古墳の上に鎮座する「白山神社」
白山神社の別当寺を務めた日輪寺から道路を隔た南側に、広大な広さの二子山公園があります。
園内には三つの古墳があり、白山神社は公園北側の白山神社古墳にあります。
園内には三つの古墳があり、白山神社は公園北側の白山神社古墳にあります。
二ノ鳥居から一ノ鳥居方向の眺め
参道脇は住居が立ち並び、はるか先の一ノ鳥居の前を南北に県道102号線が横切っています。
参道脇は住居が立ち並び、はるか先の一ノ鳥居の前を南北に県道102号線が横切っています。
二ノ鳥居から境内の眺め
長い参道が真っ直ぐに続き、その先に三ノ鳥居、その先はこんもりとした杜が見えます。
県営名古屋空港への着陸態勢に入った航空機が上空からかすめるように降りていきます。
長い参道が真っ直ぐに続き、その先に三ノ鳥居、その先はこんもりとした杜が見えます。
県営名古屋空港への着陸態勢に入った航空機が上空からかすめるように降りていきます。
鳥居脇の白山神社由緒書き
白山神社はその名の通り、岐阜、福井、石川の三県にまたがり聳える霊峰白山。
そこに鎮座する白山比咩神社は、霊峰白山を御神体とする全国白山神社の総本宮である。
ここ白山神社はその分霊を祀る神社。
白山神社はその名の通り、岐阜、福井、石川の三県にまたがり聳える霊峰白山。
そこに鎮座する白山比咩神社は、霊峰白山を御神体とする全国白山神社の総本宮である。
ここ白山神社はその分霊を祀る神社。
二ノ鳥居の守護を担当する狛犬
二子山公園は、国指定の史跡である「二子山古墳」を初め、白山神社古墳、御旅所古墳の3つの古墳がある歴史公園です。
公園内には三つの古墳が残り、そのうちの一つ白山神社古墳が公園の北端にあります。
一帯は古墳が点在する味美古墳群と呼ばれ、古くから人が生活を営んでいました
そうした場所には、その地を統治した権力者を埋葬する古墳が造られていきます。
白山神社はそうした古墳の上に建てられています。
古墳は全長約90㍍におよぶ前方後円墳で5世紀末から6世紀初めのものと云われます。
こうした古墳の上に建つ神社は珍しいものではありません。
公園内には三つの古墳が残り、そのうちの一つ白山神社古墳が公園の北端にあります。
一帯は古墳が点在する味美古墳群と呼ばれ、古くから人が生活を営んでいました
そうした場所には、その地を統治した権力者を埋葬する古墳が造られていきます。
白山神社はそうした古墳の上に建てられています。
古墳は全長約90㍍におよぶ前方後円墳で5世紀末から6世紀初めのものと云われます。
こうした古墳の上に建つ神社は珍しいものではありません。
ニノ鳥居を過ぎ左側に竹で作られた冠木門を持った碑がある
遠目には御嶽神社の趣きですが「頌徳碑」とあります。
丹羽新次郎政栄は味鋺原新田の庄屋で、この地の発展に多大な業績を残した事からそれを伝えるため、1887年(明治20)に建てられたもの。
遠目には御嶽神社の趣きですが「頌徳碑」とあります。
丹羽新次郎政栄は味鋺原新田の庄屋で、この地の発展に多大な業績を残した事からそれを伝えるため、1887年(明治20)に建てられたもの。
ニノ鳥居から境内へ続く参道、左に進んで道路を渡ると別当寺を務めた日輪寺へと続きます。
御神木
和合の木と呼ばれ、奈良県の橿原神宮より皇紀2600年(西暦1940)を記念し御下賜された樫という。もとはふたつの別々の樫が成長に伴い幹が寄り添う様に一つになったもの。
樫の木は堅くて丈夫な木であることから、男女の縁や、家族の縁など、人生で巡り合う様々な縁の「固い結び付き」を祈願し赤い結布を結ぶもの。
二ノ鳥居から三ノ鳥居の眺め、大きな常夜灯とその前に狛犬、右に手水舎が見える。
鳥居左の鎮魂碑
