「天王社」素朴な小さな木像に視線は引き付ける
名古屋市守山区喜多山1-1
「慶生壽龍神」から瀬戸街道を15分程東へ向かいます。
瀬戸街道を横切る名鉄瀬戸線(瀬戸電)の踏切が現れます。
運悪く上下線が通過するタイミングだと結構長く感じるかも知れません、この光景は昔のままです。
慶生壽龍神からここまで10分程、なので約1,000歩くらいか。
踏切を超え、ここから5分程先にある、市バス「喜多山」バス停前の「天王社」を目指しています。
通りから祠らしきものは見当たりません。
踏切から5分程で喜多山バス停が見えてきます。
バス停の北側が「天王社」の境内で、玉垣もないので境内奥にポツンと佇む「赤い覆屋」が目印。
街道沿いに面した広い境内に複数の樹が植えられ、間口の中央に植えられたも樹は恰も蕃塀の様でもあり、瀬戸街道を車で走っていると意外に目立たない。
ましてや駐車場はないので車は足手纏いになる、ここはバスか「瀬戸電」がいい。
広い境内の小さな「赤い覆屋」、なんとも羨ましい住環境だこと。
外観はこの辺りで良く見かける天王社の典型的なスタイル。
覆屋の中に赤く塗られた板宮造の小さな社が祀られています。
「天王社」正面全景。
赤く塗られた賽銭箱に志を投入、まずはお参り。
扉は閉ざされお札は見て取れません、社の下に小さな木像が祀られているようです。
円空仏ではあるまいが、天王社ということなので牛頭天王だと思われますが、髪の形から女性のように見えなくもない。
志を持って一本の木からこつこつと削り、一つの形にしたもの。
目鼻もしっかり彫られた素朴な像は、動機は分からないけれど彫られた方の志が伝わってきます。
妙に魅かれる素朴な像です。
西側から見た全景、社の形がシルエットになり見て取れます。
覆屋の中に小幡一番組として寄附者の氏名が誇らしく掲げられていました。
多くの方により守られているようです。
この天王社がいつからあるのか詳細は分かりません。
覆屋後方に回り込んで見ると寄付者氏名の板の裏に1998年9月と記されているので、これが唯一の創建に繋がるものかもしれません。
現在の住所は守山区喜多山ですが、1996年(平成8)に以前の守山区大森と字大森の一部が一つとなり喜多山が成立したもので比較的新しい町ですが、当時でもこの地は小幡ではない。
もう少し遡り東春日井群の一部として小幡村、大森村が含まれてた頃から建っていたものであれば、ここに小幡の地名が掲げられていても違和感はないのか。
或いは守山町、守山市、守山区と移り変わってくる中で、昔の地域名で講の組が残り1998年に建立されたものなのかもしれない。明確にできないことを書き連ねても仕方がない、考えるのはやめよう。
すく北側に「瀬戸電」喜多山駅がありますが、瀬戸電機鉄道開業に伴い出来た駅で、ここから北の北山という地名を引用し、縁起のいい字を使い「喜多山」としたそうで、現在の町名もここからきています。
いい字ですよね。
境内西側の庚申塔。
元からここがコミュニティーの場だったのか、土台が新しので何処からか移されたものか定かではありませんが石の表情は味のあるものです。
社後方からの眺め、瀬戸街道を見据えるように建っています。
素性は分からないけれど、地域の厄払いの神として多くの方に守られている喜多山の天王社。
素朴な木像が印象に残ります。
「天王社」
創建 / 不明
祭神 / 牛頭天王
住所 / 名古屋市守山区喜多山1-1
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線「喜多山」駅下車南に徒歩で5分程
慶生壽龍神から / 瀬戸街道を徒歩で瀬戸方面に15分程
ここに来る途中の小幡南にも以前は同様の天王社がありました。
最近訪れた際には、交差点角にあった社は姿を消し、駐車場に変わっていた事を書き加えておきます。
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