薩摩国一ノ宮 枚聞神社、新田神社

 さて二日目の工程は少しタイト


最初の目的地は宿から25分程走ったJR日本最南端の駅「西大山駅」。
単独峰の開聞岳を望む長閑な田園地帯、そこに伸びる指宿枕崎線の線路と無人駅で知られる。
ここはおやじが以前から行きたかった場所です。

幸せの黄色いポストは現役のようで、ここから投函すると願いが叶うと云う、近くには縁結び、子宝、家族の健康など多くの願いが込められた絵馬がかけられています。
「ワクチンを作り皆を健康にするぞ!」と書かれた絵馬に目が止まる、がんばれ!

日本最南端の駅案内碑
住所 / ​鹿児島県指宿市山川大山


「西大山駅」から車で10分程走り、開聞岳北側山麗の枚聞神社を目指す。

開聞岳の北北東に鎮座する枚聞神社、社殿後方には開聞岳が優美な姿で聳えています。
薩摩国一之宮は、昨日次に参拝する新田神社と、ここ枚聞神社の二社があります。
新田神社は格式で言うところの式内社ではなく、ここ枚聞神社は式内社として格付けされています。
祭神は、天照大御神を祀り、配神に五男三女神を配祀します。
「地方開拓の祖神として厄除け、海運、交通安全、航海安全、漁業守護神として、琉球国を初め地方民から厚く信仰され、古来薩摩国一之宮、南薩地方の総氏神として朝廷や薩摩島津家から代々に渡り厚く崇敬されてきた。」
創建は定かではなく神代の時と云われますが、社記によれば708年(和銅元年)の創建とあるようです。
開聞岳を御神体とする山岳信仰から始まっているようで、開聞岳頂上には末社の御嶽神社が鎮座するという、御神体が開聞岳がありながら御嶽神社?-・・・・良く分からない。

朱塗りの社殿は正面に勅使殿、拝殿、本殿と並びますが、拝殿までは辛うじて見えますが、本殿の全容は外削ぎの千木と鰹木以外は見て取れません。勅使殿天井に描かれた絵が視線を引き付けます。

薩摩國 一之宮 枚聞神社
祭神 /   天照大御神
配神 /   五男三女神
創建 /   不明、社記708年(和銅元年)
 住所 / ​鹿児島県指宿市開聞十町1366
さて次の目的地もう一つの薩摩國 一之宮 新田神社までは小一時間程のドライブ。


もう一つの薩摩國一ノ宮である新田神社は神亀山という亀の形をした小高い山の上に鎮座します。
新田神社の一ノ鳥居からニノ鳥居までの参道は真っすぐ伸び、参道両脇には桜並木が続き、桜の時期にはさぞかし見ごたえがあるだろう。それにしても参道は長い、一ノ鳥居が霞んでしまうほど。
ナビに任せてニノ鳥居に案内してくれたのはいいけれど、ここから歩いて一ノ鳥居までは少し遠い、諦めだ。

かつて八幡五所別宮のひとつとして八幡神を祀っていたので、「新田八幡宮」、「八幡新田宮」などと呼ばれていたそうです。
神社の「新田」という名称は、天津日高彦火邇邇杵尊(アマツヒコネホノニニギノミコト)が川内の地の川内川から水を引いて新しく田圃を作ったとされ、そうした意味が込めら付けられたとされる。

祭神は天津日高彦火邇邇杵尊、天照皇大御神、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊(マサカツアカツカチハヤビ・アメノオシホミミノミコト)を祀り、創建は725年(神亀2)とされるようです。

勅使殿の唐破風向拝に施された飾りと拝殿天井に施された草花の天井絵は見応えがあるものです。
勅使殿前の狛犬「子だき狛犬」は、安産を祈願し撫でることで願いが叶うとされます。

社殿は元は現在の位置から一段下がった場所に鎮座していたようですが、火災(1173年)により焼失、僅か3年後に現在の山頂に再建されたようです。

社殿の背後の可愛山陵は天津日高彦火邇邇杵尊の陵墓とされる。



薩摩國 一之宮 新田神社
創建 / 不明(創建は725年(神亀2)とされる)
祭神 / 天津日高彦火邇邇杵尊、天照皇大御神、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊
住所 / ​鹿児島県薩摩川内市宮内町19352

そろそろ遅い昼食をとるため新田神社から30分程南下した串木野市にある海の駅食堂へ

島平漁協直営の食堂という事で、鮮度のいい刺身が食べられる。
地元にとどまらず観光客からも支持され、タイミングが悪いと待ちがでるお店。
待ちがあっても大丈夫、目の前の照島には神社もあり参拝もできる。

たまたまだろう、順番待ちもなく即入店、数々あるメニューの中から一番人気の「海鮮丼しおさい」を揃ってオーダー。
これで1200円なら妥当な価格か、複数の魚種の切り身がてんこ盛り、そこにワサビを醤油に溶かして丼全体に垂らして頂くものらしい。臭みもなくこれは旨かった、が唯一白い切り身だけが食べ慣れていないせいか少し癖があった。

