霊鶴山 千松寺

曹洞宗 霊鶴山 千松寺


八剱神社から西に徒歩5分程に鎮座する寺院。
訪れた目的はこちらの境内に祀られている福富稲荷大明神。
八剱神社から細い通りを経て西に進む、辻堂が見つかれば千松寺は近い。

道から少し奥まった先に伽藍がある。
右に寺号標、左に赤い幟が立ち並び、山門に続く参道沿いには多数の石仏が並んでいる。

頬杖をつき、やや俯き顔の如意輪観音、正気を逸した一人の指導者の蛮行、どうしたもんだか思案に暮れているのだろう。

左に禁葷酒の石標、山門の山号額は霊鶴山。

比較的新しい山門で、外観に目を引く意匠は見当たらないが棟を支える柱には拘りが感じられる。

山門から望む本堂。

境内左の手水鉢。

寄棟瓦葺の本堂、右に寺務所、庫裏と続き、本堂左側は霊園と目指す福富稲荷大明神が鎮座する。
その前にお寺にお参りさせてもらう。

見あげる本堂の大棟には山号が入り、軒丸瓦には「千」

本堂に掲げられた額「千松寺」
千松寺の由緒は以下
1545年(天文14)に天州寂道和尚により創建されました。
当時は「泉松寺」と称したそうですが、1808年(文化5)「千松寺」に改められた。
後の、1770年(明和7)に鐡文道樹大和尚が七堂伽藍を建立し、法地開山として入山。
その後綿々として受け継がれ、現住職で21代目になるという。
先ほど見た山門は1795年(寛政7)、本堂は1839年(天保10)に建立され、2006年~2007年にかけて修復された。
なので見た目は新しい伽藍ですが、歴史のある曹洞宗の寺院なのです。
曹洞宗は大本山が福井県永平寺と神奈川県總持寺の二つあり両大本山と言います。
本尊は南無釈迦牟尼仏。

本堂左の福富稲荷大明神。
千松寺の守護するために祀られたものだという。

奉納鳥居が並ぶ先に石の社が祀られている。
鳥居右に石のモニュメントと左に小さな鳥居が建つ。

右のものは重軽石。
四角い石の枠の中に丸い石が安置されていて、枠の左右に開けられた空間から石を持ち上げるようだ。
中の丸い石は御神木の楠の木の下に埋もれていたものらしい。
御神木の霊験がこの石に宿るとしてここに安置された。
願いを決めてからその石の重みを想像する。
実際に持ち上げ、持った実感が想像より軽ければ願いは叶う。
重ければ残念、もう少し鍛錬して再チャレンジ。

鳥居に掲げられた福徳稲荷の額。
朱色が鮮やかだ。

本殿全景。
重量感のある石の社を健康的な姿の狛狐が守護する。
これらも手入れがいいのかとても綺麗だ、寺の修復に合わせて手が入れられたものだろう。
1845年頃(元号は弘化、徳川十二代将軍 徳川家慶の頃)、当山十一世良重大和尚が豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)から豊川稲荷の分身としてご神体をお守りする「飯縄権現」を拝請してお祀りしています。
五穀豊穣、商売繁盛、心願成就のご利益が得られ、特に病苦、盗難等の災いを除く霊験があらたかだとして崇敬されている。
「福富」とは神仏にお供をすることで、財産や物が豊かになり幸せを得ることができると言われています。

小さな石の鳥居「くぐり鳥居」と呼ぶそうです。
綺麗な御影石の参道の中ほどに鳥居があり、ここをくぐると御利益があるされる。
ご利益は下解説写真を見て頂くとして、この鳥居をくぐるとあるがそれはとても難しい。
潜ってくぐり抜けるしかない、その為なんだろうね、ピカピカ艶々の御影石は。
これなら安心して潜る事ができるというものだ。


くぐり鳥居のご利益と作法。

福徳稲荷の由緒。

福徳稲荷から見る千松寺伽藍全景。

右の切株は豊山町指定文化財「楠」
重軽石が出て来た御神木の楠とはこの株の事を指しているのかもしれない。

霊鶴山 千松寺
宗派 / 曹洞宗
創建 / 1545年(天文14)
本尊 / 釈迦如来

福徳稲荷
創建 / 1845年頃
祭神 / 飯縄権現

所在地 / ​西春日井郡豊山町青山1756​ 
常安寺👉八剱神社👉千松寺徒歩ルート / ​八剱神社から西へ5分  
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