静岡県 「久能山東照宮」
静岡県静岡市駿河区根古屋に鎮座する「久能山東照宮」を訪れる
御利益通り商店街、東照宮と共に時を栄えてきた通りです
その先に久能山東照宮の一ノ鳥居が見えます
一ノ鳥居の先は表参道石段が続き、正面の久能山の頂まで上っていきます
ロープウェイで今や楽ちんに参拝はできますが、「イチイチゴクロウサン」です
鳥居右側の久能山東照宮周辺案内板
長い表参道の石段が始まります
上り始めたすぐ左にこれから目指す久能山東照宮の伽藍の案内板
久能山の歴史は7世紀頃に遡り、秦氏の久能忠仁が初めて開山し、観音菩薩像を安置した補陀落山久能寺を建てた事から始まります
徳音院
家康はじめ三代にわたり将軍に仕えた南光坊天界により開かれた寺
本尊は薬師如来でその他に不動明王、財福聖天を祀ります
家康を神として祀るため、天海の主唱する山王一実神道で東照大権現の神号を得て日光に改葬されます
江戸時代は社殿、寺院を持つ寺盛を誇りますが明治に入り寺勢は衰え、徳音院のみ現在に残りました
徳音院の堂の左に大聖歓喜天の小堂があります
堂の前には木彫りの狸が参拝に訪れる者を見つめています
石段の先に稲荷鳥居が見えて来ます
駿河稲荷社
祭神 / 稲荷大神
元久能山代官の杉江家が伏見稲荷から勧請し屋敷内に祀っていたものを1982年(昭和57)にこの地に祀ったもの
駿河稲荷社を過ぎると傾斜は強くなり、17曲がり。1159段の石段が延々と続きます
「イチイチゴクロウサン」
石段は高さが低いので意外に上りやすいものです
曲がりが多いだけ急激に高度を稼いでいく事になります
目指すは標高216mです
石段もさることながら、この石垣、この斜面によくぞ積み上げたものです
積まれた石に隙間もなく先人の知恵と労力には驚くばかり
長い石段の先にやがて門が見えて来ます
趣はまるで城、要塞の佇まいです
1568年(永禄11)、この立地に着目した信玄は、久能寺を現在の静岡市清水区に移し(現在は鉄舟寺)
久能城として整備していきます
やがて竹田家滅亡により久能城は家康の手に渡ります
難攻不落の要塞感が漂うのは当然のことかもしれません
この一ノ門と呼ばれる山門はオリジナルの姿ではないようです
自然災害によりオリジナルは倒壊、その後再建された際に現在の平屋に変わった様です
一ノ門から眼下の眺め
くねくね折り返し上ってきた参道と眼下の街並み、その先に駿河湾が広がる絶景を望めます
ロープウェイでは味わえないものです
条件がいいと東に伊豆半島、遥か西には御前崎まで見えるそうです
一ノ門の先に建つのは門衛所
24時間体制で入門者のチェックを行う為のものです
門衛所から一ノ門の眺め
門衛所から右の石段を進みます
石段を上りきると右側が開け見えてくるのが旧宝物館、その左に勘介井戸があります
当日は重機が入り施設工事のため近寄れませんでした
この標高で井戸があれば完璧ですね
社務所前から楼門の眺め
社務所前を左に行くと日本平ロープウエイ久能山駅方面
参拝客の少なかった参道はここから一気に参拝客が増えます
各所に装飾が施された朱塗りの楼門、豪華絢爛
軒下の「東照大権現」の扁額は、後水尾天皇により宸筆され、勅額御門とも呼ばれます
極彩色に彩られ、蟇股を初め細部に施された彫刻に足は止まります、派手な扁額が派手に見えない
楼門正面の左右の格子戸内に随身
楼門をくぐり、境内から見た楼門裏側全景の眺め
金剛柵内の左の角がある方は狛犬、右の角が無い方は狛獅子、いずれも艶やかな彩色です
狛犬
狛獅子
楼門から社殿の眺め
家康は自身の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」と言い残したそうです
2代将軍秀忠の命で久能山東照宮は建立され、家康の遺言は果たされていきます
元和3年(1618年)と刻まれた手水鉢
神厩
家康の愛馬を飼育していましたが、現在は左甚五郎作と伝えられる木像の神馬が納められています
赤い鳥居の末社稲荷神社、末社厳島神社との合殿
唐門と透塀も間近になって来ました
左の石が積まれた基礎は、三代将軍家光の命により1636年(寛永13)に建立された高さ約30メートルの五重塔がありました、神仏分離の際に取り払われ、現在は塔跡のみが残ります
鼓楼
明治の神仏分離までは鐘楼だったそうです
鐘は取り払われ、江戸城にあった太鼓を奉納し鼓楼として生まれ変わりました
唐門
屋根は銅瓦本葺黒漆塗で四方唐破風造の門
色彩のみならず透塀に施された彫や飾り金具の装飾に視線は引き付けられます
神楽殿
その昔は絵馬殿として絵馬が飾られていたといわれます
竈神社
1646年(正保3)創建
火産霊命/奥津彦命/奥津姫命の三柱を祀ります
神庫
博物館が出来るまでは神社に伝わる宝物が保管されていました
奈良正倉院と同じ校倉造りで建物全体に朱が塗られ、趣は正倉院とは別物の印象を受けます
日枝神社
大山咋命を祭神とし、 創建当時は本地堂として薬師如来像を安置していたが、神仏分離の際に仏像を移し、山王社の御神体を納めて日枝神社と改め今に至る
社殿内
金色の三つ葉葵の紋が光り輝く
日枝神社から望む社殿
朱の透塀、三つ葉葵の紋が入った金箔瓦、透かし彫り・・・・・豪華
拝殿前から日枝神社全景の眺め
拝殿から本殿の全景
本殿と拝殿は「石の間」でつながれた権現造の社殿
1617年(元和3)の建立、中井大和守正清の代表的な遺構とされ、江戸時代に権現造りの社殿を広める契機となった最古の東照宮建築
部材全てに金色の装飾金具や彫が施され、極彩色の装い
黒漆で塗られた拝殿内も同様ですね・・・・・豪華すぎて落ち着かない
家康公、秀吉公、信長公に参拝させて頂きます
拝殿から唐門
ゴンドラが到着する度に参拝客の波が訪れます
拝殿左の門から本殿横へ
軸部や軒廻りの黒漆塗と縁廻りの赤漆塗、金色の飾り金具が見る者に荘厳な印象を与えます
廟門
家康を埋葬した云われる廟に続く廟参道の入口です
廟参道から見た社殿
廟参道の鳥居くぐり右に進んでいきます
最後の石段の正面に神廟が現れます
1616年(元和2)の創建当初は木造桧皮葺の造りでしたが、1640年(寛永17)に徳川家光により現在の石造宝塔に造替されました
「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」
家康埋葬地は諸説あるようですが、ここに立つと家康はここに眠っていると感じます
廟の傍らにひっそりと家康の愛馬が埋葬された、家康公愛馬ノ霊所が残ります
天然の要害久能山、その頂に鎮座する久能山東照宮
「イチイチゴクロウサン」するだけの価値はあります
2019/06/20
久能山東照宮
創建 / 1617年(元和3)
祭神 / 徳川家康 相殿 / 豊富秀吉、織田信長
住所 / 静岡県静岡市駿河区根古屋390
アクセス / 東名高速「静岡IC」から国道150号線経由車で40分程
御朱印
大きな寺社は写真も多くなり載せきれません
YouTubeにURL限定で載せてありますので良ければこちらもご覧ください
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