春日井市堀ノ内町「神明神社」
神領銅鐸出土地のある貴船神社から北西方向へ徒歩で10分、道すがらに神領銅鐸を保管するという瑞雲寺、その先の高御堂古墳を左に見ながら「堀ノ内町表」の交差点へ。
交差点を右折し県道75号線を道なりに進むと左手に石鳥居と赤い鳥居が見えてきます。
春日井市堀ノ内町の「神明神社」が今回の目的地。
県道75号線沿いに鎮座し、境内はぐるりと玉垣で囲われています。
この神社の立地は北に内津川、南に庄内川が流れ、その間に神社が鎮座します。
豊かな土壌を生かし古くから人が居住し田畑が広がる農村地帯でしたが、今は田畑は減少し周囲は住宅地に変貌しています。
現座の町名「堀ノ内」は、嘗て豪族が堀で囲った中に館を構え住んでいたそうです。
やがて集落ができ堀ノ内と呼ぶようになったらしい。
「堀ノ内町表」の交差点角に高御堂古墳がありますが、一説には古墳が堀で周囲を囲われていたから「堀ノ内」になったともいわれるようです。
個人的には二つの川に挟まれた土地柄こそ、堀の内側の様に感じてしまいます。
県道脇の右手に社号標、石の神明鳥居があり、その先で右手に折れ赤い明神鳥居へ続きます。
神明神社、ニノ鳥居から境内の眺め。
石畳は真っすぐに拝殿へ続いていきます。
ニノ鳥居をくぐった右側に手水鉢、年号は見忘れましたが、そこそこ年期が入っていそうです。
立派な灯篭の先に狛犬が守護する拝殿、境内右奥に小さな覆屋があるようです。
拝殿前の狛犬は1937年(昭和12)のもの、なかなか凛々しい姿です。
今回は奉納年度を悉く見忘れ、神社創建を知る手がかりとなるものは少ない。
神明神社全景、ほぼ玉垣で囲われています。
拝殿の軒先瓦には五三の桐紋が入り、止め蓋に逆立ちした獅子、棟瓦には神明社とある。
シンプルな瓦葺の切妻造りの四方吹き抜けの拝殿ですが、其処彼処に彫飾りが施されています。
腕の見せ所と云わんばかりに梁には手の込んだ馬と龍が飾られています。
こちらは松、その枝の下に象の鼻の様にうねった長い物は何だろう、苦手なやつか?
木鼻には今にも飛び掛からんとする獅子?が彫られています。
拝殿内から幣殿の眺め、拝殿の額も神明社とある、その先には狛狐がお見えの様です。
参拝を済ませ境内をひと回りします。
玉垣の中の彼らに近寄る事はできませんが、痩せた狐は悲壮感が漂うけれど、彼らはそうではなさそうです、健康的なフォルムをしています。
幣殿と本殿は神明造の様です、共に在来工法のもので年月が経っていないのか綺麗な外観をしています。
本殿後方から拝殿方向を眺める。
棟には内削ぎの千木と6本の鰹木が施されています。
堀ノ内町「神明神社」の創建がいつ頃なのかは定かではありません。
祭神は天照大御神。
神社のある堀ノ内周辺の移り変わり。
右がほぼ現在、左が1891年頃、この頃の地図に神明神社の鳥居は記されています。
実際に見てはいないけれど、棟札に1602年(慶長7)に再建の棟札があるそうで、「この社、堀ノ内村にあり」と記されているといいます。
上の写真は手水鉢の右に建てられた幟立てらしき石柱、そこに1799年(寛政11)と記されていることからも祭祀形態はともかく、結構古くから鎮座している様です。
本殿右に御嶽大神が祀られ、霊神碑や左手に霊神像が見て取れます。
隣接して石碑が並んでいます。
左から山神、中央に廿二夜塔(特定の月齢の月夜に講の信者が集まり、飲む的な)、右が読み取れない。
後方に御嶽大神の解説。
もともとは「堀ノ内町表」の交差点角の古墳の頂に祀られていたようだ。
本殿右の立派な鞘殿。
津島神社の神札が納められています。
鞘殿の右に脇参道があり境内の外れにも小さな鞘殿。
この一社のみ北方向に向いて祀られています、中には赤い社が。
周辺の宅地化にともないここに祀られた天王社だろうか。
立派な鞘殿の中で扉の開けられた赤い社、中には津島神社の神札が見られます。
伽藍は新しいけれど、「神明神社」は堀ノ内町の氏神様として古くからここに鎮座しているようです。
堀ノ内町「神明神社」
創建 / 不明
祭神 / 天照大御神
境内社
津島神社、天王社 / 牛頭天王 、須佐之男命
稲荷社、御嶽大神、廿二夜塔、山神
住所 / 春日井市堀ノ内町2丁目(神領貴船神社から徒歩10分程)
公共交通機関アクセス / JR中央線「神領」から南へ徒歩10分
