『八王子神社春日神社』
交差点の角に緑青らしき強烈な緑が視界に入ってきます。
目的地の『八王子神社春日神社』は落ち着いた街並みにあって、鮮やかな緑で存在を主張する神社です。
鳥居右の社号標は「八王子神社 春日神社」とあります、なんとも長い社名なこと。
目的地の『八王子神社春日神社』は落ち着いた街並みにあって、鮮やかな緑で存在を主張する神社です。
鳥居右の社号標は「八王子神社 春日神社」とあります、なんとも長い社名なこと。
神社の前に市バス「清水二丁目」バス停がある、この路線は利用した事がないけれど、八王子神社春日神社を訪れるにはとても便利。車で訪れるとポケットにしまいたいと感じる場所です。
鳥居から境内の眺め。
真っすぐに伸びた参道の正面が拝殿、左が社務所、更に左は西杉公園となっています。
真っすぐに伸びた参道の正面が拝殿、左が社務所、更に左は西杉公園となっています。
境内に入り左に手水鉢があります、龍はいませんが満たされた清水は澄んでいました。
拝殿は二対の狛犬が守護しています、最初に出会うのがこの面々。
肉付きも良く、逞しい容姿ですが阿形の前足は「何があった?」と聞きたくなるところ。
肉付きも良く、逞しい容姿ですが阿形の前足は「何があった?」と聞きたくなるところ。
社務所。
拝殿の屋根の色を意識したのかな、街中にあって目立つ色合いです。
拝殿の屋根の色を意識したのかな、街中にあって目立つ色合いです。
拝殿
5本の鰹木と千木が縦に切り落とされた外研ぎのもの、外研ぎは男神で内研ぎは女神とい聞くけれど、多様性の時代にあってどうなんですかねぇ。
拝殿は近代工法のもので、綺麗で新しく、
時の積み重ねを感じるものではありません。
5本の鰹木と千木が縦に切り落とされた外研ぎのもの、外研ぎは男神で内研ぎは女神とい聞くけれど、多様性の時代にあってどうなんですかねぇ。
拝殿は近代工法のもので、綺麗で新しく、
時の積み重ねを感じるものではありません。
拝殿前の狛犬。
こちらの阿形、犬を飼ったことのある方は見覚えのある姿をしていて、思わず撫でてやりたくなる表情じゃないでしょうか。
こちらの阿形、犬を飼ったことのある方は見覚えのある姿をしていて、思わず撫でてやりたくなる表情じゃないでしょうか。
拝殿に掲げられた扁額。
「八王子神社春日神社」長い社名です、元は別々の神社。
名古屋台地の北外れ、名古屋城築城前のこの辺りは那古野庄今市場と呼ばれ、現在丸の内一丁目周辺になりますが、ここには八王子神社、若宮八幡神社、天王社(那古野神社)が鎮座していたとされます。
1610年(慶長15)の名古屋城築城に伴い、城を守護する目的から場外に遷座する事になり、その際の遷座先は神籤で決めたと云われます。
何が当たりで外れなのかは知らないけれど、その結果、八王子神社は名古屋城東北の護りとして、南の城下を守護する目的で若宮八幡神社が遷座することになった。
当たり籤なのかは分からないけれど、天王社(那古野神社)はそのまま城に留まる事になったようです。
籤で決まった社地に遷座した八王子神社、後の1971年(昭和46)に春日神社が八王子神社境内に移築、両社を合祀した際に社名を八王子神社春日神社に改めたそうです。
「八王子神社春日神社」長い社名です、元は別々の神社。
名古屋台地の北外れ、名古屋城築城前のこの辺りは那古野庄今市場と呼ばれ、現在丸の内一丁目周辺になりますが、ここには八王子神社、若宮八幡神社、天王社(那古野神社)が鎮座していたとされます。
1610年(慶長15)の名古屋城築城に伴い、城を守護する目的から場外に遷座する事になり、その際の遷座先は神籤で決めたと云われます。
何が当たりで外れなのかは知らないけれど、その結果、八王子神社は名古屋城東北の護りとして、南の城下を守護する目的で若宮八幡神社が遷座することになった。
