龍泉寺表参道 『弘法堂』
龍泉寺表参道弘法堂
名古屋市東区の大曽根から春日井市の高蔵寺を結ぶ新交通システムゆとりーとライン
専用高架上を定速走行でストレスなく走って来たバスもここ小幡緑地からは地上に戻り県道15号線、通称龍泉寺街道に合流します。
龍泉寺表参道弘法堂へは「龍泉寺口」バス停で降りると便利。
目の前の龍泉寺街道は、ほんの少し前の昭和初期には未舗装のくねくね道が尾根に続き、七曲りの坂とも云われた頃もありました。
移動手段の移り変わりや車の性能向上もあり、現在は片側2車線に整備され、道路は直線的に尾根を越えていきます。
弘法堂へはバス停で降り、尾張四観音「龍泉寺」に向かう参道左側になります。
その前にバス停の先に寄り道。
龍泉寺街道沿いを走ると車窓から見える四体の地蔵らしきものが見えます、「何だろう?」ずっと気になっていました。
間近に見る石像は南を向いて祀られた、五鈷杵を持つ弘法大師像。
台座には「八十三番」、「八十四番」と彫られています。
疑問もスッキリしたところでバス停方向に戻り、弘法堂のある参道へ向かう事にします。
龍泉寺街道の左に続く龍泉寺の参道。
右側には大きく「尾張四観音 松洞山 龍泉寺」と彫られた石標があります。
この参道を上っていきます。
左に曲がって直ぐに「弘法堂」が現れます。
右手に小さな覆屋もあります。
弘法堂正面全景
寄棟瓦葺で四方の壁は白と黒壁、さいころの様に四角い堂です。
手水鉢は堂の右奥に置かれています。
石の六角香炉は1924年(大正13)に奉納と刻まれています。
堂内
中央に黄金色の五鈷杵を持つ弘法大師像が安置。
手前に前掛けが掛けられた石像があるけれど、それが何か写真からでは分かりません。
堂の右の覆屋には三体の大師像
この他に弘法堂の左にも複数の石像が安置されています。
これがその石像群
七体の石像があり、中央の蓮華台の上に安置された大きな像は「親子地蔵」とある。
こちらを見つめる、子の眼差しが妙に印象に残ります。
ここ龍泉寺一帯にはこうした石像群が多数安置されています。
さながら日泰寺周辺に点在する八十八ケ所巡りを想像させるものです。
弘法堂から、参道を少し上がった左にある御嶽神社周辺の鬱蒼とした山の中や、大きなサークルとしては竜泉寺の仁王門周辺や龍泉寺街道を南に渡った、小幡緑地公園本園の北側等に点在しています。
この一帯は御花弘法八十八ヶ所霊場と呼ばれています。
もともと弘法大師と龍泉寺は所縁があり、江戸時代から「御花弘法」として霊場が存在していた様です。
1916年(大正5)に御花弘法八十八ヶ所として発願され、その後は発願者の家族や有志が志を受け継ぎ原形を整えた様です。
それも戦争により各所に散在していた札所は荒廃の道を辿り、戦後、今の形に集約された様です。
そもそもは現在の名古屋鉄道の前進の一つで、大正から昭和初期、大曽根から瀬戸を結んでいた瀬戸電気鉄道の頃、現在の小幡駅から龍泉寺への鉄道敷設の計画が持ちあがったようです。
白沢公園から龍泉寺一帯を観光地化したかった様で、地元は当然盛り上がります。
小幡緑地公園の北外れの高台には「尾張三大弘法」の一番、「御花弘法大師」の座像も立てらます。
「御花弘法大師」の座像や霊場巡りはその目玉となる目論見だったようで、その頃は巡礼も盛んだった様です。
結局その案は頓挫、やがて霊場巡りも流行らなくなり、弘法大師像も龍泉寺の管理から離れ、現在は荒廃が進んでいます。
とは言え、ここ龍泉寺参道の「弘法堂」を訪れた当日、幟の片付け、境内の手入れをされる信徒の方も見え、今も守られているようです。
この弘法堂がいつからあるのか、家で追っかけて見ましたがわかりませんでした。
当日出逢った方とは挨拶を交わし、道を尋ねただけでそのあたりを伺わなかったことを今は後悔。
推測ですが香炉の奉納年と発願された時期が近い事から大正初期ではないかと思われます。
龍泉寺表参道弘法堂
住所 / 名古屋市守山区竜泉寺1-826
アクセス / ゆとりーとライン「龍泉寺口」下車、徒歩2~3分程
駐車場 / 龍泉寺に参拝者駐車場があります
2019/11/21
龍泉寺境内の紅葉はまだまだでした。
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