『神明社・八幡社 合殿 (杉ノ宮)』
上街道から少し外れると一方通行ばかりの狭い道が迷路のように続く、そこに密集して住居が立ち並ぶ。
大きな車でこちらを訪れようなどと間違っても思わない方がいいでしょう。
袋小路のような道の先に複数の白い幟と玉垣が見えてきます、そこが『杉ノ宮神社』です。
大きな車でこちらを訪れようなどと間違っても思わない方がいいでしょう。
袋小路のような道の先に複数の白い幟と玉垣が見えてきます、そこが『杉ノ宮神社』です。
広い境内ではないけれど、住宅が軒を連ねる一帯にあって社殿の建つこの空間は解放感を感じます。
高く伸びた御神木が杜を形作っています。
社地を取り囲むように奉納幟が立ち並び、多くの氏子の方々に親しまれていることが分かります。
手前に広い空間はありますが、こちらは参拝者駐車場ではないようです。
ここは自転車がいいのかも知れませんね。
高く伸びた御神木が杜を形作っています。
社地を取り囲むように奉納幟が立ち並び、多くの氏子の方々に親しまれていることが分かります。
手前に広い空間はありますが、こちらは参拝者駐車場ではないようです。
ここは自転車がいいのかも知れませんね。
社頭の眺め。
狭い、手持ちのカメラで正面全景が入らない。
恰も鳥居のような立派な提灯櫓と右に五七の桐と橘の紋が飾られた社号標「神明社・八幡社 合殿(杉ノ宮」とある。
グーグル先生の杉ノ宮は正式な呼称ではないようです。
相殿(あいどの)は比較的目にする機会もあるけれど、これは合殿(あいでん)の呼称でいいのかな。
いずれにせよ、明治政府により推し進められた神社整理の影響を受けているのだろう。
狭い、手持ちのカメラで正面全景が入らない。
恰も鳥居のような立派な提灯櫓と右に五七の桐と橘の紋が飾られた社号標「神明社・八幡社 合殿(杉ノ宮」とある。
グーグル先生の杉ノ宮は正式な呼称ではないようです。
相殿(あいどの)は比較的目にする機会もあるけれど、これは合殿(あいでん)の呼称でいいのかな。
いずれにせよ、明治政府により推し進められた神社整理の影響を受けているのだろう。
提灯櫓から拝殿の眺め。
櫓で隠れていますが、鳥居とその先に蕃塀と拝殿、右が社務所。
両脇に脇参道があり左奥にも鳥居が見えます。
櫓で隠れていますが、鳥居とその先に蕃塀と拝殿、右が社務所。
両脇に脇参道があり左奥にも鳥居が見えます。
社頭からはこの蕃塀が拝殿方向の全容を遮断しています。
ここにも五七の桐と橘の紋が彫られています。
神明社と八幡社が一つになっているので、双方の神紋が彫られているのでしょう。
神明社と八幡社が一つになっているので、双方の神紋が彫られているのでしょう。
蕃塀(1931年奉納)背面から社頭の眺め。
鳥居の右が手水舎。
鳥居の右が手水舎。
COVID-19対策でしょうか、龍口から注がれる清水は止められ、鉢は蓋がされていました。
切妻妻入拝殿の全景とそれを守護する色白の狛犬。
良く見かける色白くっきりタイプ。
拝殿の扁額。
神紋の橘は八幡社で神明社が桐?
合殿なのでどちらかがもともとここに鎮座していた訳ですが、調べて見ると、元は1630年(寛永7)に神明社として創建されたもの。
その後、ここから少し西の現在の清水小学校があたりに鎮座していた八幡社がやってきたようです。
八幡社は1552年(天文10)と神明社より前に創建されたものですが、明治初期に各地に小学校を建立するにあたり、1872年に前段として久国寺境内で杉村仮義校が開設、翌年の小学校建立に伴い八幡社は神明社に移されたようです。
建立された小学校は戦時中の空襲で焼失、一時は神明社・八幡社の社務所で授業が行われたようです。
そうした事もあるからでしょう、小さな神社ですが地元の方から大切にされているのが分かります。
祭神は国常立尊、應神天皇。
神紋の橘は八幡社で神明社が桐?
