春日井市上条町 「和爾良神社・大光寺」

春日井市上条町8
先に掲載した和爾良神社の飛地末社「大日社」から南に歩いて10分程で「和爾良神社」です。
 社頭の全景は、郊外の古い神社らしく、比較的長い参道がまっ直ぐに続きます。
右は住宅、左は今も住宅が建とうとしています。
 西に県道25号線と東に県道30号線が伸びていますが、神社はその間に鎮座しているせいでしょう、至って静かで車の往来も少ない。
右に「和爾良神社」社号標と常夜灯、その先に石鳥居を構えています。
参道の先に蕃塀もあるようで、ここからでは蕃塀の存在から拝殿全景は窺えません。
 鳥居から境内に続く参道、参道脇は桜並木の様で桜の咲く時期はきっと華やかな表情を見せてくれるだろう。
 鳥居左に板宮造の赤い社。詳細は分かりませんがこの外観は・・・・・
社の左に植木の陰に隠れ、存在が目立ちにくいけれど庚申塔があります。
 「延喜式神名帳」に「尾張国山田郡和爾良神社」の記載と式内社と記されているようですが比定には諸説があるようで、大日社でも記載したけれど和爾良神社だとする神社は他にもあり、どれも決定的なエビデンスがないのが実情でこの神社を探し求める方も多く存在するようです。
 上は1891年の当地で現在の上条町以前は庄内川と内津川が交わる辺り一帯は和爾良村とあり、素直に「ここね?」としたい。

 由緒書きによれば
和爾良神社は和爾氏由来の神社で1218年(建保6年)に小坂孫九朗光善が上条城築城に際し、荒廃した神社を嘆き再興し、光善の祖神磯城津彦命と菊理姫命を合祀、和爾良白山宮と称した頃もあったようだ。
1993年(平成5)に創建時の呼称「和爾良神社」に戻したと記されている。

先に記載した大日社はこの際に造営されたとある。
再興後800年を記念してこれら手が掛けられているが、1218年以前には既に存在していたので、創建は更に遡っていき、地名や社名に和爾が残った様に和爾氏の頃まで遡るのかもしれません。

街が整備されお洒落になり、地名も古い地名からお洒落になったりすると、その地の謂れも消えていきます。 
地名は意外とその地を知るのに便利なもので、昨今の異常気象による禍は地名を辿っていくと先人達が地名で警鐘を鳴らしていたりします。
参道を進むと正面に蕃堀、その先の境内は一段高くなり拝殿が建てられ、拝殿の右は公園になっているようでカラフルな遊具も見えます。
 境内右の夜泣き石、春日井市の史跡に指定されているようです。
和爾良神社の右に大光寺がありますが、春日井市の昔話によるとこの石は大光寺にあったそうです。

昔、この地に住む松右衛門が庭石にしようとこの石を寺から家に持ち帰ったそうです。
持ち出されたこの石は夜になると鳴き声とともに「大光寺に戻りたい」と涙を流し訴えたと言う伝説が残る。
 参道から西側の眺め
左から手水舎、脇参道、集会所手前に蕃塀がある。

