「八王子神社」愛知県瀬戸市共栄通
名鉄瀬戸線「水野」駅から南に15分程。
名古屋方面から車だと、国道363号線で矢田川(赤津川)に架かる本地橋を渡ってしばらくすると緩やかな登りとなります。
東寺山町の交差点を左折、北方向に2~3分走れば「八王子神社」です。
名古屋方面から車だと、国道363号線で矢田川(赤津川)に架かる本地橋を渡ってしばらくすると緩やかな登りとなります。
東寺山町の交差点を左折、北方向に2~3分走れば「八王子神社」です。
一之鳥居前に曹洞宗慶昌院がありますが、この辺りは城屋敷町。
「八王子神社」一ノ鳥居から境内の眺め。
訪れたの2020/4/5、境内の桜が見頃を迎えていました。
訪れたの2020/4/5、境内の桜が見頃を迎えていました。
ニノ鳥居手前の参道左に「今村御蔵」
1853年(嘉永6)年貢米、米が凶作時の備蓄目的で建てられた蔵。
2019年に改修の手が入れられたものが現在の姿。
1853年(嘉永6)年貢米、米が凶作時の備蓄目的で建てられた蔵。
2019年に改修の手が入れられたものが現在の姿。
ニノ鳥居から境内の眺め。
中央に拝殿、左に手水舎、社務所、右に赤い鳥居が連なっています。
側面と後方に大きな楠木が取り囲んでいます、明るく風の通りがいい境内です。
中央に拝殿、左に手水舎、社務所、右に赤い鳥居が連なっています。
側面と後方に大きな楠木が取り囲んでいます、明るく風の通りがいい境内です。
ニノ鳥居右の社号標。
ニノ鳥居左の手水舎と一ノ鳥居方向の眺め、その先の左が慶昌院本堂で右が参拝者駐車場。
上 手水舎脇の由緒書き
由緒抜粋
当社の創祀年代は不明、1473年(文明5)癸巳9月松原下総守源廣長による本殿修復の棟札が残り、これ以前よりこの地に祀られていた古社。
尾州誌志曰く「八王子の社、今村に有り。5男3女神を祀り、天照大神、素盞嗚尊を配享す」と記されている。1907年(明治40)神饌幣帛料供進社に指定。
下 境内伽藍
本殿修復に貢献した松原廣長は1482年(文明14)、品野村城主永井民部(長江利景)との戦いで廣長は敗れ討死、その後城は無くなりました、それでも、村の人々や慶昌院歴代住職に守られて八王子神社は今にあります。この地を治めた廣長を祀る社が本殿西隣に鎮座しています。
由緒抜粋
当社の創祀年代は不明、1473年(文明5)癸巳9月松原下総守源廣長による本殿修復の棟札が残り、これ以前よりこの地に祀られていた古社。
尾州誌志曰く「八王子の社、今村に有り。5男3女神を祀り、天照大神、素盞嗚尊を配享す」と記されている。1907年(明治40)神饌幣帛料供進社に指定。
下 境内伽藍
本殿修復に貢献した松原廣長は1482年(文明14)、品野村城主永井民部(長江利景)との戦いで廣長は敗れ討死、その後城は無くなりました、それでも、村の人々や慶昌院歴代住職に守られて八王子神社は今にあります。この地を治めた廣長を祀る社が本殿西隣に鎮座しています。
社殿東から社務所方向を見る。
建物と比較すると大きく横に広がった楠の枝振りには感心する。
建物と比較すると大きく横に広がった楠の枝振りには感心する。
桐紋の入った三ノ鳥居から拝殿正面の眺め。
石段を上がった先に社殿が建ち、右奥には緑色の屋根の社があるようです。
石段を上がった先に社殿が建ち、右奥には緑色の屋根の社があるようです。
拝殿を守護してほぼ100年、均整が取れた容姿の狛犬。
拝殿に掲げられた扁額と鈴、忍び寄るCOVID-19を感じさせる光景です。
何度も見たくはないけれど、そうそう見られるものではない、鈴紐が垂れ下がる日を待つしかない。
願い事は決まっている、参拝。
何度も見たくはないけれど、そうそう見られるものではない、鈴紐が垂れ下がる日を待つしかない。
願い事は決まっている、参拝。
拝殿東から三間社流造の本殿域の眺め、右側に脇殿。
本殿を小ぶりな狛犬が守護していますが寄れませんでした。
祭神 / 天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、多岐都比売命、市寸島比売命
脇殿 / 天照大御神、須佐之男大神
例祭 / 10月中旬日曜日
本殿を小ぶりな狛犬が守護していますが寄れませんでした。
祭神 / 天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、多岐都比売命、市寸島比売命
脇殿 / 天照大御神、須佐之男大神
例祭 / 10月中旬日曜日
本殿左の赤い鳥居、その先は「伏見稲荷八王子大明神」へ続く、手水鉢に清水はない。
伏見稲荷八王子大明神「稲荷殿」全景。
ここから左に進むと今村城の遺構に続きます。
ここから左に進むと今村城の遺構に続きます。
