『本地城址』と津島神社


瀬戸市西本地町2丁目
西本地の「​八幡社​」から緩やかに上る農道を南へ、田畑の中を東西に横切る国道363号線を超え、田園地帯の集落の中に『本地城址』があります。
 周囲はこうした風景が広がり、田畑の中に集落が点在します。
その集落の中の小さな森が『本地城址』の目印です。
上は本地城址から南の風景。
 本地城址から西の眺め、右手の土手は国道363号線、かつての田畑はショッピングセンターや集合住宅に姿を変えています。
 上は昭和43年頃の当地と随分宅地化が進んだ現在。
それでも
まだまだ、田畑が広がる田園風景が残っています。
そうした中に1本の大きな木が聳えています。
目的地本地城址はその下になります。
この地にかつて城があった、それを思わせる痕跡は現在全く残っていません。
唯一それを伝えるものは「松原平内公本地城址」と彫られた石標が建っているだけです。
解説板なのか掲示板なのか分からないけれど、そこには何も情報はありませんでした。

この城は松原一学の弟松原平内の居城として築かれましたが、1482年(文明14)に品野の長江利景と今村の松原広長の間で起きた安土坂の戦いで平内と広長ともに討死、それにより松原家は衰退、本地城も廃城の道を辿っていき、城跡は農地に変わっていったようです。

城の痕跡は残ってはいないですが、こちらには年代不明の石灯籠に複数の社、龍神碑が祀られています。
 覆屋の下に祀られている二つの社。
3本の柱で支えられた石灯籠、彫られた文字は読み取れませんでした。
2社ともに扉が開けられ、左右共に津島神社のお札が収められています。
もともとここに二つあった社ではないかもしれません。
 城址に大きな楠木?が一本聳えています。
丸い樹形の巨木は、まるで覆屋のように城址の上に枝を張っています。
こうした巨木には何かが宿るものです。
 立派な幹の脇には一つの社と左右に石碑があります。
手前の柵で囲われた部分、これは周辺の開発が進む以前には、集落に水を潤していた昔の井戸跡。
 井戸は現在は枯れてしまっていますが、その脇の石標には水を司る龍神と辡戝天と彫られた碑が残っています。
 正面奥の社は社名札が掲げられていますが文字は消えてしまっています。
集落に必要なものと云えば火伏の神がつきものだと思うけれど詳細は分かりません。

左の屋根の付いた石柱には正面に座像が彫られていますが姿ははっきり分かりません。
光背があるようでないような、金剛杵を持っているようにも見える。
いずれにせよ、最近のものではなさそうです。

城の痕跡は残していないけれど、ここには昔の集落の生活の名残と、そこから生まれ引き継がれてきた守り神が残っています。

『本地城址』と津島神社
公共交通機関アクセス / 名鉄バス基幹バス「尾張瀬戸駅」行、「本地」下車、南西へ徒歩5分程
住所 / ​瀬戸市西本地町2丁目

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