愛知県西尾市吉良町 蛭子社
西尾市吉良町 蛭子社
息苦しい街の空間、そんな毎日の繰り返しが続いている。
時には外の空気を腹いっぱい吸いに名古屋から下道を走って二時間ほど、かみさんと二人で久しぶりに郊外に出かけてみた。
ポンコツナビとかみさんの指示に導かれ吉良町までやってきた。
久しぶりの海、久しぶりの吉良海岸、若かりし頃に慰安旅行で訪れて以来かもしれない。
当時は温泉街もそれなりに活気があった、今は当時の活気に満ちた温泉街の印象とは程遠い。
写真は吉良海岸の恵比寿海水浴場の眺め。
砂浜の先に弧を描くように堰堤が続く。
季節外れの砂浜に釣り人の姿がポツンと見える程度、この空間に密など存在しない。
潮の香りと静かに打ち寄せる波の音。
気が許せない普段の生活から解き放たれリラックスできる。
恵比寿海水浴場の西外れ、というか堰堤の付け根に松の生い茂る馬の背のような小高い高みがあります。
海側に高みに続く石段があり、その先に神明鳥居があります。
ここは恵比寿海水浴場にある『蛭子社』。
石段を上ると馬の背沿いに赤い幟が立ち並び、参道は奥の小さな社へ続いています。
松並木の参道にはえびす社と書かれた赤い幟が海風にたなびいています。
参道右側にいかにも海らしく錨とスクリューが飾られています。
そこの案内板によれば、「昭和34年(1959)、9月21日に超大型の台風15号がこの辺りを通過。
それは甚大な被害をもたらした伊勢湾台風と名づけられ、当時の新聞の記録には15号台風で吉良町宮崎海岸に座礁した松岡汽船の松隆丸は座礁したまま救援を待っていたが、松隆丸の船内にある野菜・肉類など乗組員の三ヶ月分の食料を被災した地元被害者のために放出し、地元の人々から感謝されたという。」
この錨やスクリューは恰も松隆丸の物のように見えますが、よく見ればこの逸話とは無関係な船のものでした。
参道の突き当りの入母屋瓦葺の拝殿、後方には平入で切妻瓦葺の本殿を収めた覆殿が一体となっています。
シンプルな懸魚と大きめの鬼瓦、そこには鯛を抱えてにこやかに笑う姿がある。
祭神は事代主神、迦具土命、須佐之男命
創建は1585年(永禄8)と見た目以上に長い歴史をもっている。
社伝によると1580年(永禄3)に今川義元が巡遊の際、当地は耕地が少なく、漁業で生活するもの多いことから、漁業の祖神西宮大明神を祀るようにと云われ、1585年(永禄8)に蛭子神が祀られたされる。
1913年(大正2)に近隣の秋葉社と津島神社を合祀したという。
永禄3年は桶狭間の合戦で今川義元は信長に討たれた年、その年に義元はこの地へ巡遊していたという。
余裕たっぷりの義元、よもや、よもやの結果が待っていようとは。
拝殿から鳥居の眺め、正面も右手も海だ。
海に向け突き出るように伸びる高みは恵比寿(蛭子)岬の由縁かもしれない。
堰堤が築かれる以前はこの小さな岬が堰堤であり、風よけの役割を持っていたのだろう。
参道から左に駐車場に続く小路があり、駐車場から見た社殿。
小高い高みから海に向かい鎮座する「蛭子社」、海を生業にする者の守り神の姿が漂う。
蛭子社の横はすぐに駐車場、今は静かに佇む神社の姿も海水浴シーズンの時はどうなんだろう。
水着姿の若い参拝客で賑わうのだろうか?、いかん〃煩悩が目覚める。
恵比寿岬から「吉良ワイキキビーチ」の眺め。
この時期は夏場の賑わいとはかけ離れた静かな光景が見られる。
「蛭子社」
創建 / 1585年(永禄8)
祭神 / 事代主神、迦具土命、須佐之男命
住所 / 西尾市吉良町宮崎宮11
名古屋から車でのアクセス / 国道23号線⇒西尾東IC県道383号線⇒高河原交差点左折県道310号線⇒善明交差点右折国道42号線⇒新木田交差点左折県道317号線⇒鳥羽橋交差点左折国道247号線⇒鳥羽交差点右折県道316号線⇒吉良観光ホテル手前を左折⇒恵比寿海水浴場方向、 所要時間1時間45分
コメント
コメントを投稿