世界遺産 『大仙陵古墳(仁徳天皇陵)』

和泉國一之宮 『大島大社』​から今回の青春18切符大阪寺社巡りの最終訪問地に向かいます
電車内でかみさんに目的地を訪ねると世界文化遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」の中心的な存在「仁徳天皇陵」へ行くらしい。
鳳駅から阪和線で最寄り駅「百舌鳥駅」までは3駅、時間にして10分少々。
 「百舌鳥駅」から仁徳天皇陵は徒歩で5分も歩けば着いてしまう距離。
駅を降りると写真の様なマップが掲示され、世界遺産に登録されPRに余念がない。

子供の頃は仁徳天皇陵と教えられた気がするけれど、今は「大仙陵古墳」と言うべきなのかな?
修学旅行にでも行く来たかの様なワクワクした気分になる。

世界遺産に認定されたのは2019年の事、登録の対象範囲は大阪府南部の堺市、羽曳野市、藤井寺市の3市にまたがり、4世紀後半から5世紀後半の45件の49基が対象という。
その一つを訪れようとな、面白い!。
ただね、デカい(全長460㍍)と言う事は巨像に纏わり付く蟻の様なもの、全容を捉えるには無理がある。
なにせ世界一の墳墓。
しかも今は当時と違い墳丘全体は木々が生い茂り古墳の姿ははっきりしない。
 遥か先に大仙公園と手前にこんもりとした里山が見えてきます。
周囲は柵で囲われ公園なのだろうか?
いえいえ、ここは既に古墳が密集するエリアに突入しています。
 見えていたのは収塚(おさめづか)古墳
傍から見ると柵で囲われた小山そのもので、頂きに社を構える鎮守の杜の雰囲気が漂います。
まるで円墳の様に見えますが、前方後円墳。
解説板も整備され、そこに描かれたイラストで漸くそれを知ることになります。
5世紀頃に作られた全長60㍍を超える古墳、前方部分は削平され濠は埋められています。
なので円墳の様に見える訳です。
「陪塚」と呼ばれる小型の古墳、大型の古墳の周辺に親族や副葬品を埋葬したと云われています。
埋葬品は埴輪など出土しているようですが、主は分からないようです。
尚、ここから西には長塚古墳と呼ばれる前方後円墳もあります。
 大仙古墳の案内板
古墳の密集地なのが良くわかります。古墳好きにはたまらない場所かもしれません。

大仙公園の中で目を引く白い像は百舌鳥耳原由来の像
像は仁徳天皇で傍らに鹿が寄り添っています。
日本書紀に「仁徳天皇がここへ御陵を造営の真っただ中、野から突然現れた鹿が作業域に走り込んできた。
鹿は何故かそのまま倒れ、引き裂かれた鹿の耳からモズが現れ飛び立った」
それが百舌鳥耳原の由来らしい。
百舌鳥は大阪府の鳥でもあるようです。
 仁徳天皇陵拝所付近にレプリカが置かれています、当然ながら縮小されている訳ですが、これが一番作られた当時の姿を知るうえで分かり易い。
今は杜となっている墳丘も白く輝く丘のように高く長く聳えていた訳です。
海岸線が迫っていた頃には、船でこの地を訪れる者に、巨大なモニュメントとして国力を象徴する意味合いもあったとか。
こうして見ると宇宙船の様に見えなくもない、人工的なものが持つ美しさみたいなものを感じます。
 仁徳天皇陵の周濠。
もとは3重の濠が取り囲み、外濠は江戸時代に一度埋められたようですが、明治に入り再び掘り返したようです。
二の濠の前に神明鳥居が建てられており、古墳は三の濠の更に先にあります。
 仁徳天皇陵拝所。
私たちが立ち入ることのできるのはここまでです。
ここは厳粛な空気感が漂う特別な空間。
16代仁徳天皇が埋葬されているとされます。
応神天皇の第4皇子で、母は仲姫命。
民のかまどでも伝わるように仁政を施す統治を行った方。
かまどの煙が立ち上らない町を見て、税の徴収を免除しその間は天皇自らも宮殿の整備を見合わせるなど
目線は民衆に向けられていた。

桜を愛で、百舌鳥のように飛び立ち、忖度と袖の下に目のくらんだどこぞの方々、庶民のかまどの煙は見えてますかねェ、見るも見ないもサイコロ次第かナ。
 陵の周囲は周遊路があり、周辺の陪塚を含め見て廻れるよう綺麗に整備されています。
一周するのに50分程かかるらしい、電車の都合で半周しかできませんでした。
上の写真で行くと、左下から時計回りに右下あたりまでは歩きました。
周遊路は坂もなく平坦なので周遊だけなら50分あれば廻ることはできそうです。
それにしても大きく、巨象の全容を見るには及ばない。
世界遺産となっただけに、ボランティアガイドの方々以外に一ひねりする事はありそうです。
 朝日寺
古墳の北隣に位置し、山号は霊鵲山、日蓮宗のお寺で創建は1752年(宝暦2)とされる。
もとは大阪市森ノ宮付近に建立された朝日庵を起源とし、1931年にこの地に移転した寺。
入母屋瓦葺の二層の屋根と唐破風向拝を持つ。
伽藍全景、周遊路は寺の横の熊野街道を北東方向に続きます。
 朝日寺の後方が銅亀山古墳。
百舌鳥古墳群の中では珍しい一辺が26㍍の方墳。
この辺りに掲げられていた仁徳天皇陵解説板。
 周遊路の歩道にはこうした距離や方向を示すシールが貼られ整備されていました。
世界遺産として多くの外国人観光客が訪れることを考えると、情報が欠けてしまう素材は残念。
マンホールのようになっていれば識別不能ということはないのでは。
 上
丸保山古墳、前方後円墳。
天皇陵の北西の外濠に位置し、住宅街の中にあります。

国道310号線の先の小高い山も陪塚、永山古墳と呼ばれるようです。
 天皇陵北からの眺め。左の小高く盛り上がった部分は茶山古墳と呼ばれる56㍍の円墳。
天皇陵を取り囲む濠の堤に古墳が作られるのは珍しいそうです。
 大安寺山古墳
茶山古墳同様に堤の上に築かれた直径63㍍の円墳だそうです。
 天皇陵の上といえばいいのか、下なのか、丸い部分にあたる国道310号線沿いは西高野街道。
高野山参拝​の為に整備された街道で傍らには「ミユキ御苑 仁徳天皇御陵参拝道」と刻まれた石標が立てられています。みゆきとは行幸を指します。

この石標から外濠沿いに周遊路は右に続き、塚廻古墳を経て来た道に戻る事になりますがここまでです。
 道すがらの源右衛門山古墳。
駐車場の一画に残る直径34㍍の円墳で、源右衛門の名は江戸時代の所有者の名から付いたようです。

一帯は大小含め17基ほどの古墳が残る、全て見て行くと一日がかりかも知れません。
 一泊二日の大阪寺社巡りもここで終わり、阪和線「三国ヶ丘」駅から帰途に着くことにします。
2019/12/27

大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
住所 / ​大阪府堺市堺区大仙町7
公共交通機関アクセス / JR新大阪から​御堂筋線⇒阪和線利用⇒「三国ヶ丘」駅下車45分程

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