熱田区神宮2の「不明社」
松姤社から国道一号線沿いの歩道を左へ、更に最初の脇道を左に向かい秋葉山圓通寺方向へ。
最初の交差点は左に進むと熱田神宮南門へ続きます。
熱田神宮の杜沿いに北方向へ進みます。
周辺の表通りはビルが立ち並んでいますが、少し入ると趣のある民家が点在しています。
秋葉山圓通寺が見える三叉路の角にある個人宅の片隅の幟柱が目にとまりました。
良く見ればその奥に小さな社の姿があります。
個人宅の壁面に貼られたホーロー看板が味があっていいものです。
個人宅南の敷地に東西に長い社地を与えてもらい、幟柱の先に岩で組まれた台座の上に社が祀られています。
こちら側が正面かと決め込んで社名の手掛かりを探して見るも何もない、社をよく見るとこちらは背面側。
正面に回り込んで見ました、趣はこちらが裏の様な外観です。
街中に井戸、しかも今も現役の様に見えます。
熱田神宮を背にして東向きに鎮座する板宮造りの社に社名札はなく、その他の手掛かりは分かりません。
それでも神社幕が架けられるようになっているので廃社ではなさそうです。
こうして見ると屋根神さまの様にも見えなくもないけれど、なにも分からない。
上の写真の左は終戦から間もない頃の航空写真、右が終戦から6年後の航空写真。
名古屋は大きな空襲を幾度か受けています、戦争による空襲は多くの犠牲者と大きな爪痕を残しました。
熱田神宮のあるこの辺りも「熱田大空襲」として多くの人命を失い、甚大な被害を受けています。
この社が建てられたのはそれほど古くはないでしょう。
復興に向かい現在の姿になっていく過程で、ここの住民(個人?)の思いと創意から祀られたものである事に間違いないでしょう。
今こうして見る社、それを必要とした背景が後世に伝わっていくといいのだろうが。
廃社の社を見かけると、単に社だけではなく、その地域の一つの歴史が幕を閉じた気がしてならない。
不明社
創建 / 不明
祭神 / 不明
住所 / 名古屋市熱田区神宮2丁目3
松姤社からのアクセス / 鳥居から徒歩で2~3分程
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