稲置街道「羽黒八幡宮」「八幡林古戦場跡」

 「羽黒新田の観音堂」 から羽黒八幡宮(八幡林古戦場跡)を目指し稲置街道を歩いて北上。



五条川沿いの「尾北自然歩道」を遡りそこから羽黒小学校東側を南下すると左に杜が見えてきます。

稲置街道から東に曲がりそびれ、五条川まで来てしまい遠回りしたけれど、なんとか目的地の「羽黒八幡宮」到着。

羽黒小学校東側の通りから見る杜、この杜の東は名鉄小牧線が南北に伸びています。
神社の入り口は通りに拝殿に繋がる脇参道がありますが、もう少し南側から左に入ると常夜灯のある参道が現れます。
鳥居を構えるわけでもなく、参道の南側は住宅地が有りそこで遮断されています。
以前は更に南に参道は伸びていた様子。

常夜灯から境内の眺め
正面に蕃塀があり、拝殿、本殿、拝殿右側に石の鳥居が見て取れる。
蕃塀の先の左に手水鉢。

拝殿全景。
切妻の瓦葺で四方吹き抜けの拝殿です。

本殿全景。
7本の鰹木と外削ぎの千木の本殿、本殿域は鉄の柵と鉄の鳥居で囲われている。
祭神は品陀和気命(応神天皇)
創建はよく分からない、現在は羽黒八幡宮と呼ばれるようですが、以前は羽黒成海神社と称し鳥鳴海神を祭祀していたようで、経緯の詳細もよく分からなかった。
市の情報では現在は羽黒八幡宮、祭神は応神天皇とある。

拝殿右の石鳥居は忠魂社のもの。
今日の平和への感謝を伝える場。
きな臭い状況なってきた今、平和が当たり前で緊張感や危機意識があまり感じられない昨今をどう感じているだろうか。

拝殿左から神社後方の全景。
杜は杉を主として広葉樹の混じる。
「羽黒八幡宮」の辺り一帯は1584年(天正12)、北から攻める豊臣秀吉と南から受けて立つ徳川家康・織田信雄が一戦を交えた八幡林古戦場跡。
この戦いは小牧・長久手の合戦の前哨戦ともいえ、秀吉側の森長可と家康側の酒井忠次らの刃を交え、負け戦となった長可を逃がすため犠牲となった野呂助左衛門の供養塔「野呂塚」が残る。

杜の北外れに掲げられている古戦場の解説板。
野呂塚はここから名鉄小牧線歩行者用踏切を渡ると慰霊碑が建てらられています。

羽黒八幡宮から来た道を戻り、五条川を渡り羽黒駅方向へ
街並みに一際目を引く古い建物があり足を止める。
1907年頃の旧加茂郡銀行羽黒支店で現在の県道27号線沿いに建っていたものをここに復元移築されたもの。
当時の日本の様式に西洋の香りを織り交ぜた「擬洋風」と呼ばれる様式。
洋の香りを漂わせながら唐破風が施された姿はどことなく銭湯をイメージさせる。
名古屋では随分解体され姿が少なくなってしまった佇まいですが、時を経て逆に斬新にも思える。
何でもそうかもしれないけれど流行は巡っている。
古いものは煙たがられ取り壊し、新しいものに姿を変える、日本でよくある流れだ。
こうして残したマインドに救いを感じる。


旧加茂郡銀行羽黒支店復元施設前の解説板。
支店は東濃銀行、大垣共立銀行羽黒支店を経て1930年に廃止。
その後個人住宅として購入され「愛北病院羽黒診療所」として利用されるが解体の必要性が迫っていたのを機に犬山市の羽黒まちづくり拠点施設としてここに移築・復元された施設。
2013年有形文化財に登録された。
現在は「小弓の庄」として羽黒地域の街づくりの拠点として利用されています。
漆喰の白い外観は洋、唐破風の飾りなどは和そのものです。

羽黒周辺の案内図。

小弓の庄から目と鼻の先の羽黒駅へ
駅前の某コンビニの裏手で見かけた小社。
かみさんは足を止める事無く快調に歩いて行く、置いて行かれるぞ。
ここは詳細不明です。


「羽黒八幡宮」
創建 / 不明
祭神 / ​応神天皇
所在地 / 犬山市羽黒八幡東3 
公共交通機関アクセス / 名鉄小牧線「羽黒」降車し南へ、五条川を越え工程10分程
羽黒観音堂➡羽黒八幡宮徒歩ルート / ​稲置街道を北上徒歩約10分


小弓の庄
所在地 / 犬山市羽黒古市場5
小社
所在地 / 犬山市羽黒古市場7
羽黒八幡宮➡小弓の庄➡小社 徒歩ルート / ​徒歩約10分

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