「松杜天神」江南市
江南市小折東町旭「松杜(まつもり)天神社。
過去掲載した、嫩桂山 久昌寺から南の神明社を経由しても徒歩5分ほどの県道171号線沿いに社頭を構える。社頭前を東西に延びるのが県道171号線(小折一之宮線)。
通りに鳥居が建っているわけではないので、車で走っていると通り過ぎるかもしれない。
県道の南側に松杜天神社の駐車場があり、車の場合こちらに駐車すれば安心でしょう。
古い町割りのこのあたりに、路上駐車する余地はありません。
県道南側から松杜天神社全景。
西角から松杜天神社と神明社方向を眺める。
入母屋瓦葺社殿は神社というより寺の趣が強い外観です。
社頭から境内の眺め。
郊外の立派な個人宅に迷いこんでしまった錯覚になる。
左が社務所。
境内に入り左手に神明鳥居とその先に本殿。
この姿を見て漸く安心できた。
コンパクトな社殿で鳥居から短い参道が拝所まで続く、参道と境内の庭はとても手入れが行き届いている。
右手に社号標「式外 松杜天神」とあり昭和21年寄進のもの。
本殿は入母屋瓦葺の妻入りで向拝が付く。
手前で狛犬一対が守護する。
参道左の石は良くわからなかった、なんとなく石仏でも彫られていたような趣です。
参道は左の手水鉢に続き、鉢には龍もいるのだがこちらも例によって休業中。
本殿前の狛犬、奉納年度を見忘れ年代は分かりません。
妙にこてこて塗りたくっていない姿は好みのもの。
向拝から本殿の眺め。
鬼瓦などには天神社らしい梅鉢の紋が入っています。
向拝に掲げられた額、鈴紐は下ろされていました。
松杜天神由緒より
「松杜天神社は尾張国、江南市小折東町旭の里に鎮座する。
御祭神はくすりの神様として知られる少名毘古那神を祀る神社で、創始年代は社伝によれば、壱千有余年前、第五十四代の仁明天皇(810年~850年)の御宇、承和年間と云われ「従三位松杜天神」として記載される由緒ある神社。
往昔より武将の崇敬篤く、当地は内大臣織田信雄の出生地にして天正十二年小牧山合戦の際、徳川家康と共に織田氏が当神社に祈願したと伝わる。
徳川氏の代に至っては領主生駒左京之進藤原家広氏を始め、因幡守利豊氏から篤く崇敬され、神殿造営に際して木材の寄進を受けていたという。
現在の社殿は昭和二年三月改造され、平成五年三月に屋根等の修復を受け現在に至る。
宮司山田家は二十余代の社家で神祇統領白川家より山田和泉守の称号を許された代々の神官として由緒ある家柄である。
霊験 往昔より脱腸(ヘルニア)封じ、リュウマチ封じ、神経痛封じ、虫封じ、その他諸病に霊験あらたかで、祈願に訪れる人は多い。
現在は諸病平癒はもとより学業成就、家内安全、交通安全などの祈願に訪れる人が多い。
主な祭事 大祭(三月)、輪くぐり祭(七月)、月次祭(毎月二十五日)
交通 名鉄犬山線布袋駅下車南約1.5㎞
松杜天神社社務所 愛知県江南市小折東町旭16番地」
創建年代は随分古いようです、御神徳は今のおやじとかみさんにはとてもありがたいもので、ここは真剣にお願いしておこう。
大正14年の奉納額「松杜天神宮」と平成に入ってから奉納された絵馬の額、躍動感のある綺麗なもの。
拝所から本殿方向の眺め、無数の奉納提灯が吊るされている。
天神という事で梅はあちらこちらで視界に入ってくるけれど、管原道真というより天神信仰が強いような雰囲気がする、境内では撫で牛も見られなかった。
承和年間と云われる創建年に対し、後に天神様として神格化された道真は時間軸に少し違和感を感じる、古い記録を見て行く必要がありそうです。
由緒にも祭神は少名毘古那神(一寸法師のモデルとか)とあるが道真の名は出てこない。
本殿全景。
手入れの行き届いた庭木は社殿を囲い、社殿と本殿の全容は掴みにくく、本殿はこの社殿の中かもしれない。
参拝を終え、松杜天神社から県道の南を眺める、そこにもこんもりとした森が見えています。
細い路地をそちらに向けて歩いて見ます。
松杜天神社 久昌寺
創建 / 不明
祭神 / 少名毘古那神
所在地 / 江南市小折東町旭16番地
久昌寺➡神明社➡松杜天神社 徒歩ルート / 南へ徒歩5分程
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