照島海の駅食堂 
営業時間 11:00~14:30
定休日  火曜日、年始
鹿児島県いちき串木野市西島平町409

さて食事も済ませ目の前の照島に鎮座する照島神社に参拝します。

「照島」という小さな島ですが、朱色の反り橋を渡ると波打ち際の石鳥居から神社のある島の頂に向かって石段が続きます。
昔から海の守り神として崇拝されている、祭神は大己貴命、少彦名命、大山津見命を祀ります。
創建年代は不明ですが、古来言い伝えには常陸国鎮座の大洗磯神社(御祭神・大己貴命・少彦名命)と、伊予国鎮座の大山津見神社(御祭神・大山津見命)を勧請し創建したとされています。
反り橋を渡った左に「薩摩焼開祖着船上陸記念碑」があり、ここに上陸した陶工たちがこの地で焼き物を作り始めた事から発祥の地でもあるようだ。
小さな島全体が神域のようで、多くの伝説も伝わる不思議の島。
照島神社
創建 / 不明
祭神 / 大己貴命、少彦名命、大山津見命
住所 / ​鹿児島県いちき串木野市西島平町410

次の目的地仙厳園へは車で1時間20分程東へ向かいます。
ここでの目的は桜島を築山に見立て、錦江湾を池に見立てた雄大な光景が見られる島津家の庭園と反射炉跡を一目見たかった。

仙厳園正門前では体調や検温、アルコール滅菌等感染予防の対策は十分とられていた。
園内中ほどの錫門、朱塗りの江戸時代の正門。屋根は薩摩の特産品の錫で葺かれています。

世界遺産の構成資産ひとつ反射炉跡は、正門を入って左手に城壁の様に建っています。
28代島津斉彬が鉄製大砲の鋳造のため築いたもので、煙突が聳え立つ韮山の反射炉とは違い、炉の基礎となる炉体の跡が今も保存されています。

桜島の噴火活動は訪れる前日までは活発だったようですが、滞在期間中は穏やかな表情を見せていました。錦江湾に浮かぶ桜島、今も噴煙を上げる桜島はこの地のシンボルでもあり、火山と共に生活がある。
余談ですが、その日は気付かなかったけれど、翌日の朝、車の窓ガラスに薄く白い砂が積もっていたのには驚きました。これが桜島なんだと実感。

尚古集成館 
仙厳園の左に隣接し、幕末の薩摩藩主島津斉彬が西欧諸国のアジア進出に危機感を持ち、軍事のみならず産業の育成を進め、富国強兵を真っ先に実践、それら事業の中核を担ったのが集成館一帯。
ここから大砲などの西洋技術が各地に広がっていったといっても過言ではない。
1865年(慶応元)に竣工した機械工場は重要文化財で現在は島津家の歴史、文化と集成館事業を展示する博物館になっています。

仙厳園・尚古集成館
住所 /   ​鹿児島県鹿児島市吉野町9698-1

滞在二日目最後の目的地照国神社に向かいます。

その前に今夜の宿、城山ホテル鹿児島にチェックインし荷物を置くことに、部屋の窓からは夕陽に染まりつつある桜島が一望できる。
照国神社の授与所は夕方5時まで、あと30分、悠長に景色を見入っている場合ではないか。
ホテルから近道の狭い階段を下り神社を目指す。
かみさんは島津家の家紋が入った御朱印帖を手に入れたかったようで絶対外せない場所、ギリギリ間に合い念願の御朱印帖を手に入れ大満足。

照國神社
島津齊彬は1851年(嘉永4)、43歳で薩摩藩・藩主を襲封し、1858年(安政5)に亡くなるまでの僅か7年間の治世ですが、その間の事績は藩内にのみならず日本にとっても数々のものを残し、生前の遺徳を慕い崇敬の念から1863年(文久3)照國大明神の神号を授けられ照國神社が創建された。
祭神は照國大明神、島津家28代当主11代藩主 島津齊彬

照國神社
住所 /   ​鹿児島県鹿児島市照国町19-35

参拝を終え、城山を背に建つ西郷さんにもご挨拶したし、市内を走る路面電車を見がてら晩御飯へ。
ホテルは夕食の予約が埋まる程の宿泊客、GoTo効果は大きいようだ。

市内で一杯ひっかけながら晩御飯を済ませ、ホテルに戻りやっと一息。
展望露天風呂で疲れを癒し、夜景を見ながら再び飲む。
イルミネーションが施されクリスマスが近いことを告げているが、今年は家族揃って乾杯は見送りだろうね。
鹿児島滞在も明日が最終日、いよいよ桜島に渡ります。
そしてお決まりの早起き、窓から朝陽に輝く錦江湾と桜島の綺麗な事。

城山ホテル鹿児島
​住所 /  鹿児島県鹿児島市新照院町41-1


二日目工程​ 

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