『遠江國一宮小國神社』

静岡県周智郡森町一宮

名古屋から新東名高速の「遠州森町スマートIC」で降りて車で10分も走れば遠江國一宮小國神社に到着です
森の石松でも知られ、時に遠州の小京都と形容されるように、歴史のある寺社がいくつある地域です
この小國神社はその中で筆頭ともいえる知名度の高い神社です

平日と言う事もあり、途中の駐車場に停まる車は皆無です
かみさん「きっと奥に行くとツアーバスで一杯かもよ、ここで停めて歩く?」
おやじ「ダメなら戻ればいい、まずは行ってみよう」と先に進む
一の鳥居の参拝社無料!駐車場まで来てみれば、ご覧の様にガラガラです
このご時世に無料ですよスマイル、これは賽銭で奮発せねば
この駐車場に停めると1969年に建てられた大きな明神型の一の鳥居はすぐ横
掲げられた社号額は当時の神明伊勢神宮大宮司坊城俊良氏の揮毫です
駐車場の片隅に掲げられていた境内案内図
後方の本宮山の南山麓に鎮座する小國神社、社名の「小国」とは出雲の「大国」に対する遠江の美称とされ、案内板にもあるように桜や杜若、秋の紅葉と四季の美しい表情を持つ神社の様です
鳥居をくぐり直ぐ左の小高い場所に建つ社
飯王子社(いいおうじしゃ)
祭神は食物を司る神、保食神

 「その昔、遠州横須賀の地方に毎年旱天長雨の為、五穀稔らず住民こぞって一宮様に詣で祈り、豆を捧げしところ、村長の霊夢に「端殿を横須賀の方に向け、保食神を飯王子社と称へ奉らば五穀みのらむ」との神託により社殿を横須賀の方に向け祭り、以来此の地に不作絶へたと言はれ、また、2月15日の祭りに上げた大豆を馬や牛に与えれば災なく無病に育つと伝えられています」
 小さな神橋を渡り杉の巨木が立ち並ぶ参道を進みます
木陰の下を拝殿に続く長い参道、どこまでも静寂でここが神聖な場所であることが漂います
神橋、直ぐ東に宮川が流れていますが、そこからの水なのでしょうか、きれいに澄んだ水が流れています
かみさんには既に置いて行かれようです、御朱印を目指す歩みは早い
参道左の手水舎
 菊紋の彫られた手水鉢
夏日の今日、清水の冷たさは心地のいいもの
参道右の遠江國一宮勅使参道の石標
 701年(大宝元年)、勅使参向し十二段舞楽を奉奏、以来毎年勅使奉幣し舞楽を奉奏した当時の勅使参道跡
一般参拝者の通行は固く禁じられていた
遠江国とは、平安時代中期に成立した旧行政区分の名称で、現在の静岡県西部地域にあたります
当時の静岡県は「遠江国」「駿河国」「伊豆国」と分かれ、各々独立していました

