福井県勝山市『平泉寺白山神社』

梅雨の晴れ間の7/16、福井方向に車を走らせてきました。
目的地は九頭竜経由で勝山市平泉寺。
雨後の晴れ間で陽が昇る頃には生き生きした苔の緑が見られるだろう、そんな目論見です。

名古屋発は6:00、守山SIから名神高速に乗り一路、東海北陸自動車道「油坂IC」を目指す。
そこから国道158号線を経由し平泉寺に向かいます。
 上は国道158号線(恐竜街道、美濃街道)の九頭竜川右岸にある道の駅「九頭竜」。
大雨による道路への影響もなく8時過ぎに到着。
ここのコンビニでゆっくりと朝食をとる事にした。
息子達が恐竜に興味を持った頃、ここの対岸にあるキャンプ場で宿泊し、福井県立恐竜博物館の化石発掘体験に行った時以来久し振りに立ち寄った、今も2頭の恐竜のモニュメントが置かれ、時が来ると雄たけびを上げる、子供だましにはいい場所だった。
ここは福井市越前花堂駅から伸びる越美北線の最終駅でもあり、駅の先には線路はない。
ここから目的地までは九頭竜川を下る事。約一時間も走れば到着だ。
ここまでの登りでは悲鳴を上げていた軽のエンジンも幾分静かになってきた。
 目的地の平泉寺白山神社へは9時30頃到着、無人の有料駐車場に300円投入し、一旦駐車場から参道を下る事とした。
鬱蒼とした杉の巨木が立ち並ぶ中宮平泉寺参道を下り切り、勝山城博物館、下馬大橋まで下る。
ここから再び参道を登り始める。
中宮平泉寺参道 日本の道100選に選ばれている、約1.2kmの旧参道である。
菩提林とよばれる樹齢1000年とも云われるスギや広葉樹の老木の並木に覆われ旧参道の石畳。
室町時代に九頭竜川の河原の石を、修行僧が手送りで運びつくりあげたもので、長い年月により石畳は自然の苔で覆われ、目にも鮮やかで趣のある光景が残っている。
左に道路もあるけれど、これとて馬を通すための道を自動車用に作り替えたものだ。
空を覆う参道の樹々と苔の緑のトンネル、静まり返った空間は特別な感じを嫌が上にも感じられる。
フィルターでろ過された空気とでもいえばいいかな。
吸い込む空気もひんやりとして、心なしか美味しく感じる。
平泉寺白山神社
717年(養老元年)、泰澄によって開かれ、霊峰白山に続くの3つ(加賀、越前、美濃)の越前禅定道にあたり、白山の美濃入口は長瀧白山神社白山長瀧寺、加賀は白山比咩神社、越前はここ平泉寺白山神社で三馬場と呼ばれ、山頂を極楽浄土と見立てた白山信仰の登拝拠点として栄えたそうです。
ここ平泉寺白山神社も盛期には48社、36堂、6000坊院を誇ったそうだです。

写真は精進坂
ここから先は身を清め心を慎む修行の場、この坂より上には魚の持ち込みは禁止されていた、それゆえ精進坂と呼ばれるそうです。
中央の石段、昔は52段だったそうで、1段の高さが高くのぼるのが大変だったようです。
現在は84段となりのぼりやすくなったと云われます。
下からの参道もそうですが、雨後などは丸い石が滑りやすくなるので足元と、周囲を見ながらの歩行は要注意。
それさえ気を付ければ豊かな自然と緑の苔の世界を楽しめます。
精進坂の中ほどからニノ鳥居。
参道脇は御覧の様に一面鮮やかな緑の苔の絨毯です。
久しぶりに目も覚めるような緑を見たような気がします。

境内全域は白山国立公園特別指定区域内に位置し、その広さは15万平方メートルあるといいます。
梅雨時から夏にかけ一面に生える見事な苔が平泉寺の見どころ、京都の西芳寺と共に苔寺として知られる。
苔の種類も豊富で素人目に見てもその違いが分かるほど、苔マニアにはたまらない場所かもしれない。
ニノ鳥居。
山王鳥居に似たこの鳥居は中央に屋根がついた神仏習合の時代の独特な様式だといわれ、おそらく日本にはここにしかないと云われ、当時の鳥居は一向一揆で消滅しましたが、こうして見る鳥居は1778年(安永6年)に再建されたものだそうだ。
控え柱が付いて、周囲の景観に溶け込むような佇まいだ、一目見てこの鳥居の虜になりました。
鳥居に掲げられた大額の白山三所大権現は中御門天皇の皇子天台座主公遵法親王が書かれたものという。

