「龍華山 弥勒寺」愛知県知多郡美浜町

 龍華山 弥勒寺

熊野神社から国道247号線を河和方向へ車で5分程南下、左側の薬局を過ぎてから細い道を左に入ります。

そこは師崎街道。
名古屋市緑区大高から、南知多町師崎を結ぶ街道です。
写真は国道247号線方向を振り返って見ています。

国道247号線から師崎街道を真っすぐ進むと写真の「十二神社」に突き当たり、そこで道が左右に分かれます。
「左です!」、「目的地周辺に到着しました、目的地は右側です!、案内を終了します」ブチッ。
・・・・・相変わらずの冷たい喋り方だ。

なんとか『弥勒寺』まで案内はしてくれたようだ、右には白壁が続き、山門が現れる。
龍華山弥勒寺は曹洞宗のお寺で「新四国第二十六番札所」であり、南知多33観音霊場の二番札所でもある。河和の全忠寺の末寺だという。

道路の左側に「新四国第二十六番札所」の石標、1914年(大正3)に建てられたものです。
知多半島をひと回りする知多四国は、1809年(文政7)に開創され、弘法大師所縁の88カ所霊場を巡拝していくものです。かみさんは現在ひと回り目を間もなく終えようとしています。
今日はその御供でこちらに来ています。
『弥勒寺』には少数台ですが駐車場もあり、参拝者用の表示もあるので近隣に迷惑をかける事はないでしょう。

弥勒寺の周囲は、石垣に白壁が築かれ、周辺の海辺の住宅地とかけ離れた静かな空間。
小さいけれど重厚な趣の瓦葺の山門、そこには鯱瓦が飾られている。

境内に入ると正面に瓦葺寄棟の本堂。
弥勒寺本尊の「弥勒菩薩」が安置されています。
1596年(慶長元年)、友林光益和尚により開創されたと云われます。
その後1753年(宝暦3)、火災により伽藍を焼失、第八世祖春和尚により再建された。
本堂は1907年(明治40)に、1928年(昭和3)に大師堂が再建され、平成に入り本堂など手が入れられたようです。

白い幟が靡く境内、左に進むと大師堂。

「新四国第二十六番札所」
入母屋瓦葺の妻入りで唐破風向拝が付けられた重厚な建物。
妻部分は腐食が進んでいるけれど、それが重厚さを増している様にも見える。
近いうちに補修の手が入るといいのだが。

波を模した瓦や軒下には三鈷杵、木鼻の象等、外見に派手さはないけれど、こまかな彫が施されています。向拝下の透かし彫も立派なものですが、何度見ても何を模しているのかよく分からなかった。

大師堂。
それでは拝ませてもらいます・・・・・一礼、合掌だね。

開け放たれた扉から堂内を眺める。
正面の厨子の中に弘法大師、左の厨子には金色の観音様?らしき姿が見える
左手前に仏足、右端には像容は分かりませんが十王様の文字が見えます。
弥勒寺の寺宝に十幅の「地獄絵図」があるらしい、コロナ禍で御開帳されるのか不明ですが、春と秋の彼岸には開帳されるようです。
拝観出来なかったけれど、他にも「極楽図」「花鳥図」、位牌堂には天井画もあるようです。

本殿右の納経所、納経印はこちらです。
後でかみさんに聞いたところ、この日こちらを巡拝し納経印を頂いたそうな。

吹き込む風には潮の香りも感じられる、海に近いお寺です。

青い空の下、山門の鯱瓦はなんとなく生きもよさそうな。
火災を経験しているだけに、しっかりと守ってくれ。

参拝を終え、次はお隣の「十二神社」に参拝していこう。

つゆのみも けふはうれしくきたかたの みろくじそんのあかつきにある
2021/2/8

「弥勒寺」
開創 / 1596年(慶長元年)
宗派 /  曹洞宗
本尊 /  弥勒菩薩
札所 /  知多四国霊場二十六番札所、 南知多三十三観音霊場二番札所
住所 /  知多郡美浜町北方字西側16
車アクセス /  ​熊野神社から国道247号線で5分程
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