東海市名和町 「神明社」
東海市名和町寝覚。
寝覚、なにやら意味ありげな町名。
ここから南に見える小高い山(火上山)を目指せば熱田神宮境外摂社「氷上姉子神社」まで徒歩10分~15分程か。
火上山に向かう道すがらの住宅地の一画に「寝覚の里」と呼ばれるスポットがあります。
日本武尊と宮簀媛命が火上の地で出会い、夫婦となり暮らした住居跡と伝わる場所。
現在その場所には石碑とそれを伝える解説板が置かれています。
町名はここから来ているようで、浦島太郎ではないようです。
もっとも、古くはこの辺り一帯は渚で浦島伝説があっても何ら不思議でもない。
今回の目的地は大高町砂畑交差点から常滑街道を西に進んだところに鎮座する「神明社」です。
最初に書いておきますが、神社へは車で直接訪れる事は出来ません。
大高町砂畑交差点から常滑街道を100㍍程西に進む。
写真は交差点と名四国道方向の東を眺める。
写真は交差点から名和方面の眺め。
早朝ということもあり、常滑街道は車の往来も少なく静かな住宅街の佇まい。
神明社への参道は常滑街道沿いの南側に神明鳥居を構えています。
ビルとビルの隙間に社殿に続く参道が伸び、神明社へはここから詣でる事になります。
神社はとても不思議な立地環境にあります。
周囲は民家と工場に囲まれ、常滑街道から小さな杜と玉垣が見えている、しかし脇参道もなく杜の向きから西側が社頭だろうと徘徊しましたが最初は見つけられませんでした。
どうやって行くんだ?と街道を歩いて見付けたのがここ。
安心して参道を進むが正面は倉庫で行き止まり、えっ?これは会社の敷地では?と思われるでしょう。
ここから左に向かいます。
左に進むと正面に大きな松が聳える社地が見えます。
やっと着いたぞ。
でも、雰囲気は工場敷地内のイメージが漂う。
怪しいおやじ、少し小さくなりながら拝殿に向かう姿は一層怪しく映るかもしれない。
神社は予想通り西向きに鎮座していました。
境内へ。
拝殿までの参道、その先に鳥居が見える、これは二の鳥居になる。
二の鳥居前から境内を見渡す、正面に拝殿、左に手水舎、右に石標が建てられている。
手水舎と鉢もあり、まめに参拝に訪れる方は多いようです。
境内の掲示板に貼られていた由緒と年間行事計画が貼られている。
神明社由緒
「神明社は、今から約800年前、天照大神(御伊勢様)をこの地に祀り、安産の守護神として近隣の尊崇をあつめ、その加護をうけてこの土地には以来難産の家は出ないと伝えられている。
左義長(さぎちょう)には、妊婦さんの参拝をおすすめします。
この神明社は、尊い安産の神様です。
妊婦さんは、守護神のご加護をうけて元気なお子さんを産んでください」
昭和38年に境内の石垣を改築した様で名和、上名和部落、北脇部落、南脇部落の総代、船津神社の管轄のようで宮司の名も刻まれている。
左義長とは一月に行われる神事「どんど焼き」の事。
創建は800年前に遡るという、1220年頃というと鎌倉時代、元号では承久あたりか。
氏子たちにより受け継がれ、小さな神社ながら長い歴史を持っている。
拝殿でいいのか自信はないけれど、入母屋妻入りの拝殿は固く扉が閉ざされていた。
伽藍は目立つ老朽化もなく、近年補修の手が入っているようで、境内は綺麗に手入れされていました。
拝殿後方の本殿域、自然石を組み上げ周囲を玉垣が囲っています。
5本の鰹木と内削ぎの千木が施された神明造のようです。
本殿域には他に2社祀られているようです。
中央が本殿、天照大御神を祀る。
左右の板宮造りの二社は手掛かりもなく詳細は不明。
樹々の枝は上空を覆い境内は木陰で包まれていて、風の通りがいいせいか、蚊の襲来もなく心地いい。
本殿域から二の鳥居方向の眺め。
神明社全景。
コンパクトな伽藍で人目を引き付ける派手な意匠もないけれど、氏子たちに支えられこの先も受け継がれていく事だろう。
話は脱線するけれど、三河の山間部を訪れた時の事。
荒れた参道の先で朽ち果てた小さな神社と出逢いました、朽ち果てた鳥居の先で村の老婆の姿があった。
ただの朽ち果てた神社と見る向きもあるだろう。
しかし拠り所として拝みに来る人がいる限り、神社は社格や立派な伽藍で評価されるものではないと常々思う。思いがありそこに祀られ、支える氏子やそれを拠り所とする人がいなくなると姿を消し思いも消えていく。
なんだかなあ、単に社が無くなるだけではないような気がしてならない。
2021/07/11
名和町寝覚 「神明社」
創建 / 不明
祭神 / 天照大御神
境内2社 / 詳細不明
所在地 / 東海市名和町寝覚43
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