合殿なのでどちらかがもともとここに鎮座していた訳ですが、調べて見ると、元は1630年(寛永7)に神明社として創建されたもの。
その後、ここから少し西の現在の清水小学校があたりに鎮座していた八幡社がやってきたようです。
八幡社は1552年(天文10)と神明社より前に創建されたものですが、明治初期に各地に小学校を建立するにあたり、1872年に前段として久国寺境内で杉村仮義校が開設、翌年の小学校建立に伴い八幡社は神明社に移されたようです。
建立された小学校は戦時中の空襲で焼失、一時は神明社・八幡社の社務所で授業が行われたようです。
そうした事もあるからでしょう、小さな神社ですが地元の方から大切にされているのが分かります。
祭神は国常立尊、應神天皇。
扁額の下に設けられた鳩除け?の柵の奥から視線を感じる。
よく見れば、柵の奥には龍の彫飾りが施され、眼光鋭い眼差しでこちらを睨みつけている。
よく見れば、柵の奥には龍の彫飾りが施され、眼光鋭い眼差しでこちらを睨みつけている。
参拝を済ませ、拝殿内を窺う。
妻入り拝殿は渡廊と平入の幣殿が一体となり奥行きのあるもの。
拝殿内に二つの彫飾りがあるようですが、何が彫られているのか詳細は分かりません。
妻入り拝殿は渡廊と平入の幣殿が一体となり奥行きのあるもの。
拝殿内に二つの彫飾りがあるようですが、何が彫られているのか詳細は分かりません。
切妻で緩やかな弧を描く銅板葺の屋根の破風飾りなどに黄金色の飾り金具が施され、破風飾りには合殿と記され、鬼飾りは入口側が桐、渡廊側は橘の紋が入れられています。
幣殿から本殿の眺め、外研ぎの千木に5本の鰹木が飾られています。本殿右にも社があるようです。
幣殿前の狛犬は年季が入っているようです。
本殿域の社は神宮、熱田社、天神社、春日社、八劔社の様です。
額の右の透塀の柱に春日社と八劔社の名札も掲げられています。
本殿域の社は神宮、熱田社、天神社、春日社、八劔社の様です。
額の右の透塀の柱に春日社と八劔社の名札も掲げられています。
この流造の社に七柱が祀られているようです。
本殿神域の東側からの全景。
本殿全景は見えませんが棟持柱から神明造の本殿の様です。
本殿全景は見えませんが棟持柱から神明造の本殿の様です。
拝殿左側の脇参道にある鳥居へ向かいます。
幣殿の吽形。渡廊で相方は見られません、孤独に耐えられない者にこの任務は務まるまい。
左の境内には社が二つ祀られています。
唯一東を向いて祀られる杉ノ宮龍神社。後方の幟をよく見れば、この一画は「杉ノ宮龍神」の幟に変わっています。
正面の鳥居には熊野社、津島社、金毘羅社、秋葉社、愛宕社、大日社の六社が一つの扁額に書かれ掲げられています。
社全景、こちらは妻入りの社で、破風尻などに金色の飾り金具が施され、右の社に比較すると華やかなもの。
境内西から拝殿側面の全景。
脇参道から見ると今更ですが幟の違いに気づきました。戦時中の空襲で焼かれ、一時的とはいえこの境内で授業を受けた年代の方にとっては思い入れのある神社なのかも知れない。
2020/3/11
『神明社・八幡社 合殿 (杉ノ宮)』
神明社創建 / 1630年(寛永7)
八幡社創建 / 1552年(天文10)
祭神 / 国常立尊、應神天皇
境内社 / 神宮、熱田社、天神社、春日社、八劔社、春日社、八劔社、杉ノ宮龍神、熊野社、津島社、金毘羅社、秋葉社、愛宕社、大日社
住所 / 名古屋市北区中杉町1-18
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄名城線「志賀本通」下車南へ徒歩10分程
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