『補陀洛山 大善院』

 高讃寺から国道247号線を北上奥条7丁目交差点を左に向かいます。

目的地の知多四国六十三番札所 『補陀洛山 大善院』は右手の丘陵地に鎮座します。

奥条6丁目の信号を右に進めば丘陵地の南垂れ斜面に鎮座する大善院に至ります。
門前から眺める境内、そこには一本の大きな樹が聳えている。
大善院のシンボルツリーともいえる。

入口に大善院、補陀洛山の石柱門が建つ。
山号の補陀洛山(ふだらくせん)
遥か南海の果てにあると信じられ、観音様が降臨する伝説の山「補陀洛山」
和歌山県の補陀洛寺などは、その補陀洛浄土を目指し二度と戻れぬ補陀落渡海が行われていた。
海に接した立地でもない大善院でそうした事実はないだろうが、こうした捨身行は1900年頃まで行われていたという。

伽藍は石段正面の本堂、右に大師堂、庫裏、本堂左に赤い幟が山の頂に向かって立ち並ぶ補陀洛山中宮の伽藍。

境内に右側が手水舎、清水を注ぐ龍はなく、ここでは亀が清水を注いでいる。

遥か遠くからでもその存在を示す大きな樹、「大善院のイブキ」
境内を覆い尽くさんばかりの見事な枝振りの大樹。
樹齢600年と云われ樹高は15.6㍍で根回りは5㍍を越える見事な樹だ。
こうした巨木を間近で見ると、ここには何かの存在を考えたくもなる。
イブキの前には小さな社もまつられている。
今は勢いのある樹ですが、一時は樹勢が衰え、根接ぎや土壌改良により回復し現在の姿を取り戻したようです。この地のシンボルツリーとして、県指定文化財として大切にされているようだ。

本堂
知多四国を巡り感じるのが伽藍の維持管理が上手く(けっして実情は違うのだろうが)進んでいる寺とそうでない寺のギャップが大きい事を痛感する。
檀家の減小など背景にあるだろう、その中で時流を捉え上手に振舞う寺とそうでない寺で差は歴然としている気がする。
従来の寺のイメージから一歩踏み出す柔軟性が寺の存続に影響する時代になったのかもしれない。

大善院観音堂(大師堂)の開山は古く、白鳳時代(683年)に遡るとされます。
常滑郷南部の阿野村御嶽山一帯に天武天皇勅願寺七堂伽藍、三百坊を有する僧院の本坊として創建されるも、次第に荒廃、養春上人により一坊の本尊十一面観音や不動明王、毘沙門天の三尊を大善院に移したという。
知多郷を巡錫した空海上人(弘法大師)も滞在し自作の見護弘法大師を残しているという。

また、大善院に隣接する補陀洛山中宮の牛頭天王は、常滑城城主水野家の氏神として崇められていたとされ、常滑城の鬼門を守護して来た。

そんな長い歴史を持つ大善院ですが、現状の伽藍全体が本堂同様に劣化が進み痛々しい姿を曝け出している。納経印や御朱印、賽銭で賄えるものではないだいろう、クラウドファンディングも視野に、現況を外に向けて発信する事も選択肢としてあるような気がする。
某本山で見かけた高級車で坊を巡る光景はそれはそれで…と感じたりもするが。
常滑と云えば名の知れた企業が名を連ねている、利益の僅かでもそうした方向に還元されれば現状の復旧も早いと感じるが…

本堂と大師堂の中ほどの厄除大師。

大師堂全景。
お寺で顔出しパネルは珍しい「大樹(イブキ)の下でほとけさま、知多四国六十三番見守大師と知多四国十四番十一面観音」


正面に五鈷杵、左に仏足跡が安置され、正面に弘法大師の姿が見える。
後方の厨子の中に見護弘法大師が安置されている。
住職が描かれているのか、顔出しパネルから始まり、堂内の絵画や御朱印など絵画に造詣が深く、多くの作品が置かれています。
右には法螺貝が幾つか見受けられます、その昔経験したことがあるが素人には簡単に吹けなかった事を思い出す。