稲荷と云えば狐、痩せたお狐さんに出逢うと悲哀を感じてしまうが、こちらはいい姿をしている。
稲荷殿の左に大きさが様々な狐の群れ。
稲荷殿の左に大きさが様々な狐の群れ。
稲荷殿扁額と内部の眺め。
稲荷殿から八王子神社本殿、拝殿方向の眺め。
稲荷殿から左に進むと三つの石の祠があります、詳細は分かりません。
今こうしてみると、中央に祠の正面に梵字らしきシルエットがある事に気付きました。
誰かがいない。
今こうしてみると、中央に祠の正面に梵字らしきシルエットがある事に気付きました。
誰かがいない。
本殿後方に小さな池があります。
嘗ての今村城の堀の名残で西側に「松原廣長公城跡」の石標が建つています。
嘗ての今村城の堀の名残で西側に「松原廣長公城跡」の石標が建つています。
池の中ほどの小島に続く石橋の袂に二つの石碑。
上
はっきりしないけれどコントラストを上げていくと「水宮」?と彫られているような。
下は水神
上
はっきりしないけれどコントラストを上げていくと「水宮」?と彫られているような。
下は水神
今村城は寛正年間(1460年 ~ 1466年)に三河国松原吉之丞が現在の瀬戸市に移るために築城され、二代城主廣長の死と共に廃城の道を辿り、八王子神社境内に嘗て城であった痕跡は、僅かに残る水堀とお鶴の井戸が残る。
今村遺蹟保存会により建てられた碑が建ち、廣長が村人から慕われていた事がここに表れています。
今村遺蹟保存会により建てられた碑が建ち、廣長が村人から慕われていた事がここに表れています。
「お鶴の井戸」
池の東に石碑が建ち、その手前に石で四角に組まれた井戸、そこには今も水が湧き出ているようです。
池の東に石碑が建ち、その手前に石で四角に組まれた井戸、そこには今も水が湧き出ているようです。
社殿西側の眺め、手前の神明造の社が松原公社殿。
社の正面全景、鰹木が5本、内研ぎの千木が施されています。
右に大きな石碑が建てられています。
社の正面全景、鰹木が5本、内研ぎの千木が施されています。
右に大きな石碑が建てられています。
社の全景、後方では千木が付いていたが、正面に千木は見当たらない。落ちた?しかも両側?
右の石碑は松原公を称え、後世に語り継ぐために建てられた碑。
右の石碑は松原公を称え、後世に語り継ぐために建てられた碑。
上
右手に連理の椿(夫婦椿)と呼ばれる御神木があり、縁結び、家内安全にご利益があるそうです。
奥に三間社流造の本殿が間近に見て取れます、狛犬はやはり顔は見せたくないようです。
下
西側から鮮やかな緑に包まれた社殿側面の全景。
切妻平入の拝殿と本殿がコンパクトに纏められています。
古くから鎮座する八王子神社、松原廣長の居城今村城跡と共に今も地元から慕われ続けています。
『八王子神社』
創建 / 年代不明、1473年松原廣長により本殿修復
祭神 / 天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、多岐都比売命、市寸島比売命
脇殿 / 天照大御神、須佐之男大神
例祭 / 10月中旬日曜日
境内社 / 伏見稲荷八王子大明神、松原公社殿
住所 / 瀬戸市共栄通5-66
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線「水野」駅から南に15分程
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『本地城址』と津島神社
昔ながらの田園風景の中に鎮座する 「八幡社」
右手に連理の椿(夫婦椿)と呼ばれる御神木があり、縁結び、家内安全にご利益があるそうです。
奥に三間社流造の本殿が間近に見て取れます、狛犬はやはり顔は見せたくないようです。
下
西側から鮮やかな緑に包まれた社殿側面の全景。
切妻平入の拝殿と本殿がコンパクトに纏められています。
古くから鎮座する八王子神社、松原廣長の居城今村城跡と共に今も地元から慕われ続けています。
『八王子神社』
創建 / 年代不明、1473年松原廣長により本殿修復
祭神 / 天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、多岐都比売命、市寸島比売命
脇殿 / 天照大御神、須佐之男大神
例祭 / 10月中旬日曜日
境内社 / 伏見稲荷八王子大明神、松原公社殿
住所 / 瀬戸市共栄通5-66
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線「水野」駅から南に15分程
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