播磨国一ノ宮「伊和神社」

兵庫県宍粟市一宮町須行名 播磨国一ノ宮「伊和神社」
名古屋を出たのが朝6:00、高速を乗り継ぎ、「道の駅播磨いちのみや」に到着したのがほぼ11:00。
はるばる良く来たねぇ。
社頭の目の前を走る道路は国道29号線で古くから山陽地方(播磨)と山陰地方(因幡)を結ぶ主要な街道で因幡街道と呼ばれ、これを南下すれば姫路城です。
個人的に播磨と聞くと姫路城と播磨灘が思い浮かぶけれど、なして山深い盆地に一ノ宮が作られたものなのか?
国道と云っても、間もなく昼だというのに交通量は皆無、そうめんで知られる揖保川沿いの道筋も長閑な山村の様相。
車でも不便な場所、まして電車も通っていない、良くぞここに一ノ宮を建てたものだ。
このあたりは縄文、弥生時代の遺跡も残るように、古来より人は住んでいたようです。
古くから磐座信仰や山岳信仰が崇拝され、祀場として特別な場所だったのかもしれません。
道の駅播磨いちのみや、地元のB級グルメ「ホルモン焼うどん」はこちらでも提供しています。
参拝後にはこちらで頂きましたがプルプルの食感と焼き肉のたれ風の味付けは結構おいしいものでした。
道の駅の偵察を終え、参拝に向かいます。
道路を渡れば即社頭です。
見事に伸びた杉木立の参道は昼でも陽光が届かない、静寂で厳粛な空間を醸し出しています。
参道は二つ、写真のこちらは東参道で西にも参道があります。
長閑な山間地に鎮座する伊和神社は、播磨国風土記にも記され、神戸市に鎮座する海神社とたつの市に鎮座する粒坐天照神社とともに播磨三大社として崇敬を受ける神社。
社頭左の社号標「國幣中社 伊和神社」、国道沿いに長い玉垣と杉の杜が続きます。
注連縄鳥居をくぐり参道へ、その先の明神鳥居が見えてきます。
鳥居が間近に見えてきます、4本の控柱を持つ両部鳥居の様です。
その先に随神門もあるようです、一ノ宮の威厳が漂います。
かみさんは既に視界から消えた、相変わらず早い。
木造の両部鳥居に掲げられた扁額に「正一位伊和大明神」とある。

