神として信仰が篤く、4月3日の幼児成育祈願祭と6月1日の例祭には境内末社の御井社で「高座の井戸のぞき」が催され、多くの人々が子供を引き連れお参りするそうです
幼児に井戸をのぞかせると「疳(かん)の虫封じ」になるといわれます
「高座さん」呼ばれて身近に親しまれるのはこうした事からかも知れません
古来から子育ての神として信仰が篤く、4月3日の幼児成育祈願祭と6月1日の例祭には境内末社の御井社で「高座の井戸のぞき」が催され、多くの人々が子供を引き連れお参りするそうです
幼児に井戸をのぞかせると「疳(かん)の虫封じ」になるといわれます
「高座さん」呼ばれて身近に親しまれるのはこうした事からかも知れません
御神井の先に祀られる『御井社』祭神は御井神を祀ります
境内には高座古墳の痕跡が複数ありますが、左は当時の貝塚が発掘された事を記す案内板
右は高座さんの子預けの解説板、子は15歳まで神に預け、それを過ぎたらお礼参りに訪れるもの
その間は神に預けた子供、頭を叩くのはいけない
既に5万人が台帳に登録されているそうです
右は高座さんの子預けの解説板、子は15歳まで神に預け、それを過ぎたらお礼参りに訪れるもの
その間は神に預けた子供、頭を叩くのはいけない
既に5万人が台帳に登録されているそうです
境内東の大きな欅の木陰に鉾取神を祀る『鉾取社』
樹齢1000年とも言われる御神木の大楠と右の尾張連浜主の歌碑
「翁とて侘やは居らむ草も木も栄ゆる時に出でて舞ひてむ」と刻まれている
『浜主は熱田宮の伶人で、845年(承知12)5月8日仁明天皇の御前で113歳の老齢を以て自作の和風長寿楽を見事に舞い、大極殿に居並ぶ人々を驚嘆させた当代に於ける舞楽の大家』
境内には複数の碑があり、それらを見て回るのも楽しいかもしれません
「翁とて侘やは居らむ草も木も栄ゆる時に出でて舞ひてむ」と刻まれている
『浜主は熱田宮の伶人で、845年(承知12)5月8日仁明天皇の御前で113歳の老齢を以て自作の和風長寿楽を見事に舞い、大極殿に居並ぶ人々を驚嘆させた当代に於ける舞楽の大家』
境内には複数の碑があり、それらを見て回るのも楽しいかもしれません
高座結御子神社西鳥居から境内の眺め
こちらから鳥居をくぐり社殿に向かう参道は夜寒公園の一画
この周辺は古くは眺望のよい閑静な別荘地とされ、尾張名所図会にも「夜寒の里」と記されていて
地名として現在も残っています
この周辺は古くは眺望のよい閑静な別荘地とされ、尾張名所図会にも「夜寒の里」と記されていて
地名として現在も残っています
鳥居前の彼岸桜だろうか、終わりを迎え名残りを惜しむかのように咲いています
境内に掲げられた由緒書き
左 高座結御子神社由緒書きと右が高座稲荷社由緒書き
子育ての神様として知られ、子預け虫封じの神社として親しまれる高座結御子神社です
左 高座結御子神社由緒書きと右が高座稲荷社由緒書き
子育ての神様として知られ、子預け虫封じの神社として親しまれる高座結御子神社です
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