鳥居の先に見える拝殿は江戸時代に再建された寄棟檜皮葺のもので、1574年(天正2)の一向一揆で全焼する前の拝殿は、46間(83㍍)あったと言われ、京都の三十三間堂より大きな建物だったそうです。
それを裏付けるように礎石が点在し、当時の大きさを物語っています。
本殿は1795年(寛政7)に福井藩主松平重富により再建された、総欅造で外観は白木造ですが、内部は美しく彩られているといいます。向拝など見事な龍の彫刻が施され見事となものです。
この本殿の扉は33年に一度しかあけられないそうで、次に扉があけられ見事に彩られた内部が見られるのは2025年だそうです。
祭神は伊奘冊尊をお祭りする。
本殿の左の大汝社、祭神は大己貴尊をお祀りしています。
本殿右にも同様の社があり別山社といい、天忍穂耳尊をお祭りします。
本殿と左右の社は白山を構成する三つの山を表しているそうだ。
拝殿から本殿にかけては苔の宮ともいわれるだけに、静寂な境内一面が緑の絨毯を敷き詰めたように緑の苔が広がります。
平泉寺白山神社、霧雨の様な雨がしっとり降る早朝に訪れると更に別の表情を見せてくれそうだ。


平泉寺白山神社
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平泉寺白山神社で十分に目の保養を行い、次は越前蕎麦を食べに大野市に向かいます。
その前に、白山神社に向かう道すがら見かけた神社に「ちゃちゃと見てくるから寄らせてくれる?」とお願いし立ち寄る事にしました。
白山神社から車で10分程下った県道169号線脇の草むらの中に鎮座する神社。
妙に伽藍に魅かれた、入母屋の本堂と床の高い渡廊、本殿は流れ造の鞘堂で覆われ、いかにも雪深い土地柄を感じさせるもの。
コンパクトに纏められています。
社頭からの全景。
社号標は白山神社とある。
由緒書きなく詳細は不明ですが、石鳥居は昭和22年、社号標は大正14年と彫られています。
境内は広くあちらこちらに切株が点在しています、つい最近まで境内は杜で包まれていたようです。
伐採され陽当たりも風の通りもいい境内、緑の草むらに佇む「大渡地区の白山神社」

大渡地区の白山神社
住所 / 福井県勝山市平泉寺町大渡28小沢4
平泉寺白山神社からのアクセス ​国道169号線経由で10分程

さて気になった神社にも寄り道することも出来たので蕎麦〃。
 大渡地区の白山神社から恐竜街道を南下、県道240号線を経由し15分程で越前おおの結ステーション多目的広場兼駐車場に到着。随分と遅い昼ご飯になってしまった。
広場に建ち「時鐘」、高さ約8㍍の木造で四方に時計を備える。
明治の頃までは上に吊るされた半鐘を打ち鳴らして時を知らせたそうだ、この時鐘はそれを懐かしんで復元されたようです。モデルになったのは長良川のほとりに立つ「川湊灯台」だと云われます。
時鐘の左の山の頂に見えるお城は越前大野城。

この駐車場は廊下式の和風建物やステージが併設され、嬉しい事に駐車場は無料。
ここに車を停め七間朝市通りの「十割そば処 七間本陣」へ。
町屋風の外観で、以前は棟続きの長屋が続いていた名残を留め、気が付いたら両隣は無くなってました的な外観。
普段ならざる蕎麦となるけれど、ここに来たらおろし蕎麦でしょう。
蕎麦の香りは控えめですが、ほどよい弾力と喉越しのよさ、そばつゆに大根おろしが入った「おろしそばつゆ」で頂く蕎麦、大根の刺激が涼を感じさせるものです。
後味はとてもさっぱりして夏に向く蕎麦だと思う。
結構蕎麦の量は多く3玉の三間盛が1.5人前相当、かみさんから一玉プレゼントされたが4玉はお腹一杯。
さっぱりした越前蕎麦に大満足です。

「十割そば処 七間本陣」
住所 / 大野市元町3-20

お腹を満たし、周辺の酒屋さんで地酒を買い求め、ここからは羽島のコストコ経由で帰途に着く。

その途中の九頭竜湖でもう一社寄らせてもらった。
 総社穴馬神社
九頭竜湖畔の国道158号線沿いに大きな石鳥居と穴馬総社の社号標は運転していても視界に入ってきます。
湖畔を見下ろす高台に鎮座する穴馬神社。
周辺に集落はないながら何故ここにと感じるけれど、目の前の九頭竜湖の下に集落はあった。
九頭竜ダムの建設で水没した氏神様をまとめて祀るために昭和39年に建てられたもの。
シャープな切妻造の拝殿とその後方に神明造の社殿がある。
境内には水没した集落にあった春日神社、立今神社の社号標も残る。
御祭神  天照皇太神他、17カ村の氏神を合祀
立合神社・春日神社
氏神は立合神社、元は神明神社であったとされ、明治44年野尻・大谷入会地にあった八幡神社を合祀し、立合神社と改称された。
故郷は湖底に沈み、そこに住まっていた住民は離れ離れとなるも、人の去ったこの高台に氏神が纏められている。故郷を思う時ここを訪れることで当時の記憶が蘇ってくるだろう。

総社穴馬神社
住所 / 福井県大野市野尻54-1-2
さて晩御飯の時間には戻りたい、コストコに寄って帰る事にします。


今回各地にとんでもない降雨量をもたらし、各地に深い傷跡を残しました、被災された方々には心からお見舞い申し上げます。
自然の驚異を実感させられ事が多くなり、それは他人事では済まされないほど地球規模で歯車が狂ってきているようです。
個人でも支援の手を差し伸べる手段はある、明日は我が身、困ったときはお互い様だ。
明日は今日よりいい日が来る。

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