名古屋市東区芳野 『片山神社』
名古屋市東区芳野
名鉄瀬戸線「尼ヶ坂」駅から南東方向を見るとすぐ目の前に高台が迫っています、「片山神社」はその高台に鎮座します。
名鉄瀬戸線「尼ヶ坂」駅から南東方向を見るとすぐ目の前に高台が迫っています、「片山神社」はその高台に鎮座します。
この高台は熱田台地の北端にあたり、ここから北の矢田川にかけて、高台は見られなくなります。
市内にあって、郊外をイメージする豊かな緑が残っています。
東に国道19号線、南に県道215号線、西に国道41号線と交通量は多いけれど、神社周辺はいたって静かな環境で時間はゆっくりと過ぎていきます。
西陽に赤く照らされた境内には地元の方が入れ代わり立ち代わりに参拝に見えます。
市内にあって、郊外をイメージする豊かな緑が残っています。
東に国道19号線、南に県道215号線、西に国道41号線と交通量は多いけれど、神社周辺はいたって静かな環境で時間はゆっくりと過ぎていきます。
西陽に赤く照らされた境内には地元の方が入れ代わり立ち代わりに参拝に見えます。
境内東側の神門。
以前はここが境内への入口だったのでしょう、右に社号標もあり立派な門がありますが、現在は封鎖されていました。
以前はここが境内への入口だったのでしょう、右に社号標もあり立派な門がありますが、現在は封鎖されていました。
先程までばおあちゃんが居た南にある鳥居。
右に社号標、やや東を向いて石鳥居を構えています、正面は社務所の様です。
右に社号標、やや東を向いて石鳥居を構えています、正面は社務所の様です。
更に、鳥居の横を進むと、東を向いて鳥居が建っています。
正面の入母屋の建物は神楽殿でしょうか。
正面の入母屋の建物は神楽殿でしょうか。
先程の鳥居に戻り境内へ。
鳥居左には名古屋市教育委員会の解説板が掲げられ、その先の両脇に狛犬がいます。
鳥居左には名古屋市教育委員会の解説板が掲げられ、その先の両脇に狛犬がいます。
解説には以下のように記されています。
「社伝によれば和銅二年(709)の創建とある。延喜式神名帳にもみえている古社で、山田郡鎮座。
十九座の首位にあり、また国内神名帳には従三位片山天神とある。
祭神は安閑天皇と国狭槌尊の二神を祭る。
安閑天皇の御生母が、尾張連の祖の媛であったところからこの地に祭られたと伝えられる。」
「社伝によれば和銅二年(709)の創建とある。延喜式神名帳にもみえている古社で、山田郡鎮座。
十九座の首位にあり、また国内神名帳には従三位片山天神とある。
祭神は安閑天皇と国狭槌尊の二神を祭る。
安閑天皇の御生母が、尾張連の祖の媛であったところからこの地に祭られたと伝えられる。」
鳥居の先の狛犬。
彫りの深い纏まった容姿をしています
彫りの深い纏まった容姿をしています
境内から見た東の神門。
神門の左の一画に石標群。
ここにも社号標がある。
ここにも社号標がある。
木々の間に建つ社務所、趣のある光景です。
社務所から本殿方向の境内の眺め。
左から手水舎、拝殿、幣殿、本殿の伽藍。
大きな木々が聳える境内、それ程広大ではないけれど閉塞感は全くなく開放感を覚えます。
左から手水舎、拝殿、幣殿、本殿の伽藍。
大きな木々が聳える境内、それ程広大ではないけれど閉塞感は全くなく開放感を覚えます。
切妻瓦葺の手水舎。
大きなイチョウ、椋木が聳え、木漏れ陽が境内に差し込んできます
大きなイチョウ、椋木が聳え、木漏れ陽が境内に差し込んできます
手水鉢に龍はいませんが、厄除けの新竹が吊るされていました。
拝殿正面全景。
切妻瓦葺で唐破風の向拝を持ちます。
切妻瓦葺で唐破風の向拝を持ちます。
拝殿左から社殿全景。
左の巨大な切り株は老木故に伐採されたご神木、幹の巨大さが神社の歴史を物語っているのかもしれない。拝殿の左右に末社が祀られています。
左の巨大な切り株は老木故に伐採されたご神木、幹の巨大さが神社の歴史を物語っているのかもしれない。拝殿の左右に末社が祀られています。
拝殿前の狛犬は両前足はしっかりと地につけています。
拝殿屋根で踊る獅子、瓦には菊紋が施されています。
拝殿向拝と鬼瓦。
この神紋は桜紋だろうか?
この神紋は桜紋だろうか?