本堂西側「冬花庵観音堂」
寂れた印象のある大善院の中に綺麗な堂が建てられている。
京都の日本画家「橋本関雪」の宝塚の旧別邸のアトリエを移築したものという。
ここでは絵画展示や演奏会等を開催するスペースとして使用され、お寺と創造の融合が冬花庵?
新たな取り組みの一つかもしれない。
若い頃JAZZ喫茶が氾濫した時期があった、それもやがて淘汰されそうした機会は減ったように感じる。
訪れた時は彫刻家「花井探麗展」が開催されていた。

お寺で仏像を眺めながらしっとりとしたJAZZライブ…罰当たりと云われそうだ。

冬花庵の右手、本堂の左側に「四国八十八箇所御砂踏霊場」
タイルには各霊場の砂が入れられ、ここでお参りすれば八十八箇所全てをここで巡礼できる。
今とは違い交通手段も発達していなかった頃、こうした御砂踏霊場は身近に巡礼ができる存在だった。
ぐるっと本堂後方まで各霊場の写し仏が安置されています。

境内西側の「常滑大善院総鎮守 中の宮」
「牛頭天王」の赤い幟が連なり、けっこう急な石段を上った先に鎮座する。
上り口に縁起を記した石標があり概要は以下。
「補陀洛山 中の宮
 御祭神 素戔嗚尊、本地仏 牛頭天王
尾張常滑郷瀬木千代之峯の総社で祀られていた。
1494年(明応3)高宮(常石神社)、西宮(神明社)、当地奥条の中宮の三社に分祀。
中の宮は、常滑城の鬼門除祈願所補陀洛山観蓮寺本坊大善院に鎮守として勧請された。
素戔嗚尊は荒ぶる神、神仏同体の牛頭天王と信仰され疾病を祓う。
夏の土用は村民あげて、神前の茅の輪くぐりなどの祭が執り行われ、一念信力を結べば夏病みせず除災の利益が得られる」

中の宮全景。
中央の赤い社が本殿、いかにもの赤一色。

1494年(明応3)の勧請以前は栞に記載がなく詳細は分からなかった。
陶器のブロックで囲われ、玉垣は常滑らしく常滑焼の焼酎便で作られている。
その神域の左右には複数の石碑が祀られています。


左側に役行者、神変大菩薩像、白山妙理大権現。
役行者のご利益の一つ縁結びにあやかってか、中央に赤いハートがある、そこに向かって賽銭を投げ入れ上手く入れば願いは叶う?
よく作法が分からなかったが試しに硬貨を投げて見る、見事にハートの外へ意外に難しい。
既婚者の願いは叶わないようだ。
縁を結びたい方、念を込めて挑戦してみてはどうだろう、かわいい中の宮の御朱印も頂けるようです。


右に天照皇大神宮、春日大明神、八幡大菩薩、天満大自在天神の石碑が祀られています。

赤く塗られた鳥居、2020年に素木の鳥居を改めて赤く塗装したものだそうだ、この年境内は一新され現在の姿になっているようです。
ここから南を眺めると奥条の町が一望できる。禍から町を守護する中の宮だ。
2021/11/20

知多四国六十三番札所
真言宗 補陀洛山 大善院
創建 / 不明
開山 / 興覚法印 
開基 / 養春上人
本尊 / 十一面観世音菩薩
所在地 / ​常滑市奥条5-20
高讃寺から徒歩ルート /   国道247号線を北上、奥条7丁目交差点で左へ、​所要時間約40分
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最後の目的地知多四国六十六番札所 神護山 相持院へは大善院東の丘陵地を上り、「とこなめ陶の森資料館」を右手に見ながら尾根沿いを歩けば15分程で到着です。

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