粉河寺 『千手堂から粉河産土神社』
粉河寺の最後となる今回は本堂左の千手堂の右から粉河産土神社方向を見ていきます。
神社への参道は二通り。
右の赤い矢印が本堂右側の薬師堂から、左が写真の石段のある場所。

おんどり石
『鎌倉時代末、元寇の時、元の大軍を前に日本の武士たちは勇敢に戦ったが大苦戦で退去を余儀なくされた。
その際、当社の祭神丹生大明神が鶏に乗り現地に赴き、神力で大風吹き起こした。
元の軍船は殆ど難破し、沈没して全滅した。
所謂、「神風」で敵を退けたのである。
この鶏が石となって産土神社境内に坐り続けて神社を守護している。
更に正月三日にはこの「おんどり石」が一声鳴いて石段を登ると云われ、鳴き声聞くものは長生きをすると言われている』
所謂、蒙古襲来。
「文永の役(1274年)」、「弘安の役1281年)」大陸からの二回の侵略を受けます、何れも神風により救われますが、その風を起こしたのが鶏に乘った丹生大明神だという。

拝殿
風猛山を背にして鎮座し、春日造の本殿が二棟並んで鎮座しています。
現在の本殿は江戸時代に再建されたものという、
創建は770年(宝亀年間)に粉河寺創始に際し、鎌垣庄の各村の氏神を勧請したのが始まりとされます。
祭神は丹生都姫命(にうつひめのみこと)、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀ります。
産土神はその土地の守り神、それらを纏めて祀る神社が粉河産土神社。
粉河産土神社狛犬
天福神社本殿全景。
祭神は天降大明神を祀り、擬宝珠の銘に1727年(享保12)と刻まれているという。
その両脇を小さな陶製?の狛犬が守護しています。
本殿左に熊野社、吉野社の二社が鎮座するようです。
祭神は天降大明神を祀り、擬宝珠の銘に1727年(享保12)と刻まれているという。
その両脇を小さな陶製?の狛犬が守護しています。
本殿左に熊野社、吉野社の二社が鎮座するようです。
それに比べ「癒しの黒猫タンゴ」、この子は愛想がいい。
手前の粉河産土神社から天福神社の眺め。
境内は更に右手に広がります。
手前の赤い社は左から楠神社、一言神社、多賀神社、日吉神社、北野神社が祀られています。

正面を向いた狛狐が守護する粉河稲荷大明神。
5回に分けて記載した「西国第三番霊場 粉河寺」。
多くの伽藍や句碑等見所が多く、境内の樹々や花の種類もいろいろあり、四季それぞれに表情を変え楽しませてくれそうです。
「粉河産土神社」
創建 / 770年(宝亀年間)とされる
祭神 / 丹生都姫命、天忍穂耳命
「天福神社」
創建 / 不明(擬宝珠に1727年(享保12)の銘)
祭神 / 天降大明神
住所 / 和歌山県紀の川市粉河2787
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