両部鳥居から望む社頭、鳥居を支える4本の控柱がよく分かる。
好きな形の鳥居の一つです。
両部鳥居を過ぎるとその先に随神門、杉木立からさす木漏れ陽に温もりを感じます。
随神を収めて見たもののアクリルで覆われ写りは今一つ、露出とコントラストで漸く随神の姿と胸の五七の桐と16弁の菊花紋が現れてきました。
年代の解説がないのでわかりませんが、分かり次第ここに書き加えておきます。
斜めから見る随神門の全景、参道はそこから左に曲がり社殿へと続きます。
巨大な幹の杉は見事。
随神門の正面に略記が掲げられています。
以下は伊和神社御由緒略記より
「御祭神 大己貴神   配祀 少彦名神、下照姫神
創祀 大己貴神は国土を開発し、産業を勧めて生活の道を開き、我は医薬り法を定めて、治療の術を教えるなどして、専ら人々の幸福と世の平和を図り給うた神であります。
大神は播磨國に特別の御恩恵を垂れ給い、播磨國内各地を御巡歴になって国造りの事業をされ、最後に伊和里(現在当神社のある地方)に至りまして、我が事業は終わった「おわ」と仰せられて鎮まりました。
ここに於て人々がその御神徳を慕い、社殿を営んで奉斎したのが当神社の創祀であります。
その御神徳により、古来、農業、工業、商業等産業の神、縁結びの神、福の神、病気平癒の神、又、交通安全の神として崇敬されております。
一説に、成務天皇甲申歳二月十一日丁卯(144)、或は欽明天皇二十五年甲申歳(564)の創祀とも伝えております。」
左に進むと鬱蒼とした杜は開け、降り注ぐ陽光を受け照らし出された社殿とその手前に手水舎、手水鉢が見えてきます。
手水舎、手水鉢。
龍の眼は光り輝き、威厳のある姿でこちらを見据えています、この鉢はなかなか面白いもので龍口の下には亀、鉢を支える足の部分は縁の下の力持ち達が支えています。
入母屋造り平入で千鳥破風と唐破風の向拝が施された拝殿。
一ノ宮ということなので派手な金色の飾り金具が輝く着飾った姿を想像していたけれど、周囲の杜に溶け込むように佇む姿は、質素で素朴な親近感のある魅かれるものです。
東から斜めに見た拝殿。
右手に寄り添うように聳える大きな杉は「夫婦杉」と呼ばれ、幹の周りは二本合わせると10㍍くらいか、見上げる高さは・・・・・首が疲れる。自然の力が漲っている。
この大杉の左に西参道へ続く石段があり、隋神門を経て市杵島・姫神社に続きます。
境内に入り右に入母屋瓦葺の恐らく神楽殿だと思います。
正面は吹き抜けとなっていて、平入の奥の壁には1910年(明治43)に作られ、その後の補修で取り外された「鬼」が掛けられています。現在の鬼に比べると随分シンプルなもの。
左の建物は社務所から渡廊で繋がっていますがなんだろう?、正面は本殿と横並びで境内社が並んでいます。
因みに、拝殿右にも同様の境内社がありますが、現在修復作業中で見ることができませんでした。
西側から幣殿、本殿方向の眺め。
妙に温もりを感じる神社、それは差し込む日差しだけのせいではなさそうです。
十六花弁の菊紋の入った神社幕が吊るされた拝殿を守護する狛犬。
彼らのキャリアを物語るその風貌は、その長い年月で随分傷みも進み、垂れた耳であること、僅かに温和な表情をしている様に見て取れます。
向拝から拝殿の眺め。
鮮やかな彩色が施されているわけでもなく、派手さは全くないけれど白木の木肌は彩色に劣らぬ美しさがあります。
向拝を見上げれば丁寧に彫られた龍と翼を広げた長い首の鳥の彫飾り、これは鶴だろうか。
拝殿内は奉納絵馬が飾られている、奉納年は1849年(嘉永2)と随分古いものもあり、今も明瞭にその色彩は残っています。
拝殿から幣殿の眺め、外観同様、木を生かした美しさが漂います。
東側から見た入母屋妻入りの幣殿全景。
幣殿の正面に鶴の飾りが置かれています。
幣殿扁額も木の質感を生かしたシンプルなもの。
巧みに組まれた木組みも美しい、木鼻には細かに彫られた獏も施されています。
阿形、吽形の狛犬が定番かもしれないけれどここには狛犬の姿は見られない。
上は拝殿左で空を見上げ鳴く姿の鶴。
下は拝殿右で田で餌を啄むような仕草の鶴が飾られている。
本殿は入母屋平入で伽藍の中で唯一檜皮葺。
外研ぎの千木と5本の鰹木が施され、唯一の光物がここに施されています。
本殿に見入り気付きませんでしたが、本殿前はベージュ色の狛犬が守護していました。
幣殿から渡廊で繋がる本殿、その前でお互いを見合う様に佇む狛犬、精一杯寄ってここまででしか寄れませんでした。
白い大きな牙と見開いた眼は見て取れますが、表情や素材が石なのか木なのかまでは分かりません。
本殿左に境内社が纏められています。
こちらの神社は北を向いて建てられ、境内社も同様に北を向いて祀られています。
境内左の「御霊殿」はこの地の豪族伊和恒郷を祀ります。
中央は「五柱社」、右から天照皇大神、国底立大神、宇賀魂大神、猿田彦大神、須佐之男大神を祀ります。
右が「播磨十六群神社 東八群」
右から飾西群神社、飾東群神社、加西群神社、加東群神社、卯南群神社、加古群神社、美嚢群神社、明石群神社。
本殿右は「播磨十六群神社 西東八郡」
多可郡神社、神東郡神社、神西郡神社、宍粟郡揖東郡神社、揖西郡神社、佐用郡神社、赤穂郡神社ということでしょう。補修工事で見れなかったは残念です。
本殿後方に鶴石と書かれた案内板。
本来は本殿左右から後方に回り込むことができるようですが、工事もあり当日は左側から鶴石へ。
正に本殿の真後ろの石段下に玉垣で囲われた鶴石があります。
中には一つの大きな石、鶴石と呼ばれ案内板には
「昔、大神 伊和恒郷に託宣あり、驚きて見るに一夜のうちに杉桧生い繁りて聖地をなし、空に鶴群れ舞い、その中大き二羽北向きて眠り居たり、その跡に神殿を造り奉斎せり、これ当社の起源なりと伝う、鶴の居た石を鶴石または降臨石という」
とある、このことから神社が北向きなのだろう。
拝殿で見かけた由緒書きと鶴石の解説。
なんだろう、この神社。
静かな杜に空に漂う白い雲、妙に時の流れがゆっくりに感じられる。
遠くから参拝に来て「まあゆっくりしていきなさい」そう語りかけているようにも思えます。
かみさんはとっくに御朱印を頂き、ささっと一廻りしたのだろう境内に姿はない。
夫婦杉の左の石段を下ると随神を経て左に市杵島・姫神社があります。
この西参道にも行きたいが先の予定もあるのでここまでにするか。
北参道に戻る途中で随神門から右側で見かけた二羽の鶴の像と乙女の泉で見かけた石像。
新しい物だろうが表情に魅かれ写真に収めて見ました。
随分と待たせてしまった、既に随神門から社頭にかけてかみさんの姿はない。
ささっと戻らねば。
ゆっくりと訪れたい居心地のいい神社だ。



播磨国一ノ宮「伊和神社」
創建 / 144年(成務天皇14)とも564年(欽明天皇25)とも伝わる
主祭神 / 大己貴神
配祀 / 少彦名神、下照姫神
本殿 / 入母屋
境内摂社 /  五柱社、市杵島・姫神社、播磨十六郡神社、御霊殿
住所  /    ​兵庫県宍粟市一宮町須行名407



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