当たり籤なのかは分からないけれど、天王社(那古野神社)はそのまま城に留まる事になったようです。
籤で決まった社地に遷座した八王子神社、後の1971年(昭和46)に春日神社が八王子神社境内に移築、両社を合祀した際に社名を八王子神社春日神社に改めたそうです。
三つ銀杏が神紋の様です。
この八王子神社は古来から小児の守り神として人々の崇敬を受けてきたようです。
この八王子神社は古来から小児の守り神として人々の崇敬を受けてきたようです。
拝殿内。
白壁の明るい拝殿内に木の色は温かみを感じるものです。
八王子社祭神 / 天忍穂耳尊、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命、多紀理姫命、多紀津姫命、市杵島姫命
天照大神と素戔嗚尊との誓約によって生まれた八柱の神々で天照大神は五男を素戔嗚尊からは三女神(宗像三女神)が生まれたとされる。
春日神社御祭神 / 武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神
八王子社創建 / 文武天皇時代(697年~707年)
小児の守り神として参詣者が多い。
白壁の明るい拝殿内に木の色は温かみを感じるものです。
八王子社祭神 / 天忍穂耳尊、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命、多紀理姫命、多紀津姫命、市杵島姫命
天照大神と素戔嗚尊との誓約によって生まれた八柱の神々で天照大神は五男を素戔嗚尊からは三女神(宗像三女神)が生まれたとされる。
春日神社御祭神 / 武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神
八王子社創建 / 文武天皇時代(697年~707年)
小児の守り神として参詣者が多い。
宮城遥拝所碑。
境内の右に立つ石標で、1950年(昭和15)にここから皇居(宮城)を遥拝する目的で建てられたもの。
わざわざ新幹線に乗らなくてもここでOK、なんともありがたいもの。
境内の右に立つ石標で、1950年(昭和15)にここから皇居(宮城)を遥拝する目的で建てられたもの。
わざわざ新幹線に乗らなくてもここでOK、なんともありがたいもの。
拝殿右に脇参道があり、左に明治40年建之の「八王子神社」社号標、正面に社があり、その先に鳥居が見えます。
参道を進むと右側に「あぶないからのるな」と書かれた石灯篭があります。
解説には「1834年(天保13)に尾州名古屋の豪商「杉屋佐吉」が寄進した灯篭」だそうな。
ここに書かれている杉屋佐吉(1792年~1875年)は地元名古屋を中心に多くの寺社に灯篭や狛犬など寄進された方。
清洲桜醸造株式会社の礎を築き奉納寄進物には「キヨス柴山藤蔵・柴山屋藤藏」刻まれ、注意して見ていくとあちらこちらでお目にかかります。
2世紀の時を経た灯篭とは思えない程しっかりしていますが、注意書きに書かれるほど灯篭に乗るのか?
「あぶないからのるな」子供の頃に云われた記憶もあるなぁ。
この神社は伝えたいところに手作りの解説が掲示され、初めて訪れた者にはとてもありがたいものです。
解説には「1834年(天保13)に尾州名古屋の豪商「杉屋佐吉」が寄進した灯篭」だそうな。
ここに書かれている杉屋佐吉(1792年~1875年)は地元名古屋を中心に多くの寺社に灯篭や狛犬など寄進された方。
清洲桜醸造株式会社の礎を築き奉納寄進物には「キヨス柴山藤蔵・柴山屋藤藏」刻まれ、注意して見ていくとあちらこちらでお目にかかります。
2世紀の時を経た灯篭とは思えない程しっかりしていますが、注意書きに書かれるほど灯篭に乗るのか?