 控え柱を持つ木造蕃塀と拝殿、手前に狛犬が守護しています。
背後には楠木の巨木が大きな杜を形作っている。
 和爾良神社の瓦葺切妻拝殿と右は瓦葺入母屋造の大光寺本堂、寺と神社が綺麗に並ぶ。
狛犬の阿形の右に「小野道風公発祥地」と記された石標。
 拝殿に繋がる石段前の狛犬。(2枚貼り合わせ)
和爾氏宗家が絶えたその後、和爾氏を祖とする小野葛絃が上条に赴任、894年(寛永6)に小野道風が誕生したという、その生誕地は道風記念館のある松河戸だったり、ここ上条付近だとか諸説あるようです。
こちらでは生誕の地に道風が祀られていないのは寂しいとのことから、平成30年に滋賀県の大津に鎮座する小野道風神社から道風の分霊を勧請したらしい。
 拝殿正面、白壁の白と木の色合いがシンプルで美しい。
派手な飾りのない落ち着いた佇まいの拝殿。
 「延喜式内社 和爾良神社」の額と拝殿内。
 拝殿西から幣殿、本殿方向の眺め。
 拝殿左、東向きに板宮造の三社が祀られています。
左から市杵島神社(市杵島姫命)、御嶽社(少彦名命)、稚児社(天照皇大神)
御神木の楠は社殿の上空を覆うように枝を張り、境内に大きな木陰を提供してくれている。
木陰を求め本殿方向へ。
 右の幣殿と本殿。
千木は内削で鰹木は6本の様に見られます。
作りは神明造の様です。
 本殿後方は一周でき、公園に繋がります。
道路から隔てられ、緑も多いこの境内、神さまの傍で安全に遊ばせるにはいい場所かもしれない。
稀に「子供の遊び場ではない」と張り紙のある神社も見かける、子供を遠ざける神域故に当然理由があるけれど、子供の頃こうして遊んできたおやじから見ると受け入れてくれるようなこうした光景が見られる神社に妙に魅かれるものがある。

和爾良神社
創建 / 不明
祭神 / 阿太賀田須命、建手和爾命、磯城津彦命、菊理姫命
境内社 / 市杵島神社(市杵島姫命)、御嶽社(少彦名命)、稚児社(天照皇大神)
住所 / ​春日井市上条町8
公共交通機関アクセス / JR中央線「春日井」駅下車、​南に徒歩20分
関連記事 / ​大日社
拝殿右の切妻瓦葺で向拝が付いた小さな堂は「上条元三大師堂」
和爾良神社を参拝した後はここにもお参りすると御利益を得られる。
「南無元三大師」と唱えることで交通安全、家内安全、合格祈願、無病息災などあらゆる悩みにご利益が得られそうだ。
角大師とも呼ばれ、宗派に拘ることなく、戸口に御札を貼る事で災いから守っていただけると云う。
 拝殿の右に並ぶ入母屋瓦葺のシックな建物は大光寺本堂。
軒下で涼を取り、左の公園で遊ぶ子を見守る親の姿もある。
 代々の西国三十三ヶ所遥拝の記念奉納額が掲げられ、中には色褪せたものもあり、信仰心の厚さが伝わってきます。
切妻瓦葺で向拝が付いた小さな堂は「上条元三大師堂」
和爾良神社を参拝した後はここにもお参りすると御利益を得られる。
「南無元三大師」と唱えることで交通安全、家内安全、合格祈願、無病息災などあらゆる悩みにご利益が得られそうだ。角大師とも呼ばれ、宗派に拘ることなく、戸口に御札を貼る事で災いから守っていただけると云う、広い心をお持ちの仏様。
ここは寺、なので参拝作法の切替が必要。
僅かな賽銭多くの願い、何卒流行病を… 
 
堂内の厨子は天台宗の中興開山の元三大師という僧の石仏が祀られているらしい。
この厨子の棟木に1510年(永生7)と銘があるといい、もとは鳳来寺にあったとされます。
小さな厨子ながらその作りは凝ったものがあり、室町時代から守り継がれてきた春日井市の指定文化財。
大光寺門前から元三大師堂全景。
西国三十三ヶ所本尊の石仏が安置されています。
千手観音や馬頭観音、十一面観音など像容のはっきりした大小様々な像が見られる。
山門から境内
左が本堂、中央が庫裏になるのだろうか。

大光寺の創建は不明ですが和爾良神社の別当寺であったとされ、1218年(建保6)上条城主の小坂光善により和爾良白山宮と共に現在地に移

どこから移されたか? 
それは、ここから北西の朝宮町に朝宮公園があるけれど、その南に鎮座する朝宮神社あたりだという。
この大光寺は山号を朝宮山といい、朝宮町とは所縁がありそうです。
だとすると和爾良神社の旧社地はこの辺りという事か?
「和爾良神社はここね?」とはいかなくなってきた。

大光寺
創建 / 不明
宗派 / 天台宗
山号 / 朝宮山
本尊 / 十一面観世音菩薩像
住所 / 春日井市上条町8
 

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