関連記事 / 春日井市神領町「貴船神社」
交差点を右折し県道75号線を道なりに進むと左手に石鳥居と赤い鳥居が見えてきます。
春日井市堀ノ内町の「神明神社」が今回の目的地。
県道75号線沿いに鎮座し、境内はぐるりと玉垣で囲われています。
この神社の立地は北に内津川、南に庄内川が流れ、その間に神社が鎮座します。
豊かな土壌を生かし古くから人が居住し田畑が広がる農村地帯でしたが、今は田畑は減少し周囲は住宅地に変貌しています。
現座の町名「堀ノ内」は、嘗て豪族が堀で囲った中に館を構え住んでいたそうです。
やがて集落ができ堀ノ内と呼ぶようになったらしい。
「堀ノ内町表」の交差点角に高御堂古墳がありますが、一説には古墳が堀で周囲を囲われていたから「堀ノ内」になったともいわれるようです。
個人的には二つの川に挟まれた土地柄こそ、堀の内側の様に感じてしまいます。
県道脇の右手に社号標、石の神明鳥居があり、その先で右手に折れ赤い明神鳥居へ続きます。
神明神社、ニノ鳥居から境内の眺め。
石畳は真っすぐに拝殿へ続いていきます。
ニノ鳥居をくぐった右側に手水鉢、年号は見忘れましたが、そこそこ年期が入っていそうです。
立派な灯篭の先に狛犬が守護する拝殿、境内右奥に小さな覆屋があるようです。
拝殿前の狛犬は1937年(昭和12)のもの、なかなか凛々しい姿です。
今回は奉納年度を悉く見忘れ、神社創建を知る手がかりとなるものは少ない。
神明神社全景、ほぼ玉垣で囲われています。
拝殿の軒先瓦には五三の桐紋が入り、止め蓋に逆立ちした獅子、棟瓦には神明社とある。
シンプルな瓦葺の切妻造りの四方吹き抜けの拝殿ですが、其処彼処に彫飾りが施されています。
腕の見せ所と云わんばかりに梁には手の込んだ馬と龍が飾られています。
こちらは松、その枝の下に象の鼻の様にうねった長い物は何だろう、苦手なやつか?
木鼻には今にも飛び掛からんとする獅子?が彫られています。
拝殿内から幣殿の眺め、拝殿の額も神明社とある、その先には狛狐がお見えの様です。
参拝を済ませ境内をひと回りします。
玉垣の中の彼らに近寄る事はできませんが、痩せた狐は悲壮感が漂うけれど、彼らはそうではなさそうです、健康的なフォルムをしています。
幣殿と本殿は神明造の様です、共に在来工法のもので年月が経っていないのか綺麗な外観をしています。
本殿後方から拝殿方向を眺める。
棟には内削ぎの千木と6本の鰹木が施されています。
堀ノ内町「神明神社」の創建がいつ頃なのかは定かではありません。
祭神は天照大御神。
神社のある堀ノ内周辺の移り変わり。
右がほぼ現在、左が1891年頃、この頃の地図に神明神社の鳥居は記されています。
実際に見てはいないけれど、棟札に1602年(慶長7)に再建の棟札があるそうで、「この社、堀ノ内村にあり」と記されているといいます。
上の写真は手水鉢の右に建てられた幟立てらしき石柱、そこに1799年(寛政11)と記されていることからも祭祀形態はともかく、結構古くから鎮座している様です。
本殿右に御嶽大神が祀られ、霊神碑や左手に霊神像が見て取れます。
隣接して石碑が並んでいます。
左から山神、中央に廿二夜塔(特定の月齢の月夜に講の信者が集まり、飲む的な)、右が読み取れない。
後方に御嶽大神の解説。
もともとは「堀ノ内町表」の交差点角の古墳の頂に祀られていたようだ。
本殿右の立派な鞘殿。
津島神社の神札が納められています。
鞘殿の右に脇参道があり境内の外れにも小さな鞘殿。
この一社のみ北方向に向いて祀られています、中には赤い社が。
周辺の宅地化にともないここに祀られた天王社だろうか。
立派な鞘殿の中で扉の開けられた赤い社、中には津島神社の神札が見られます。
伽藍は新しいけれど、「神明神社」は堀ノ内町の氏神様として古くからここに鎮座しているようです。
堀ノ内町「神明神社」
創建 / 不明
祭神 / 天照大御神
境内社
津島神社、天王社 / 牛頭天王 、須佐之男命
稲荷社、御嶽大神、廿二夜塔、山神
住所 / 春日井市堀ノ内町2丁目(神領貴船神社から徒歩10分程)
公共交通機関アクセス / JR中央線「神領」から南へ徒歩10分
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