大正、昭和における戦争で出征し家族を守るために亡くなられた方々の慰霊のため建立されました。
三ノ鳥居の狛犬。
三ノ鳥居右の社務所。
手水舎と手水鉢の龍、絶え間なく清水を注いでいます。
神橋の先に狛犬が一対、その先は小高く盛られた高みに続きます。
明るく照らし出された境内、石段の先は蕃堀があり、拝殿は見えません。
石段前の狛犬
石段左に参道が続き、その先は厳島社。
石段の中ほどから見下ろす厳島社、辨天池に浮かぶ小島の奥に本殿が祀られているのが良く見えます。
祭神は弁天様として知られる市杵島比売命。
石段の正面に建つ蕃塀
石造りには無い木の温もりを感じさせるもので、浮いた感じがなく、伽藍の中に溶け込んでいます。
境内右隅の撫で牛から見た社殿。
正面に切妻瓦葺の吹き抜け拝殿と本殿。燈籠の前に立つ大きな定規は「背比べ石」、子の成長を願い、感謝する目的で新たに作られた様です。
氏神様に見守られながら、成長の過程を収め、その記録を子にプレゼントするなんていいものです。
拝殿左の三社
右から秋葉社、天神社、津島社が祀られています。
1659年(万治2)に味鋺原新田の味鋺村(現在の名古屋市北区楠味鋺)にあった白山藪古墳に祀られていた白山社が周辺開拓に伴い現在地に遷座されたものと伝わります。
この際にすぐ隣の二子山古墳に祀られていた物部神社を合祀して建立されたと伝わります。1918年(大正7)には春日山古墳にあった春日社も合祀されました。
今年は遷座から360年を迎え、味美地区の氏神様としてだけでなく、味鋺地区の崇敬社として親しまれ、近隣や県外からも参拝客の訪れるようです。
拝殿前の狛犬
拝殿正面の鈴の前に彫られた龍は良く見ていくと手の込んだもので、手先不器用な者から見ると見事なものです。
本殿
周囲に杜が迫り、全景が良くわからないけれど、入母屋造りの前殿と切妻の後殿が一つになっているのか、権現造りのような屋根。ピカピカ輝く飾り金具のない落ち着いた佇まい。
白山神社祭神
菊理比咩命/総本宮白山比咩神社ご祭神伊邪那岐命、伊邪那美命、/この世のすべてのものを創った夫婦神
可美真手命 / 物部氏の祖神
天児屋根命 / 春日大社分霊
本宮末社
神明社、御嶽社、国府宮社、熱田社、金比羅社
その他、お隣の御旅所古墳には白山神社「相宮」が祀られ、毎年10月には例大祭が行われます。
この儀式は古くからの形式を受け継いだものと云われ、氏神は大木や大石、幟などを目印に降りると考え、山の頂きや森の中で儀式を行い、決まった社殿は無かったようです。
いつからか社殿が建てられ、社殿に降りた神を相宮へ招く現在の形になった様です。
一番小振りながら本殿前を守護する狛犬。
拝殿から振り返った境内の眺め
左に撫で牛、注連縄がかけられた切株が御神木、蕃堀、授与所と並ぶ。古墳の頂きにあるとは思えない程、境内は意外に広々としています。
参拝を終え、拝殿から社殿の全景
古墳の上に西向きに鎮座する白山神社。社殿を包み込むように聳える木々の間から社殿を照らす陽光は、ここが神聖な空間である事を感じさせる。
境内から陽光に照らされた三つの鳥居と真っ直ぐ伸びる参道の眺め。
現実の世界と神域の境目の様にも見えなくもない。味美 『白山神社』
創建 / 不明、1659年(万治2)この地に遷座、今年遷座360年を迎える
祭神 / 菊理比咩命、伊邪那岐命、伊邪那美命、可美真手命、天児屋根命
境内社 / 神明社、国府宮社、秋葉社、金比羅社、御嶽社、御嶽社、津島社、熱田社、厳島社
住所 / 愛知県春日井市二子町2丁目11-3
アクセス / 名鉄小牧線味鋺駅から徒歩10分、日輪寺の南
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