『五軒家 神明社』
名古屋市昭和区五軒家町
町名からして昔は五軒の家しかなかった場所という事ですね
八事丘陵地の裾野のこの辺りは、今では閑静な住宅地が立ち並んでいます
ここから少し西に下ると山崎川が流れ、川と並行するように檀渓通りが南北を走ります
町名からして昔は五軒の家しかなかった場所という事ですね
八事丘陵地の裾野のこの辺りは、今では閑静な住宅地が立ち並んでいます
ここから少し西に下ると山崎川が流れ、川と並行するように檀渓通りが南北を走ります
以前は山崎川の流れと周囲の木々が織りなす風光明媚な景勝地「檀渓」として知られ
1646年(正保3)、犬山城主の成瀬隼人正正虎により新田開発が行われます
ここから西の桜山方向にかけ「藤成新田」として開拓されてきた地域です
新田へ水を供給するために地形の高低差を生かし、八事の隼人池から水路を作り、山崎川の上に樋を架け水を導いたそうです、その当時の様子は尾張名所図会に記されています
1646年(正保3)、犬山城主の成瀬隼人正正虎により新田開発が行われます
ここから西の桜山方向にかけ「藤成新田」として開拓されてきた地域です
新田へ水を供給するために地形の高低差を生かし、八事の隼人池から水路を作り、山崎川の上に樋を架け水を導いたそうです、その当時の様子は尾張名所図会に記されています
新田開発に伴い人が住い、集落となり神社が建てられていく
八事方向から続く緩やかな下り坂の途中に、石垣が高く積まれ、上に玉垣で囲われた一画が現れます
五軒家「神明社」です
八事方向から続く緩やかな下り坂の途中に、石垣が高く積まれ、上に玉垣で囲われた一画が現れます
五軒家「神明社」です
歩道に面した南向きに鎮座し、境内へは石段を昇る事になります
歩道の皐月と木々の緑が神社に華やかさを与えています
歩道の皐月と木々の緑が神社に華やかさを与えています
神社正面前景
2段に盛られた敷地の上に建っているようです
2段に盛られた敷地の上に建っているようです
東隣りの尚文寺駐車場から見た境内の全景
左から社務所、拝殿、渡廊、本殿の伽藍で本殿両脇に小さな社があるようです
左から社務所、拝殿、渡廊、本殿の伽藍で本殿両脇に小さな社があるようです
鳥居はなく狛犬は不在の様です
歩道から見上げる様な高さに社号標、拝殿が見えています
木造瓦葺の吹き抜け拝殿前景
その前には狛・・・・・ライオン?
その前には狛・・・・・ライオン?
境内右手の社務所前の手水鉢は1920年(大正9)と刻まれています
拝殿前でくつろぐ狛ライオン
どちらも立派な鬣を持つ牡ライオン、海の向こうで彫られたものではなさそうです
ここまでリアルなライオンの狛犬はお目にかかった記憶がありません
どちらも立派な鬣を持つ牡ライオン、海の向こうで彫られたものではなさそうです
ここまでリアルなライオンの狛犬はお目にかかった記憶がありません
狛ライオンが守護する光景、はなかなかのものです
拝殿から本殿の眺め、やはり木造は落ち着きがあり、温もりがあっていいものです
五軒家 神明社
建立 / 1632年(寛永9)藤成新田の守護神として建立
祭神 / 天照皇大神
拝殿から本殿の眺め、やはり木造は落ち着きがあり、温もりがあっていいものです
五軒家 神明社
建立 / 1632年(寛永9)藤成新田の守護神として建立
祭神 / 天照皇大神
渡廊から千木鰹木が施された本殿、風が良く通る明るい神域です
本殿右の社は秋葉社
左が津島社
本殿脇の青もみじは今が一番冴えています
当初は五軒の集落だった風光明媚な檀渓の頃から多くの民家が立ち並ぶ現在まで
新田の移り変わりとともに氏子を見守ってきた「五軒家神明社」
綺麗に手入れされた境内から氏子に親しまれているのが伝わってきます
2019/05/02
五軒家 神明社
住所 / 名古屋市昭和区五軒家町19-14
アクセス / 市営地下鉄鶴舞線「川名」下車、檀渓通を南へ徒歩10分程
新田の移り変わりとともに氏子を見守ってきた「五軒家神明社」
綺麗に手入れされた境内から氏子に親しまれているのが伝わってきます
2019/05/02
五軒家 神明社
住所 / 名古屋市昭和区五軒家町19-14
アクセス / 市営地下鉄鶴舞線「川名」下車、檀渓通を南へ徒歩10分程
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