名古屋市守山区志段味西新外 「秋葉神社」

守山区大字下志段味西新外 「秋葉神社」
龍泉寺方面から県道15号線「志段味中学校西」交差点を左折、県道75号線の下り坂を1~2分ばかり春日井方向へ進む。
左手の消防団詰所で左折すれば西新外の「秋葉神社」到着です。
詰所の敷地に隣接する形で西向きに社頭があり、境内は一段上がった北側に広がっています。
手前の広場は大きな楠木が聳える「秋葉どんぐりひろば」、広場のシンボルツリーだ。
以前の田畑から住宅街が広がる光景にあって、この樹は存在感がある。
社頭から見た神社全景。
丘陵地の裾に鎮座する境内に朝陽が差し込み始めました、この時間は見事に逆光になる。
右に社号標、一段上がると玉垣で囲われた境内の左に社殿、奥に堂らしき建物が二つ見えます。
以前は春日井に用があると必ずこの道を利用し庄内川を超えていたけれど、当時(30年ほど前)ここに秋葉神社があったか記憶がなく、いつから鎮座しているのかは定かではない。
寄進された灯篭の年号や建物を見ても朽ちた感じもなく、比較的綺麗な神社の印象を受けます。
拝殿は三方吹き抜けで奥に社が祀られており、覆殿が一つになった形態で、長い向拝が付けられています。
「水」の文字が施された鬼瓦と灯篭の「大権現」以外に秋葉神社を象徴するものは見かけませんでした。

守山区役所の「秋葉社の紹介」によれば
「祭神の加具都智神(かぐつちのかみ)は現在、八幡神社に合祀されている。秋葉社は明和9年(1772)定光寺よりここに移されたという。土地改良事業により南へ移動し新築した。境内には本堂、西国三十三観音の巡礼供養観音像と参拝の記録が刻まれた20基の石像観音像が祀られた小祠と下志段味村に1基しかない庚申塔がある。また、舟形絵像碑で馬頭観音と思われる道標があり、「右定光寺 左内(うつ)つ」と刻まれているので、かっては「定光寺道」と「大日の渡し」へ通ずる道の分岐点に置かれていたと考えられる。」
紹介に出てきた八幡社と秋葉神社は、ここからそれ程離れてはいないようですが、「土地改良事業により南へ移動し新築」とある元の場所がよく分かりません。
明治頃の現在地の北に鳥居の姿はなく、当時と現在を比較すると北東の宮浦に鳥居の印しが消えた個所があるけれど、それがこの秋葉神社なのか全く根拠はありません。
志段味地区の土地改良事業として組合が設立されたのは平成に入ってからの事らしい、それほど古い話ではないので足を運べばすっきりするのかも。

新しい社号標の年号は2004年(平成14)、蝋燭立ては2002年(平成12)とあり新築もそのあたりなのかも。
これから年月を重ねていくのでしょう、この一帯の火伏の神に参拝。
右の堂には20体程の石像が安置されています。
馬頭観音、如意輪観音、千手観音などの中、下の写真の前列に「右定光寺」の文字が見えます、これが舟形馬頭観音の道標、馬頭さんに見えるかと問われれば「なのだろう」
1772年に移されたとあるので彫られた年代は更に遡る事になる。
堂の右に赤い覆屋の下に納められた社。
札は見えないけれど、守山でこの形態となれば「天王社」ではないかと思われます。
「天王社」の右に7つの石標が建っています。
左から千度参り、報徳、観音力、億陀仏、念仏、五穀豊穣、水神の碑が並ぶ。
境内の突き当りに二つの碑。
左は文字が刻まれているが識別不能、右は「下志段味村に1基しかない庚申塔」
確かに志段味で「庚申塔」はあまり見た記憶はないか?
庚申塔から見た境内全景。

灯篭は右に大権現、奥は大神宮と刻まれ、1823年(文政6)とあり、これが一番古い年号になる。
今も様変わりを続ける志段味にあって、石標や天王社にしても落ち着く場所を失いここに纏められた?
そんな気がしてならない。

憂鬱な感染症は人の心まで蝕んできているようですが、数値は確実に良くなっている。
神社前で見かけた鮮やかな色合い、ささやかながら気持ちは癒される。
2020/5/3

志段味西新外 「秋葉神社」
創建 / 年代不明
祭神 / 加具都智神
境内社 / 天王社
住所 / ​名古屋市守山区大字下志段味西新外
公共交通機関アクセス / ゆとりーとライン「大曾根」⇒「志段味支所北」下車、県道75号線を徒歩5分程
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