春日井市勝川町 「秋葉社」
春日井市勝川町2丁目
観音堂から南の地蔵川方向に向かいます
勝川第一公民館(左)の東に太清寺山門に続く通りが見えて来ます
勝川2丁目の秋葉社はこの公民館の敷地に鎮座します
三差路の角地に玉垣で囲われ、南を向いて鎮座する社がこの一帯の火伏を担う「秋葉社」です
生憎の雨の中、人通りも少ない街角に佇んでいます
境内全景
小さな敷地、境内に入ると常夜灯の直ぐ正面が社になります
見渡してみるも手水鉢は分かりませんでした
右側の燈籠
竿の部分に文字が刻まれているようですが内容は読み取れません
コンクリートの基礎の上に鎮座する社全景
ソリッドな印象の神明造り対し、緩やかに曲線を描き向拝に続く流造
斜めから見た時が一番流麗に見えるような気がします
この秋葉社
そもそもここが秋葉社とする根拠を境内で見つけられませんでした
持ち帰って調べても良くわからない、すっきりしない
日を改め太清寺を尋ねたところ「秋葉社」という事を教えて頂けた
お話によると、名古屋から小牧に向かう小牧街道と多治見に続く下街道の分岐点で宿場があった
社前の東西の通りはその昔、現在の19号線あたりまで続く太清寺の門前通り
その通りには幾つかの社があったそうですが、それらは勝川天神社境内へ移されたが
秋葉社は町の火伏せとしてここに残った様です
当時の様子を留めたいい古地図を見つけきれませんでしたが
明治の頃と現在の比較を上に掲載します
マーカーの位置が秋葉社のある場所、南が地蔵川です
明治の頃ですら蛇行し庄内川に合流している事が分かります
今は流路も変えられ直線的に流れる地蔵川も、その昔は氾濫に悩まされた場所です
勝川天神社のあるあたりは勝川地蔵池と呼ばれ、池には地蔵に纏わる言い伝えも残ります
この池は庄内川の水位上昇時の調整池の役割と、江戸時代には勝川村から尾張徳川家へ旗竿が献上されていたそうです
勝川の竹薮はもともと少なかったそうで、坂下地区に御留場を設け、そこから切り出された竹は勝川地蔵池(庶民の立ち入りは禁止)に浸し虫を殺し、洗われた竹が藩や勝川天神に献上されていたそうです
勝川の旗竿は地名もあり縁起がよいとして名産品となり「勝川竿」と呼ばれ、縁起の良い竿として珍重されたそうです
かつては賑わったであろう太清寺に続く門前通り
今は静かな住宅地に変わっています、その火伏の神がこの秋葉社です
残念ながら創建などは分かりませんが、人の集まる公民館の敷地で大切に守られています
『秋葉社』
創建・祭神 / 不明
住所 / 春日井市勝川町2丁目16-1
アクセス / JR勝川駅から南西に徒歩20分ほど
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