味鏡山天永寺「護国院」

​名古屋市北区楠味鋺2丁目の味鏡山天永寺「護国院」は真言宗智山派の寺院
味鋺神社​の西側に隣接します

庄内川の右岸の堤の北に鎮座し、現在は郊外の住宅地の様相です
歴史は古く、729~749年(天平年間)行基の創建と云われ、尾張名所図会にも描かれている古刹です


手前の流れは庄内川、松並木が続く堤の先に味鋺神社と天永寺が描かれています
天永寺については、尾張名所図会に隣接する味鋺神社(六所神社)の神宮寺と記されています
記載に出てくる蓬莱宮は熱田神宮、六所明神は味鋺神社、安食の常観寺は成願寺と読替えて下さい
また、岩屋堂とは現在の東味鋺辺りを指します

「味鋺村にあり、真言宗、大須眞福寺末、文明十二年の天永寺縁起に、鳥羽天皇之御願、西彌上人之草創
天永年中開基也、蓬来宮之末社、六所明神鎮護之霊崛、瑠璃界の本主
十二願王接化之梵場と也見えたる如く、味鋺神社の社儈なりし事は疑いなく
もと直願寺にて安食・柏井の雨庄を寺領として、七堂十二區の儈坊儼然なる古刹なりしが、五百年来の兵革に零衰し、山號さへ鏡の池に附会して、味鏡と名くるに至る
さるを天正九年辛巳正月、郷民議して再建し、やゝ旧刹に復れるなり

本尊薬師如来は、聖武天皇の御宇、行基菩薩当所に来遊ありしに、鏡の池の水中より薬師の仏像現せしかば、菩薩白檀の形像を作り、彼像を中心にこめ納め、精舎を立てて薬師寺と名けられしよし、文明縁起にかける仏像を本尊とす
寺寶 大般若経六百巻、暦應元年九月八日足利左兵衛督直義主の納むる所にて、建久・応安・康永等の年號、また安食の常観寺にてうつしたるよりの奥書ある古典籍なり

鏡池 本堂より西北にあたる畔にあり、むかし金像の薬師仏出現ありしを行基法師とり収めて当寺の本尊とせし古跡なり

龍池 本堂のほとりにあり、開山西彌法師の時、白龍池中に現じたる古跡にて、池中の小島に今弁財天社をたつ
岩屋堂 寺より北の方数町を隔てたり、当寺に属し、本尊十一面観世音は当国三十三観音の一所なり
因にいふ僧天澤は当寺の僧にして、「織田真紀」に天澤者宗天台再閲蔵経学徳之僧也
見武田信玄於甲州、信玄問何國人、曰尾州清洲東味鏡邑天永寺僧也、問信長行状如何、曰甚勤武事、毎旦調馬後、学弓於市川大介、鳥銃於橋本一巴、剣術於平田三位云々と見えて、信長公の行状を美しく対してよしにしるせり」

護国院を訪れると、一際目を引く立派な楼門、その右に名古屋市教育委員会の解説板

「味鏡山と号し、真言宗智山派
天平年間(729~749)僧行基の創建といわれ、薬師寺といった
天暦二年(948)の大洪水により衰微したが、天永二年(1111)西弥上人が再興し、今の寺号に改めた
本尊の薬師如来座像は行基の作と伝えられる
また、寺宝は、文化財に指定されている絹本著色の絵画「千手観音二十八部衆(国重文)」、「尊勝種子曼荼羅図(市指定)」、「仏眼曼荼羅図(市指定)」をはじめ古鏡など多くが残されている」

とある、名所図会にある寺宝の大般若経六百巻はここに記載されていない
大洪水とは庄内川の氾濫の事を指しているものと思います
二層の八脚門の楼門は正面と裏側の左右に大きな彫像が祀られる四天門


これは普段なかなか見かけることが少ないものです

山号の「味鏡」は、その昔に本堂の西北に池を作る際、そこから鏡が見つかり、以降鏡池と呼ばれ寺号もそこから来ていると云われます
鏡池は既になく、近隣に楠町味鋺西鏡池の地名が残り、その場所に鏡池があったのではないでしょうか?
この地は古くより人が住み物部の里でもあり、多くの古墳が存在した場所でもあり、鏡が出て来ても不思議ではない地域です





表情を収めたかったものの、手前の網にフォーカスが行ってしまい、表情まで読み取れない事はご容赦願います
楼門から境内の全景
左の鳳凰のある建物が観音堂、陰になっていますがその奥が本堂、その右の赤い幟のある建物が昔の本堂
手前に鐘楼となります、これらの他に北側山門(味鋺神社本殿後方)と本殿後方に六角堂
以上が護国院の伽藍になります

石畳の参道両脇の玉砂利は枯山水の如く紋様が描かれ、立ち入っていいものなのか戸惑う程手入れされています
鐘楼を過ぎた左手の小堂


内部には岩屋堂古墳から出土した石棺が安置されています
岩屋堂と聞くと瀬戸が思い浮かびますが、現在の東味鋺辺りを指します
参道右側の小堂
後方は味鋺神社境内、玉垣で仕切られているだけです
参道右の手水舎は木造瓦葺のもの

手水舎の左の赤い幟に「みかがみじぞうそん」とある
言われなどは分からない
観音堂
方形屋根の上に飾られた鳳凰に視線は行きます
伽藍は水害や火災により幾度か再建され、一目で古いと感じる建物は見当たりません
左が現在の本堂で平成に入り建てられたもの、右が以前の本堂
高床の本堂は、過去の庄内川氾濫の教訓を生かした上での構造なのでしょうか?

本尊は行基が自ら刻んだと云われる薬師如来座像
旧本堂の扁額・・・・・読めない
旧本堂の拝所の天井に3面に描かれた天井絵
是非とも一枚〃見てください
四季の花々や動物が描かれ、よく見ると細部まで丁寧に描かれています
上を見上げるのも限界があります、一番いい状態で鑑賞するのは・・・・・仰向けに寝転ぶ
いつ頃描かれたものなのか詳細は分かりませんが、年代とは無縁の人を引き付けるものがあります
旧本堂内
正面に黄金色に輝く俱利伽羅剣を持つ不動明王が安置されています

本堂から観音堂、楼門の眺め
広い境内、玉砂利の手入れの良さが示すように、境内は庭木なども手入れが行き届いています
護国院西側から六角堂、本堂、観音堂の眺め
さあ、裏手に回ろうかと思ったところでカメラのバッテリー切れ、携帯があるわいと甘く見ていたら
本体温度異常で動作せず・・・・・トホホ
後日再訪しここに加えることにして、今回はこれで引き揚げよう

味鏡山 天永寺 護国院
宗派 / 真言宗智山派
創建 / 729~749年(天平年間)
本尊 / 薬師如来座像
東海三十六不動尊霊場 第6番礼所 / 名古屋二十一大師霊場 第9番札所
住所 / 名古屋市北区楠味鋺2丁目732

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