『熱田社』

名古屋市熱田区伝馬2丁目『熱田社』
村社「笹宮」から東に歩いて10分もかかりません
熱田社は「図書公園」の敷地内の一画に鎮座します
参道は公園の北側道路に新明鳥居と社号標が建っています、北から入り境内で左、そして左へと折れる
鳥居から続く参道の左に石垣の積まれた神域に三社が祀られています
Uターンする様な形で北側道路に背を向けた社が隣に見えています
北側道路から見た熱田社、社の前にも鳥居が見えます
見えそうで見えないけれど神域には3社の社が確認できます
参道に入り左へ
正面が社務所の様ですが無人です
社務所左脇に手水鉢が見えています
参道はここで左へ折れ、二之鳥居をくぐります
社務所左の手水鉢、・・・・・空です
明神鳥居の二之鳥居から社を望む
しかし、鳥居の先の玉垣に鎖が掛けられ、これ以上は近づいて欲しくないようです
鳥居の先に高く積まれた神域、そこには3社が祀られ、狛犬が一対いるようです
熱田社二之鳥居に掲げられた石造りの扁額
鎖の所から精一杯アップで捉えた狛犬は凛とした立ち姿で神域を守護しています
一対の燈籠と神域全景
神域を囲う玉垣などから年号を識別する事はできません
三社は全ては北を背にして南を向いて祀られています
六本の鰹木と内研ぎの千木で飾られた社とその両脇に小社、社名は分かりません
図書公園から眺める熱田社全景
図書と聞くと図書館でもあるから?・・・・・
ではなく
​姥堂​」の記録の所で徳川家康幼時幽居地が出てきます、ここからとても近いのですが
竹千代(家康)は6歳から8歳の間、人質としてこの地に幽閉されます
その彼を世話したのが、当時熱田の豪族だった加藤図書助順盛(かとうずしょのすけのぶもり)で
公園の名の由来はここから来ているようです
人質として過ごした二年間、後に家康は厚遇を受けた加藤家に140余石の土地を与えられます

由緒があるといいのですが、熱田社はその地の守護のため創建されたものかも知れません


熱田社
創建 / 不明
祭神 / 不明
アクセス / ​焙烙地蔵⇒村社笹宮⇒熱田社​ 徒歩15分程

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