「あぶないからのるな」子供の頃に云われた記憶もあるなぁ。
この神社は伝えたいところに手作りの解説が掲示され、初めて訪れた者にはとてもありがたいものです。
正面の社は大きな表札が掲げられた「秋葉神社」でした。
境内北東角に、丸みのある石を高く積み上げ台座を作り、その上に神明造りの社が祀られています。
玉垣の右は上街道です。
玉垣の右は上街道です。
秋葉社の左に神明造の本殿側面を見通すことができます。
本殿裏側の車道から見た社殿全景。
拝殿と幣殿、本殿が綺麗に繋がっているのが見て取れます。
ここから右に行くともう一つ脇参道があります。
拝殿と幣殿、本殿が綺麗に繋がっているのが見て取れます。
ここから右に行くともう一つ脇参道があります。
脇参道から境内に入った左側に年期の入った手水鉢。
解説があったようですが剥がれてしまい内容が分かりません。
なにか彫られていますが読めません、これも萬藏さんの寄進なのでしょうか。
解説があったようですが剥がれてしまい内容が分かりません。
なにか彫られていますが読めません、これも萬藏さんの寄進なのでしょうか。
本殿左脇に鳥居と社が祀られています。
小さな鳥居と、狛犬が守護する先の社は「金刀比羅神社」
目を見開いてこちらを見据える狛犬。
心なしか驚いているようにも見えてくる。
心なしか驚いているようにも見えてくる。
さて、こちらにも参拝しておきます。 これで参拝はコンプリートのはずです。
小さめに拍手、後ろを行き交う人の視線が妙に気になる。
小さめに拍手、後ろを行き交う人の視線が妙に気になる。
社務所前からの神明造の拝殿を眺める、直線美でも言えばいいのか。
拝殿左の石碑
「社殿竣工記念 八王子神社春日神社 名古屋市北区清水二丁目十五番二十号
八王子神社御祭神 天忍穂耳尊 天穂日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野櫲樟日命 多紀理姫命 多紀津姫命 市杵島姫命 五男神は天照大神の御子にまします、三女神は素戔嗚尊の御子にまします
春日神社御祭神 武甕槌命 経津主命 天児屋根命 比売神
由緒 八王子神社はもと那古野庄市場(現丸の内一丁目)に鎮座し若宮八幡神社と共に同じ境内に有り第四十二代文武天皇の御代の希斎と言う
慶長十五年(1610)名古屋城築城の際に神籤により名古屋東北の護りとして此の地に遷座致しましました 明治五年村社に列し同四十年指定社となる
昭和二十年五月戦災により焼失仮神殿を経て同三十二年社殿復興依頼氏神様として崇拝を続けて参りましたが腐朽甚だしく、平成十五年十月改築造営に着手同十七年四月竣工祭を行う
春日神社は昭和四十六年社殿を八王子神社境内に移築し両社を合祀して八王子神社春日神社と社名を改称した此の度の改築造営に際して名実共に一体化して本殿内に合祀した」
「社殿竣工記念 八王子神社春日神社 名古屋市北区清水二丁目十五番二十号
八王子神社御祭神 天忍穂耳尊 天穂日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野櫲樟日命 多紀理姫命 多紀津姫命 市杵島姫命 五男神は天照大神の御子にまします、三女神は素戔嗚尊の御子にまします
春日神社御祭神 武甕槌命 経津主命 天児屋根命 比売神
由緒 八王子神社はもと那古野庄市場(現丸の内一丁目)に鎮座し若宮八幡神社と共に同じ境内に有り第四十二代文武天皇の御代の希斎と言う
慶長十五年(1610)名古屋城築城の際に神籤により名古屋東北の護りとして此の地に遷座致しましました 明治五年村社に列し同四十年指定社となる
昭和二十年五月戦災により焼失仮神殿を経て同三十二年社殿復興依頼氏神様として崇拝を続けて参りましたが腐朽甚だしく、平成十五年十月改築造営に着手同十七年四月竣工祭を行う
春日神社は昭和四十六年社殿を八王子神社境内に移築し両社を合祀して八王子神社春日神社と社名を改称した此の度の改築造営に際して名実共に一体化して本殿内に合祀した」
「明治天皇清水御小休所」の石標
境内西南というか、「清水二丁目」バス停の後ろとでもいえばいいのか、目立たない場所に石標が建っています。1880年(明治13)、明治天皇京都巡幸の際、この地で休憩した事を伝えるもの。
八王子神社春日神社は緑の屋根が印象に残ると共に、伊藤萬藏さんとの再会、宮城遥拝所や明治天皇清水御小休所など見どころのある神社、なので訪れるか、見送るか迷ったら籤で決めるのも面白いかも。
八王子神社春日神社
創建 / 文武天皇時代(697年~707年)
八王子社祭神 / 天忍穂耳尊、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命、多紀理姫命、多紀津姫命、市杵島姫命
春日神社御祭神 / 武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神
住所 / 名古屋市北区清水2丁目15-20
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線「清水」下車、北に5分程
境内西南というか、「清水二丁目」バス停の後ろとでもいえばいいのか、目立たない場所に石標が建っています。1880年(明治13)、明治天皇京都巡幸の際、この地で休憩した事を伝えるもの。
八王子神社春日神社は緑の屋根が印象に残ると共に、伊藤萬藏さんとの再会、宮城遥拝所や明治天皇清水御小休所など見どころのある神社、なので訪れるか、見送るか迷ったら籤で決めるのも面白いかも。
八王子神社春日神社
創建 / 文武天皇時代(697年~707年)
八王子社祭神 / 天忍穂耳尊、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命、多紀理姫命、多紀津姫命、市杵島姫命
春日神社御祭神 / 武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神
住所 / 名古屋市北区清水2丁目15-20
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線「清水」下車、北に5分程
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