「桜島・錦江湾Geo Park」黒神埋没鳥居『腹五社神社』

 鹿児島県鹿児島市黒神町『腹五社神社』


朝陽を受け桜島のシルエットが浮かび上がる、観光で訪れた者には記憶に残る短くも美しくい光景です。(鹿児島市内より)
自然は人に感動や恵みを与えてくれる、しかし時に過酷なまでの絶望感に満ちた試練を与えます。

黒神埋没鳥居と呼ばれる『腹五社神社』は、鹿児島市からフェリーで島に渡り、桜島港から国道224号線と県道26号線を10分程走った島の東側にあたります。
桜島は現在大隅半島と陸続きとなっていますが、以前は独立した火山島でした。

1779年の安永噴火以降穏やかだった桜島、大正3年1月12日の朝、引ノ平付近の噴火から始まり、東山腹の鍋山付近へと活動が広がり、明治維新以降に我が国が経験する最大の噴火「大正噴火」となります。

東山腹にあたる鍋山付近から流れ出た溶岩流は、東桜島村の脇・有村・瀬戸の集落を覆い尽くし、幅約360㍍、水深75㍍の瀬戸海峡をも埋め尽くし大隅半島まで到達し陸続きとします、これが今の桜島の姿になります。
当時の桜島は東桜島村と西桜島村に分かれていたそうで、18の集落に約2万人の島民が生活を営んでいた、この噴火により多くの人命と家屋、農地が失われました。
海峡を泳いででも逃げようとして亡くなった方もあり、地獄絵図そのものだったと云います。

埋没鳥居として知られる『腹五社神社』には大正噴火の記憶がそのまま今に留められています。
神社を訪れる気持ち以前に自然が与える試練を目に焼き付け、自然から驕り高ぶった人に対する警鐘を感じ取っておきたかった。

県道26号線沿いに無料駐車場があり、道路を渡った黒神中学校の右が目的地。
駐車場には強固なコンクリートで作られた避難壕が、島内の至る所にこうした避難壕が当たり前の様に設置されています。

駐車場から黒神埋没鳥居は目の前。
学校の敷地と隣り合わせ、というか一部になっている。
神社のある黒神地区、地名の由来は諸説ありますが、女性の髪の様にふさふさした木が茂っていたことから「黒髪」とついたといわれます。
大正噴火当時に黒神地区には約700世帯あったとそうですが、神社を含めそれらは全て噴火による火山灰により一日で埋没しています、その高さは実に2㍍にもなるそうです。


県道を渡り神社へ、右手の石垣は黒神中学校の校庭。
あれから100年を経過し、道路を含めてこれらは堆積した火山灰の上に作られたもの、周囲は黒髪の様な樹々が生い茂り、当時の惨状を伝えるものは少なくなっているようです。
一日にして集落を埋め尽くす自然の力に対し、人が出来る事は時間もエネルギーも遠く及ばない。

神社入口の解説。
島へは船で渡っていたものが大正噴火による30億㌧の溶岩により大隅半島と陸続きとなった。

「桜島・錦江湾Geo Park」、地球・大地からのメッセージから学び、保全し、地域の活性化につなげる公園。ユネスコの認定を受けた世界Geo Parkが国内9カ所、日本Geo Parkが43か所あるという。
以前掲載した「嘉例川駅」のある一帯は2010年に認定された霧島山を中心とした日本Geo Parkの「霧島Geo Park」でした、「桜島・錦江湾Geo Park」は20013年に日本Geo Parkに認定されたもの。

黒神埋没鳥居と参道全景。
左の石垣と大きな木(アコウ)の陰に包まれた横が参道にあたります。
右に資料館、左に赤い覆屋があり、参道を塞ぐように石鳥居の笠木だけが露出しています。

赤い覆屋の中には小さな社が祀られています。

Geo Park認定の翌年に隣の黒神中学校の生徒らが作成した、桜島の成り立ちから防災情報を伝える解説。Geo Park認定は郷土を知るうえで貴重な経験と知識を得る機会にもなっているようです。
観光で訪れた者から見ると、活動が続く桜島の噴煙と山肌を間近に見ていると「いつなんどき・・・・」を想定してしまうものですが、火山と共に生活を営む住民には長い経験からくる「桜島の掟」があり、火山との付き合い方を熟知しているようです。

自分は活動している山に登ると無意識にペースが上がり、腰掛けて火口や噴気孔を眺める余裕は未だにない、まだまだ肝が据わっていないようだ。

『腹五社神社』鳥居
災害前の鳥居は高さ3㍍ほどだったと云われ鳥居、貫の直下まで火山灰が堆積しています。
これが自然の力、大正噴火そのもの。

額束の文字「腹」は読み取れるけれど下は欠損し読み取れない、『腹五社神社』と記されている事だろう。今は灰の下に埋もれてしまった黒神集落の氏神さまだ。

この鳥居は昭和38年に県の天然記念物に指定を受けている。
噴火により埋没した神社は垂水町の牛根麓稲荷神社も同様ですが、そちらは埋没したものを笠木部分まで発掘したものという。
黒神の埋没鳥居は住民により掘り起こす動きがあったものの、時の村長だった野添八百蔵は自然の脅威を後世に伝える為、発掘を中止し当時のまま保存することにした。
自身を含め神社を掘り起こしたい住民の気持ちと、事実を保存し伝える意義の選択の中での決断だった。
その決断のおかげで人の英知など及ばない自然の脅威を今もこうして感じることができる。

埋没鳥居からは参道が続き現在の本殿へと続きます。
参道の左右には複数の境内社が祀られています。

左側に一際大きな覆屋があります。

内部には小さな石の社が祀られています。

その中に石像が安置されている。
子安観音なのか、見ようによってはマリア様にも見えなくもない、いずれにしても埋没した神社にあって、穏やかな表情で子供を抱くその姿がとても印象に残る。


本殿に至るまでに見られる境内社。

『腹五社神社』本殿

この地にあり、自然の脅威に見舞われた経験から、避難壕のように強靭な造りの社殿は当然の事だろう。

普段なら色々と祈願する事があるけれど、この時は何も思いつかなかった、しいて言えば平穏に生かされていることへの感謝だっだように思う。
鎮座は350年前と伝えられているようですが詳細は不明。
腹五社神社の祭神は瓊瓊杵尊 木花咲耶姫 彦火火出見尊 豊玉姫命 鸕鶿草葺不合尊を祀り、御神体は当時のものが一部を除き焼け残り、今も祀られていると云う。

本殿から参道の眺め、右側が校舎で参道を廊下が横切っています。

石垣の脇に聳える巨木はアコウの樹。
枝や幹から気根と呼ばれる根が絡み合い、生命力の強さが感じられます。
この樹は大正噴火にも耐え、今も力強く聳えている。
『腹五社神社』は自然の絶望的な脅威と逞しさを感じることが出来、周囲の景観には絶望的な自然災害から立ちなおしてきた人のエネルギーを感じさせてくれます。

黒神埋没鳥居『腹五社神社』
創建 / 不明
祭神 / 瓊瓊杵尊 木花咲耶姫 彦火火出見尊 豊玉姫命 鸕鶿草葺不合尊
住所 / ​​​鹿児島県鹿児島市黒神町647
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