乳竇山 報恩寺
知多新四国八十八箇所霊場 五十七番札所 曹洞宗 乳竇山 報恩寺
名鉄知多新線「知多奥田」駅の南に鎮座する曹洞宗のお寺「報恩寺」。
駅の線路の先に見えているので一見近そうに見えますが、線路沿いに道はなく道のりは遠い。
「報恩寺」は知多新線の高架をくぐった左側の小高い丘に鎮座します。
内海方向に向け赤い電車が走り去っていく。
寺の前は刈り入れも終わった田んぼが一面に広がる。
このご時世、息苦しさを感じる街の空間から少し離れると、解放感のある長閑な光景がある。
ここならマスクを外しても奴はいないんじゃないかな。
田んぼ沿いの狭い道路の北側に報恩寺の門前があります。
参拝者駐車場も確保されています。
かみさんが参加を続けている名鉄主催の「歩いて巡拝(まいる)知多四国」。
たまに現地まで送迎するのですが、COVID19以前は日付指定の一斉開催で巡礼者の多さから一緒に参拝とまではいかなかった。
コロナ禍で分散化を図るために期間を定めたものに変更され、このイベントで巡礼される方の姿は確実に密から分散傾向にあるようです、これなら車を停め一緒に参拝できる。
とはいえ、ここから先は頑張って歩いてもらおう。
報恩寺は田園地帯の高台で長い石垣に囲まれ鎮座しています、その光景は城を思わせる。
石段の先の境内には本堂が見えている。
伽藍は正面が本堂、右に寺務所、左に手水舎と大師堂、更に大師堂から少し西に秋葉堂。
報恩寺 沿革
「乳寶山報恩寺は、御本尊を西方如来(阿弥陀如来)。
源頼朝公の乳母で、鎌田兵衛政清(頼朝の重臣で、頼朝を謀殺した長田忠致の娘婿)の母が文治元年(1185年)菩提を弔うため建立した。
当時は天台宗で大己貴神社の北にあった。
後の室町後期(永生年間)に緒川(東浦町)城主水野貞守の嫡男、賢昌公が現在地に再建し、曹洞宗に改宗し現在に至る」
見た目以上に歴史のある古刹のようです。
沿革にある大己貴神社はここから西へ徒歩で10分程の丘の上に鎮座します、その北と云うと現在は小学校があるあたりだろうか?
緒川城は東浦町緒川字古城に平山城で、現在は城址碑と住宅地の中に僅かに土塁が残っているようです。
本堂全景
入母屋瓦葺のどっしりとした外観
本堂に掲げられた山号額。
僅かに開かれた扉から堂内を窺うが…
本堂左の大師堂。
瓦葺方型で唐破風の向拝が施されています、堂内には弘法大師像と梅花観世音菩薩が安置されているようです。
噛みまくっていたかみさんの読経も随分早くなってきたようです、納経所で納経印を頂いたかみさんとはここで別行動です。頑張って歩けぇ
大師堂左に穏やかな表情の修行大師像が安置されている。
像の視線は上陸したと伝わる聖崎を向いているのか?
大師像の前を左に進み秋葉堂へ向かいます。
秋葉堂は境内の西外れに位置し、周囲を杜に包まれた一画に鎮座しています。
入母屋瓦葺で妻入りの小さな堂です。
参道から見上げる秋葉堂。
杜に囲まれ静かに佇む堂ですが、すぐ左に知多新線の線路があり、時折通り過ぎる電車の音が漏れてきます。
堂に掲げられた額。
秋葉堂の由緒については調べきれませんでした。
祭神は秋葉三尺坊権現。
堂内の厨子には不動明王の姿も窺えます。
参拝を済ませ更に西へ行くと視界が広がり、目の前に線路があります。
この小路が右方向に続いていれば知多奥田駅も近いのですが、行き止まりです。
ここから左に進み駐車場に向かいます。
道すがらで見かけた赤い花、名は知らないけれど秋を感じさせる色合いです。
左の線路を赤い電車が走る姿を入れたかったが、そう自分の都合のいいようにはいかないものです。
駐車場に戻る途中に赤い電車は通り過ぎて行った、残念。
知多新四国八十八箇所霊場 五十七番札所
曹洞宗 乳竇山 報恩寺
宗派 / 曹洞宗
創建 / 1185年(文治元年)
本尊 / 西方如来
秋葉堂
創建 / 不明
祭神 / 秋葉三尺坊権現
住所 / 愛知県知多郡美浜町奥田会下前39
公共交通機関アクセス / 名鉄知多新線「知多奥田」駅下車徒歩10分程
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