其々に中央から行政官として国司が就くと、その国に鎮座する神社に参拝し幣帛を捧げることが慣例、
その国の神社から歴史や地位に応じ「一宮」、「二宮」、「三宮」・・・と評価されていきます
評価基準はあるようですが、一宮はそのトップと言う事です
身近にある人事評価の様で「社格」なんだかなァ
参道両脇の神代杉の巨木は200年前から杉や桧等が植林され、古代の森とも呼ばれ広大な杜を形成しています
参道の先の陽射しが降り注ぐ境内に二ノ鳥居と拝殿が見えて来た
参道左の社「鉾執社」
案内板には
「小國大神の御神徳の広がりと神社の発展に力を尽くした、かつての神社の社家41代家の祖先に感謝し、奉仕された人々をお祀りしています、鉾執とは「仲立」を意味し、神と人の仲立として神社に奉仕された方々を指している、昭和63年9月」
 「事待池 」
参道左にありますが、八王子社(左)と宗像社(右)、橋の朱が水面に映し出され、四季を通してその表情をかえるのでしょう、とても印象に残るスポット
「宗像社」
弁天社ともいい、女性の守護神、水徳の神としても敬われています
往古からの古社で社記によれば、社前に於いて阿部善八郎が小國神主と会して本社に大身槍を奉納した記録が残るそうです
祭神 / 田心姫命、田霧姫命、市杵島姫命
「八王子社」
祭神 / 国狭槌命、五男神三女神の八柱
橋の上から水面を見れば多くの鯉が悠々と泳ぐ
小國神社で祈願し願いが叶った時に鯉を放つのが慣わしの様です
池の袂には鯉の餌も売られ、かみさんが与えるも意外に上品な召し上がり方でした
「全國一宮等合殿社」
1680年(延宝8)の社記によれば
「諸古文書の社頭配置図によると全国一宮等御祭神七三柱が境内社として各所に祀られていましたが、明治の初めに本社焼失時または腐朽等により、明治15年より境内末社八王子社に仮に合祀されたものを平成元年12月氏子崇敬者の守護神として復興鎮祭された」
「小國神社御祭神絵図」
小國神社の祭神大己貴命(大国主命)は大黒様ですね
「因幡の白うさぎ」の赤裸にされたうさぎを助けた神様です
「御神木大杉の根株」と社務所、参集殿の眺め
樹齢は千年余りと伝えられる大杉の老木は中が空洞となり、昭和47年の台風で倒れてしまい
現在の場所に奉安されたものですが、この根株だけで11トンもある巨大なものです
二ノ鳥居から拝殿を望む
この鳥居は
1882年(明治15)まではここに楼門があったそうですが火災により焼失以降跡地に建てられたもの
鳥居左の「家康公の立ちあがり石」
「徳川家康公の天下統一の基は浜松在城15年間の辛苦の賜ものといわれています。三方原合戦の前年元亀三年九月願文と三条小鍛冶宗近の太刀を当社に奉りて開運を祈願し、次いで大正2年4月、犬居城攻略の道すがら参拝し、此の石に腰かけて休息されたと伝へられます。以来、此の事を悲境をのりこへた「立あがり石」と言われ、石にあやかりたいとして人生の再起を念じて石に腰かけて帰る者も少なくありません」
パワースポットですか、腰掛けて見ますかね
境内拝殿方向の眺め
左が授与所
参道にずらりと並ぶおみくじ箱は訪れる参拝客が多い事を物語っているような
檜皮葺の屋根を持つ「舞殿」と奥の「舞楽舎」
正月3日に国指定無形文化財の「田遊神事」、4月の例祭では国指定重要無形民俗文化財の「十二段舞楽」がここで舞われます
拝殿前景、賽銭箱に刻まれた神紋は右三つ巴
檜皮葺の屋根は落ち着いた外観を見せてくれる
いつ見てもいいものです、舞殿や舞楽舎は老朽化により葺き替えを予定しているようです
賽銭を奮発しておきますか
拝殿から幣殿の眺め
1572年(元亀3)と1882年(明治15)の二回の火災の記録が残り、特に明治の火災では本殿や楼門などの建造物をことごとく失うも、1886年(明治19)に本殿などは消失前の三分の一の規模ながら復興、現在に至っています

創建 /  555年(欽明天皇16)
祭神   /  大己貴命
舞殿方向からの眺め
右が神徳殿、本殿(大社造)、拝殿
古代の杜を背景にして鎮座するその姿は気品の様なものを感じます
拝殿左の「大宝槌」
巨大な宝槌、だいこくさまの御神宝ですね
それにしても広い境内です、これでも随分見て、参拝し、回ったつもりです
本宮山を含め摂社・末社の全てを回りきる事は出来ませんでした
こちらでの滞在時間は過ぎてしまいました、御朱印を頂き先に車で待つかみさんと合流する事にします

清らかな流れの宮川と緑豊かな古代の杜に包まれて静かに佇む小國神社、日本の原風景を見たような気がします
2019/6/20

『遠江國一宮小國神社』
住所 /   静岡県周智郡森町 一宮3956-1
小國神社HP /   http://www.okunijinja.or.jp/

御朱印

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