眼光鋭い拝殿前の龍の彫飾り。
拝殿内部、渡廊にもこのような龍の彫飾りが施されています。
拝殿内部、渡廊にもこのような龍の彫飾りが施されています。
参拝を終え、拝殿前から本殿方向の眺めを収める。
片山神社は役の行者が創祀したとも言われるようですが諸説ありと受け取った方がいいでしょう。
創建は709年(和銅2)
祭神は安閑天皇、国狭槌尊、蔵王大権現。
片山神社は役の行者が創祀したとも言われるようですが諸説ありと受け取った方がいいでしょう。
創建は709年(和銅2)
祭神は安閑天皇、国狭槌尊、蔵王大権現。
拝殿右の社は浅間社。
浅間社の右に観音大神が祀られています。
どこ?と思われるかもしれません。
浅間社の右に観音大神が祀られています。
どこ?と思われるかもしれません。
浅間社の脇から幣殿、本殿方向を眺めてみるが、本殿の全容は捉えきれません
手前は本殿ではなく、回廊が付属した神門です。
なんとなくですが、灯篭の右奥の本殿域に小さな社が見えているような・・・・・
本殿域は見事に窺えませんでした。
手前は本殿ではなく、回廊が付属した神門です。
なんとなくですが、灯篭の右奥の本殿域に小さな社が見えているような・・・・・
本殿域は見事に窺えませんでした。
拝殿左のご神木の前に白山社。
その右奥に龍神大神が祀られています。
その右奥に龍神大神が祀られています。
楠の巨木の左に5社が整然と祀られています。
後方に本殿の千木が僅かに見えてはいる、相変わらず全容を見せてはくれない。
後方に本殿の千木が僅かに見えてはいる、相変わらず全容を見せてはくれない。
5社の前を守護する垂れ耳の狛犬。
左から稲荷社/玉津嶋社/金刀比羅社/香良須社/秋葉社が整然と並び祀られています。
玉垣に薄っすら社名が記されています。賽銭箱の文字はとても鮮明。
玉垣に薄っすら社名が記されています。賽銭箱の文字はとても鮮明。
さて冒頭に神楽殿?とはっきりしませんでした。
自宅に戻って調べて見たけれどやはり結果は同じ、もやもやです。
今思えば、社務所で伺えば良かった、参拝に行かれる方は是非とも訪ねて頂きたいものです。
自宅に戻って調べて見たけれどやはり結果は同じ、もやもやです。
今思えば、社務所で伺えば良かった、参拝に行かれる方は是非とも訪ねて頂きたいものです。
神楽殿?と拝殿の間から西に続く参道があり進んでみました。
本殿脇を通る参道から、なんとなく本殿の姿。
上から下に切られた千木は外研ぎ、俗に男神を祀ると云われますが・・・・・
銅葺流造の様に見えなくもないが良く分かりません。
本殿脇を通る参道から、なんとなく本殿の姿。
上から下に切られた千木は外研ぎ、俗に男神を祀ると云われますが・・・・・
銅葺流造の様に見えなくもないが良く分かりません。
上は少し前のこの辺り、田畑が取り巻く一帯の小高い丘の上に片山神社が記されています。
左上に尼ケ坂とあります、現在の尼ケ坂公園と尼ケ坂駅方向になります。
手前に坊が坂(山門脇の細い小道)も記されています。
ここに描かれた社殿の伽藍、鳥居と本殿の間に神楽殿らしきものも描かれています。
現在の伽藍の向きとは違い、南方向を向いているような描かれ方です。
因みに東側の坊ヶ坂、西の尼ケ坂共に昔の言い伝えから付いているようで、この杜には天狗も出没すると云われていたそうです。
何れも、それだけ鬱蒼とした森だったという事でしょう。
左上に尼ケ坂とあります、現在の尼ケ坂公園と尼ケ坂駅方向になります。
手前に坊が坂(山門脇の細い小道)も記されています。
ここに描かれた社殿の伽藍、鳥居と本殿の間に神楽殿らしきものも描かれています。
現在の伽藍の向きとは違い、南方向を向いているような描かれ方です。
因みに東側の坊ヶ坂、西の尼ケ坂共に昔の言い伝えから付いているようで、この杜には天狗も出没すると云われていたそうです。
何れも、それだけ鬱蒼とした森だったという事でしょう。
そんな尼ケ坂は参道から少し歩けば見下ろすことができます。
上は尼ケ坂駅方向、下は尼ケ坂公園の眺め。
以前は片山神社の一画で「蔵王の森」と呼ばれていたところ、大きな境内を誇っていたようです。
上飯田、下飯田の地名は杜の中の神杉の上枝と下枝の指す方向から付いたとか。
今は境内と公園の間は道路が作られ分断された形です。
上は尼ケ坂駅方向、下は尼ケ坂公園の眺め。
以前は片山神社の一画で「蔵王の森」と呼ばれていたところ、大きな境内を誇っていたようです。
上飯田、下飯田の地名は杜の中の神杉の上枝と下枝の指す方向から付いたとか。
今は境内と公園の間は道路が作られ分断された形です。
灯篭。左は1918年(大正7)、右は1849年(嘉永2)と刻まれています。
保存樹のムクノキ
境内に木漏れ陽もなくなり、夕陽を浴びた鳥居だけが赤く染まり出す。
2020/1/11
『片山神社』
創建 / 創建は709年(和銅2)
祭神 / 安閑天皇、国狭槌尊、蔵王大権現
境内末社 / 稲荷社/玉津嶋社/金刀比羅社/香良須社/秋葉社/白山社/浅間社
住所 / 名古屋市東区芳野2-4-28
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線「尼ケ坂」駅下車徒歩5分
2020/1/11
『片山神社』
創建 / 創建は709年(和銅2)
祭神 / 安閑天皇、国狭槌尊、蔵王大権現
境内末社 / 稲荷社/玉津嶋社/金刀比羅社/香良須社/秋葉社/白山社/浅間社
住所 / 名古屋市東区芳野2-4-28
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線「尼ケ坂」駅下車徒歩5分
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