「七社神社」
今回は知多四国八十八箇所六十二番「洞雲寺」から次の札所への移動中、常滑市西阿野半月で見かけた「七社神社」を掲載します。
車道沿いの「⇦七社神社」看板に導かれ細い路地を進み社頭に向かいます。
社頭全景
右に「村社式外七社神社」の社号標、左に由緒書き。
一の鳥居から少し先に二の鳥居が見えます、そこから先の参道は鬱蒼とした森の中に石段の参道が続きます。
まずはこの辺りの地名「西阿野」について、西があれば東もあるのだろう、地図を見ていても見つからない、1970年に刊行された尾張国地名考の「西阿野村」を見ていると、「後世西の字を冠に置るは、郡内に同名出来たればればなり」とあった。
知多郡内に「阿野」の地名が二つ存在する事になり識別化のため、西を冠したのが当地で、東を冠する阿野は現在の豊明市内に存在していました、傍にはないはずです。
右に「村社式外七社神社」の社号標、左に由緒書き。
一の鳥居から少し先に二の鳥居が見えます、そこから先の参道は鬱蒼とした森の中に石段の参道が続きます。
まずはこの辺りの地名「西阿野」について、西があれば東もあるのだろう、地図を見ていても見つからない、1970年に刊行された尾張国地名考の「西阿野村」を見ていると、「後世西の字を冠に置るは、郡内に同名出来たればればなり」とあった。
知多郡内に「阿野」の地名が二つ存在する事になり識別化のため、西を冠したのが当地で、東を冠する阿野は現在の豊明市内に存在していました、傍にはないはずです。
社頭の由緒書き
常滑市西阿野字半月263番地 七社神社
祭神
天照大神(天照皇大神宮)・伊邪那美命(熊野權現)・譽田和氣気命(岩清水八幡宮) ・ 廣国押建金日命(藏王權現)・天児屋根命(春日大神)・菊理姫命(白山神社)・菅原道真公(天満宮)
主なる祭典
例祭4月15日・祈年祭2月25日・新嘗祭11月25日・月次祭毎月1日
往古七社明神と称してた、1824年(文政7)七社明神に昇格、明治維新の際七社神社に決定。
1872年(明治5)9月村社に列挌、同40年12月神饌幣帛供進神社に指定される。
以来氏子の尊敬篤く今日に至る
ニノ鳥居
綺麗な外観は近年建替えられたようです。
鳥居の左に手水舎があります。
手水舎、鉢は龍不在で清水は満たされていなかった。
訪れたのは2021/11/20、彩りの寂しくなった参道に椿の赤が彩りを添えていました。
最後の石段を上り切ると境内のようです。
境内全景。
鬱蒼とした樹々が開け、広く明るい境内が広がります。
二段に石垣が積まれ、その上に社殿、右側に境内社が纏められているようです。
境内左に社務所があり、参拝中写真左方向から車が入ってきて社務所に出入りされていました。
車で乗り入れ可能なようですが、参拝者駐車場の表記はなかった事だけは書き留めておきます。
鬱蒼とした樹々が開け、広く明るい境内が広がります。
二段に石垣が積まれ、その上に社殿、右側に境内社が纏められているようです。
境内左に社務所があり、参拝中写真左方向から車が入ってきて社務所に出入りされていました。
車で乗り入れ可能なようですが、参拝者駐車場の表記はなかった事だけは書き留めておきます。
切妻平入の瓦葺拝殿、石段脇に狛犬が建てられ、狛犬後方の左右にも社標が建っていました。
年季のはいった風貌の狛犬、1922年(大正11)の寄進の様です。
拝殿全景。
素木で人目を引き付けるような飾りや彩色はなく、落ち着いた佇まいをしています。
拝殿から本殿方向の眺め。
殿内を見渡し、外部の瓦も見渡したけれど神紋は分からなかった。
拝殿右の境内社。
境内社
上段左が知立社と山神社、右が天神社、秋葉神社
下段左が塩窯神社、厳島神社、右が金刀比羅社、白山社
本殿(左)の右が天王山津島神社、猿田彦神社。
何れも流造。
西阿野を見下ろす丘の頂に鎮座する七社神社社殿全景。
さて、1824年(文政7)七社明神に昇格まではともかく、この神社の創建は?となると辿り着けなかった。
「七社神社」
創建 / 不明
祭神 / 天照大神・伊邪那美命・譽田和氣気命・ 廣国押建金日命・天児屋根命・菊理姫命・菅原道真公
境内社 / 天王山津島神社・猿田彦神社・知立社・山神社・天神社・秋葉神社・塩窯神社・厳島神社、金刀比羅社、白山社
所在地 / 常滑市西阿野半月263
洞雲寺から徒歩ルート / 東へ15分前後
関連記事 / 「御嶽山 洞雲寺」 / 知多四国八十八箇所霊場六十一・六十二・六十三・六十四・六十五番札所巡り
コメント
コメントを投稿